3 歪んだ正義
モルサーラが何者なのか、本当のところを知るものは、存在しない。
“流星の子ども”であること、強大な力を持っていること、そして、果てしなく恐ろしい野望を抱いていることだけが魔女たち、魔法使いたちの記憶に残っている。
固定された姿をも、モルサーラは持たなかった。
相手によって姿を変えるため様々な憶測が飛び交うが、目の前にいるそれがモルサーラなのだと知ったときにはもう、彼の恐怖の支配下にあるか、彼への恐怖で死に至っているか、どちらかなのだ。
この壮大な歴史の上に立つ王国の若き王が、果たして真にモルサーラの脅威を知っているのかどうか。マーラはそれが気がかりでならなかった。
王はたぶらかされているのか、それとも、自らの意思によってモルサーラを受け入れているのか。
重大だが確認するのは難しい。
マーラは王の様子をまじまじと観察した。
見たところ、魔法で操られていたり、魔法によって思考が歪められているような形跡はない。
しかし、王自身は魔法に犯されていないかというと、そうではないようだ。右手に肉眼では見えない魔法陣がある。契約のための魔法陣だと、マーラにはすぐに分かった。
「……ルシアを完全に悪魔にして飼い慣らそうとでも思ったのかしら」
王とモルサーラを順番に見て、マーラは眉をひそめた。
「だとしたら?」
王は悪びれもせず、マーラたちを見下すように言う。
「この国を維持するには魔法の力が絶対的に必要なのだ。
まるで言い慣れたかのような。
腸が煮えくり返りそうなのを、マーラはぐっと堪えた。
『アレが、王?』
視界の隅っこで、黒い悪魔となったミロが唸りながら震えている。
『この国は、狂ってる』
前のめりになるミロを、マーラは制した。
雄牛の悪魔は毛を逆立たせている。眼光鋭く、必死に残してきた理性の欠片さえ吹き飛びそうなほど、興奮しているのが分かる。
王の執務室という狭い空間に、“流星の子ども”が三人。
彼らは互いに呼応しあう。ミロだけではない、ルシアも、そしてモルサーラも、その力の高まりに気が付いているようだった。
「下賤な輩には何を言っても無駄だと思うよ」
青年姿のモルサーラは、かかと笑って目を細めた。
「彼らは邪魔をしたいのさ。王の崇高なる願いなど、理解しようとしない。天より与えられたこの力を、この世界の平和のために有効利用しようとしているって言うのに」
「モルサーラ、それは詭弁だわ。少なくともこの時代はとても平和よ。国同士の争いも、王族同士の諍いもないように見える。民は自由だし、物に溢れている。私には、力で支配する必要なんてないように見えるけれど?」
怒りを静めながら、マーラは淡々と説いた。
モルサーラはともかく、まともな状態ならば、王に、少しでも祈りが届けばと。
しかし、王は言う。
「平和を維持するために力の盾を持つのは正義だ」
何故分からぬと言わんばかりに、王は首を傾げた。
「各国が弱体していくグルーディエを狙っている。『グルーディエ15世は最後の王だ』とのたまっている国家元首を何人か知っている。力だ。力が欲しい。我が王国の存続と、王家の存続に欠かせない力が。そのためには手段など選ばない。私は悪魔をも利用する」
語気を強めた王は、ゆっくりと周囲を見渡した。
モルサーラ、ルシア、アシュリー、それからミロ、マーラ。
王はまじまじとマーラを見ていた。古い時代からやって来た反抗的な魔女。今まで接した者たちとは違う、妙な考えを持った魔女。
マーラもまた、王を見ていた。
王が何処で道を誤ったのか、どうすればモルサーラの呪縛が解かれるのかと。
「……魔女か。すべての元凶、その魔女を殺せ」
王の一言に緊張が走った。
ミロとルシアは、咄嗟にマーラの前方へ。
手負いのアシュリーは壁際へ。
モルサーラは待っていましたとばかりに、ニカッと笑った。
「暴れていい?」
「結界を忘れなければ」
王の返事を確認すると、モルサーラは全身から黒い煙を吹き出して執務室に満たした。
ピシッと糸を張るような音が響く。結界が完成した合図だ。
「なるほど、魔女を倒せば、“流星の子ども”が二人、手に入る。さすが王様。頭が良い」
「ああ、そういうことだ」
黒い風が巻き起こった。
モルサーラの力がどんどん膨れていく。
華奢なマーラの身体が飛ばされぬよう、ミロはぎゅっと彼女を抱きかかえた。ルシアも、ミロの身体にしっかりと張り付いて、難を逃れようと踏ん張った。
モルサーラは徐々にその姿を変えていった。
身体を鱗で覆い、巨大化していく。大きな尾、大きな羽、そして大きく開けた口からは、鋭い牙が覗く。
執務室は、その容量を無視し、無限とも思えるほど巨大な空間へと変貌を遂げていた。四角い縁取りからはみ出すようにして、モルサーラは大きく羽を広げた。
――黒い鱗の竜だった。
真っ赤に燃えるような目を光らせた悪竜は、喜びの咆哮を轟かせた。
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