phase3 獣人の少女

 〈マルチバースサーガ〉の舞台〈マルダリアス〉には五つの大陸が存在する。その一つは世界最大の森林があることから森大陸と呼ばれていた。大陸の大部分が地球で言うところの熱帯に近い気候のせいで雨が多く、川や沿岸の海は大抵濁っているのが残念な点だが、雄大な森と青空のコントラストは多数のプレイヤーを魅了してやまない。

 大森林を貫く大河の河口にはジェビスという名の大きな街があり、豊富な木材を巧みに加工して築かれたエキゾチックな街並みは観光地として有名だった。街中にはプレイヤーが自宅を建設できる区域が点在しており、ゲーム中でもかなりの人気を博している。

 そんなジェビスの街のはずれ、大森林に近い住宅街の一角にその家はあった。



「ああくそ。普段からもう少し片付けとけば良かった」


 大小の収納や雑多な物品が所狭しと置かれ、やや窮屈に感じる部屋の中を小柄な少女が忙しく動き回っている。大急ぎでスペースを確保してソファセットを設置しようとしているのだ。


 見た目の年齢は十台前半と言ったところで、淡いグレーの髪に鮮やかな明褐色の肌、頭からは三角形の獣耳が生え、尻の少し上からは髪と同じ色の長い尻尾が伸びている。瞳は金色、瞳孔は猫のように細く、指先から伸びる爪は鋭い。それらの多くはこのゲームにおいて〈獣人ワービースト〉と総称される獣人系種族の特徴だった。


 〈マルサガ〉はキャラクターエディットの自由度が高いので、個人のセンスやかけた手間によってキャラクターの見栄えには露骨な差が生まれる。デフォルトで設定されるランダム生成キャラクターの外見が酷すぎる、というのも理由の一つだった。たいていの場合、日本の漫画やゲームに親しんだ人間には受け入れがたい顔立ちや体型になるからである。


 といって海外で好評かといえば特にそういったこともなく、このゲームの欠点が挙げられる時はいつも「デフォルトキャラクターが不細工」が挙がるほどだった。同じ顔や体型のキャラクターが溢れないよう故意にそう仕向けている、というのが有力な説となっているが、それに関してネオリック社の返答はない。


「……何やってんだろうな俺。ちょっと話するだけだってのに」


 少女は一人自嘲するが、家具のレイアウトを弄る手は止めなかった。その身体は頭のてっぺんから爪先まで見事な調和が取れていて、デフォルトキャラクターの不格好さは欠片も残っていない。あどけなさを残す整った顔立ちは、可愛らしさとナチュラルさの合間で絶妙なバランスを保っている。


 〈マルサガ〉には数えきれないほどのキャラクターがいるが、ここまで完成度の高いキャラクターはさほど多くはない。仕様上、他人のキャラクターを模倣するのが難しいこともあるが、一人称視点のゲーム故に普段は自分の顔など見えないので、ほどほどで妥協するプレイヤーが大半だからである。それでも現実世界と比べれば整った顔立ちはかなり多いのだが。


「あ。どうせなら予定の服に着替えといた方がいいか?」


 少女は尻尾を揺らしながらチェストに手を伸ばす。ゲームらしく一瞬で別の服に着替えると、再びソファの位置を吟味し始めた。その様子はまるでボーイフレンドを初めて家に招く年頃の少女のようだったが、本人にそう言えば確実に嫌な顔をするだろう。


『フレンドのネレウス様がいらっしゃいました』

「う、もう来たか」


 ハウスキーパーの音声が来客を告げると、少女はソファの微調整を諦めて入り口のドアを振り返り、ネレウスが中に入ってくるのを待ち受ける。しかし少し待っても入ってくる様子はなく、少女は首を傾げながら声を張り上げた。


「早く入って来いよ!お前はいつでも入れるように設定しといたはずだぞ」

「おう、わかっちゃいるが一応な」


 男の声が響いた後、ドアが開いて薄水色の肌の人物が家の中に入ってくる。それなりに整ってはいるが腹に一物ありげな、どこか底意地の悪そうな顔立ち。身体のあちこちから突き出た棘や鰭のような物が目を引く若い男だ。


 街中ということもあってか戦闘用の装備ではなく、細マッチョと言える体型に派手な色合いのシャツを着こなしている。身につけたアクセサリーといい全体的なイメージは「チャラい」の一言がふさわしい。そんなネレウスはサングラスを外しながら家の中を軽く見渡し、少女に向けてひらひらと手を振った。


「待たせたなティリア。それで話ってなんだ?」

「急に呼び出して悪いな。立ち話もなんだし、かけてくれ」

「わざわざ模様替えしたのかよ」

「まあな」


 ゲームなので座らなくても疲れはしないにせよ、没入感の高いシステム故に突っ立ったまま込み入った話というのは何となく落ち着かないものである。今一つ部屋の雰囲気と合っていないソファセットだが、ネレウスがそんなことを気にする性格ではないのはティリアも分かっていた。ネレウスが席に着いたのを見届け、ティリアも向かい側のソファに腰を下ろす。


「話っていうのは、ぶっちゃけまたオフで会いたいんだ、

「そんなことか。いいぞ。いつがいいんだ?

「……理由とか、聞かないのか?」

「こんならしくねえことするくらいだ。顔合わせなきゃ出来ねえ話なんだろ?」


 ティリアは僅かに目を見開いてネレウスの顔を凝視する。やがて目を閉じると小さく息を吐いた。


「かなわないな。でも話が早くて助かる」

「今更だろ。男同士余計な気遣いもいらねえし」

「あ……ああ、そうだな……」


 視線を逸らすティリアを見てネレウスは怪訝そうに首を傾げた。〈マルサガ〉の専用端末である〈バーサルウェア〉には多彩な機能があり、目線や口の動き、首や身体の向きや傾きなどもゲーム内のキャラクターに反映できるようになっている。


 一つ一つの技術は既にあるが、ネオリック社のそれは精度も反応速度も桁違いで、没入感を高めるのに一役買っていた。その分値段が張るので新規でゲームを始めようとする人間にとって敷居が高い理由の一つでもある。


「なんだよ。実は女でした、なんて漫画みたいなサプライズでもあんの?」

「そ……んな訳ないだろ。お前は知ってるだろうが」

「ま、ガキの時分からの付き合いだしな。それにガワがお前じゃ、女でもまったく嬉しくねえしよ」

「……」


 ティリアは何とも言えない表情を浮かべるが、ネレウスは全く気付かずに豪快に笑った。


「それで、いつがいいんだ?」

「なるべく早い方が助かる。できれば今すぐ会いたいくらい」

「アホか。宅配ピザじゃねえんだぞ。今何時だと思ってんだ」


 現実の時刻は深夜1時を回っている。ネレウスもティリアが本気で言ったとは思っていない。


「それなら明日の午前10時、仁蓮駅のミスターバーガーでいいか?それと……ちょっと変わった格好で行くかもしれないけど……引くなよ?」


 おもむろに立ち上がったティリアは、ネレウスの前で胸を張る仕草のアニメーションをする。その唐突な行動にネレウスは訝しげに眉を動かすが、何か事情がある事は察しているだけに追及はしなかった。


「あんまり恥ずかしい恰好だったら他人のフリすっからな。それはともかく時間と場所はわかった。世間も明日から連休だし、どうせマルサガ漬けの予定だったしな」

「ありがとう」

「で、話ってのはそれだけか?俺はてっきり退切り出されるのかと思ってビビッてたんだが」

「ああ……いや、結果的にはそうなるかも。間違いなくゲームどころじゃなくなるだろうし」


 考え込むように言葉を紡ぐティリアを前にネレウスは僅かに目を細める。


「すげえ気になるが話は明日なんだろ?今日はもう寝とけよ。俺もさっきのアイテムの整理したら寝るわ。明日は遅刻すんじゃねえぞ」

「わかってる。この借りはいつか返す」

「大げさだぜ。それなら明日飯おごってくれりゃいい」

「あ、もう帰るのか?」

「まだ他に何かあんのか?」

「いや、ないけど……」


 男の会話は切り上げる時はあっさりである。ネレウスは軽く手を振ると話は終わりとばかりに立ち上がった。ティリアは名残惜しそうな態度を見せたが、用もないのに引き留める事は出来ず、去って行く友人を家の外まで見送る。ネレウスの姿が見えなくなるまで見守ったティリアは一人家の中に戻り、姿見の前に立った。


「目が覚めたら全部夢、なんて事になっちゃくれないかな……」


 万感の思いが込められたその呟きは、誰にも聞こえることはなかった。

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