6 選択肢

 魔女は容赦のない生き物だ。

 マーラは包み隠さず本当のことをズケズケと言う。

 ラマは“流星の子ども”を単なる魔物として扱う。

 ネヴィナは自分の命を縁もゆかりもないルシアの封印に使ってしまう。

 そして、恐らくこの世界には、見えないだけであちらこちらに魔女が潜んでいる。


――『このまま、力を大きくしたら、モルサーラはお嬢ちゃんを迎えに来るに違いない。そうしたら、もう人間には戻れなくなるだろう。それとも……』


――『あの、恐ろしい魔人に立ち向かう、愚かな魔女と使い魔の話を信じようか。決して解けることのない死神星の呪いを解こうと、遙か昔から幾つもの時代を旅する二人の話』


――『例の魔女と使い魔が助けてくれることを願おうか。ねぇ、お嬢ちゃん』


 マーラが見せたあの映像は果たして事実なのかと、ルシアはどこかで疑っていた。もしかしたら自分たちの都合に合わせて作り出した幻なのではないか。

 ネヴィナのしわくちゃな笑い顔が頭に浮かぶ。

 血縁がなかったことよりも、魔女だったことよりも、自分のために命を懸けていたことを知られないよう、平穏な日々を作り上げていたことに、衝撃を受けた。

 作られた日常だった。

 もし、ネヴィナがいなかったら、自分もサエウムのように――、あの、人とも魔物とも悪魔とも付かぬ異形になり果てていたのかと思うと、それだけで身震いしてしまう。

 そして、同じように“流星の子ども”でありながら、魔女マーラの力によって自我を保つミロのことを考えずにはいられない。彼は一体いつ生まれ、どのくらい長い間マーラと旅をしてきたのだろう。苦しみに耐え、今も運命にあらがおうとしている彼に、ルシアはすがりたいと思った。



 *



 朝日が差し込み、街はまた動き始める。

 ルシアよりも早く起きて鼻歌交じりに朝ご飯の支度をするマーラの姿が、在りし日のネヴィナと重なる。マーラが身につけていたのは、生前ネヴィナが気に入って付けていたエプロンだった。


「おばあちゃんの」


 朝の挨拶よりも先に、そんな言葉が出た。

 マーラは振り返ってニコリと笑う。


「おはよう、ルシア。丁度いいものがタンスに入ってたから借りちゃった。着替えもないし、他のもお借りしたいんだけど、大丈夫かしら」


「だ、大丈夫ですけど……、おばあちゃんとマーラじゃ、年も体型も違いますよね。おばあちゃんの服は地味なのばっかりだし……、いいんですか?」


「そうは言っても、ネヴィナは私よりずっと年下でしょう。大丈夫よ。大体趣味も似てるみたいだし」


 年下。

 マーラは一体幾つなのだろう。ルシアは思ったが、口には出さなかった。女性に年齢を聞くなんて失礼だ。

 食卓には、二人分の朝食が並べられていた。

 ミロは未だ寝ているようだ。

 朝ご飯の美味しそうな匂いが家中に漂っている。マーラは本当に、料理が好きらしい。


「いつまでもルシアに頼ってばかりいられないから、どうにかしてこの街で仕事しなくちゃって思ってるのよね。昔は薬やジャム、お守りなんかを作って売ってたけど、占いって方法もあるかしら。でも、私あんまり占いは得意じゃないの。当たらなかったときに文句を言いに来る客も多くて」


「お店でも始めるんですか?」


「う~ん、どうしようかなって。悩んでるところ。けど、本当はそれどころじゃないのよね。ルシアを守ることが第一。そうは言っても、居候で居続けるのも申し訳ないし……」


「――い、居候でも良いです!」


 ルシアはマーラの眼前に迫って訴えた。


「もしマーラが近くにいないとき、また昨日みたいに変な魔女が現れたら――、きっと、物凄く困ると思うんです。それに、私一人を狙うのに、敵は遠慮なしに町をめちゃくちゃにするし、色々巻き込んでしまうし。め、迷惑でなければ、ミロと同じように、私も側に居させて貰えませんか? これ以上負担が増えたら困りますか?」


 一晩考えていたことを、ルシアは一気に吐き出した。

 マーラはきょとんとしていた。戸惑っているに違いなかった。


「困ると……思う?」


「え?」


「私、ミロのことを負担だと思ったことはないの。彼のことは好きだし、可愛いと思ってる。だから、全然負担じゃない。そしてね、ルシア。あなたのことも、とても愛おしく思うわ。ネヴィナが全身全霊を込めて守った子どもだもの。私も、守りたいと思う」


 マーラは微笑み、ルシアの両肩に手を乗せた。


「逃げたい? それとも、立ち向かいたい?」


 唐突な質問。

 ルシアは身構え、眉をしかめた。


「いい? 何度でも言うわ。あなたの力はいずれ目覚める。そして、人間じゃない恐ろしいものになってしまう。これは、私の魔法でも変えられない。あなたは、狙われる。モルサーラ率いる魔女たちが、否応なしに襲ってくる。どこまでも逃げる、という方法もあると思うわ。けれど、封印が解けたり弱まったりしたら、見つかる可能性は出てくる。魔法は完璧じゃない。いつかは消えてなくなるの。立ち向かう方を選んだとしても、やっぱり平穏を捨てることになるわ。勉強も恋愛も何もかも。あなたの好きなもの、好きな人、それらを諦める勇気はある? これは思っているよりずっと辛いことよ。どちらを選んでも、苦しむでしょうね。――ルシア、あなたはどうしたい?」


 マーラの赤茶色の瞳が、じっとルシアを見ていた。

 ふたつに、ひとつ。

 このままではいられないと、現実を突きつけてくる。

 魔女は容赦のない生き物だ。

 ほんの少しの気休めなんて意味のないことだとハッキリと教えてくれる。

 ミロは、立ち向かう方を選んだ。自分や、自分と同じように死神星の呪いをかけられた“流星の子ども”を狙う恐ろしい敵と戦い続けることを。グルーディエの王室から遠のき、使い魔に成り下がっても必死に生き抜くことを。


――『平穏を捨てることになるわ』


 作られてきた平穏を。守られてきた平穏を。

 それでも。


「立ち向かう方を……、選びます」


 力強く、ルシアは言った。

 マーラは目を細めた。


「分かったわ。そのためにも、少し、準備が必要ね」


「準備、ですか?」


「――“流星の子ども”であるミロがが近くにいる以上、封印魔法をかけていたとしても、今までよりも魔性に戻ろうとする力は増すと思うわ。それに、相手も同じように悪魔化した“流星の子ども”を使って仕掛けてくる。力が暴走しないよう、付き合い方を覚える必要があると思うの。その前段として、あなたに魔法を教えてあげる」


「ま、魔法?」


「そう。魔法を。あなたの中に眠る力を、少しでもよい方向に使いましょう。そうすることで、あなたが闇に呑み込まれるのを、阻止したいの」


 思いも寄らぬマーラの言葉に、ルシアはただ呆然とするしかなかった。

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