5 最善の方法

「――止めて! お願い、もう止めて!」


 真っ赤に染まっていく部屋の中で、ルシアは目を瞑り、頭を抱えて叫んだ。

 映像は更に進む。

 悲鳴を聞き、男性が一人、部屋に入ってくる。


『どうしたんだ? ……ルシア?』


 そしてまた、血が飛び散った。

 部屋の中央で、ルシアは頭を抱え、身体をよじって必死に抵抗していた。


「止めて、マーラ! もういい! もういいから! 私がやったのね? 私がお父さんとお母さんを」


 それでもマーラは、じっと佇んでいた。

 ミロに至っては、興味もないのか、壁により掛かって腕を組み、そっぽを向いている。


「本当のことを知りたいんでしょう。まだよ。まだ、これから」


 マーラの辛辣な言葉のあとも、映像は続いていく。

 淡い光の中、目を覆いたくなるような惨状が広がっている。立ち尽くす、小さなルシアだったはずの何か。胸を掻きむしり、苦しむようにして、バサリと倒れる。身体は、元の小さなルシアに戻っている。

 外はすっかり真っ暗で、二つの満月が並んで空に光っていた。

 また、ドアが開く。

 ――カツンと、床に靴音が響いた。見覚えのないスラッとした黒いシルエットが、横たわるルシアの側に立っている。黒い上下のその人は、部屋の中をゆっくりと見回し、大きくため息を吐いた。


『……間に合わなかった』


 悲しそうなその声に、ルシアはなんとなく聞き覚えがあった。

 ルシアは恐る恐る、その人物の方へと歩み寄る。


『けれど、目覚めて間もない。今なら、どうにかなるかもしれない。モルサーラたちに見つかれば、恐らくこの子も……。その前に、どうにかしなくては』


 側に屈み、ごろんと小さなルシアの身体を仰向けにする。

 赤黒い光が、その胸の中央で鈍い光を放っている。


『よかった。これくらいならどうにかできそう。けれど……、この段階でこの力。厄介だね』


 魔女だった。

 ほっそりとした、栗毛の魔女。

 魔女はルシアの顔をそっと撫で、ゆっくりと、赤黒い光を蓄える心臓の上に手を当てる。


『星の欠片がこの界隈に落ちたのは分かっていたのに、見つけるのに時間がかかった。私のせいだ。こうなる前に見つけられればよかったのに、結局、魔性の力が現れてから存在に気付く。――お嬢ちゃん、どうするの。あなたは、唯一の肉親もその手で殺してしまった。このまま、力を大きくしたら、モルサーラは直ぐに気が付くだろう。あの時間を自在に移動する力を使って、お嬢ちゃんを迎えに来るに違いない。そうしたら、もう人間には戻れなくなるだろう。それとも……』


 魔女は気を失った血だらけの小さなルシアに、ニッコリと微笑みかけた。


『あの、恐ろしい魔人に立ち向かう、愚かな魔女と使い魔の話を信じようか。決して解けることのない死神星の呪いを解こうと、遙か昔から幾つもの時代を旅する二人の話』


 話ながら、魔女は床に魔法陣を描き始めた。几帳面な円と、数々の模様が、暗い部屋の中で色味を帯びながら描かれていく。


『“流星の子ども”をどう扱うべきか。私たち魔女の中でもずっと意見が分かれてきた。使い魔にして暴れまわる魔女もいるというが、私は反対だ。こんな小さな子どもが、偶々流星の夜に生まれたばっかりに呪いにかけられるなんて、おかしな話だろう。お嬢ちゃんだって不本意なはずだよ。ひとりぼっちになってしまったんだから』


 床に描かれる魔法陣、光が、部屋とルシアを包む。


『残念ながら、私の力にも限界がある。その力尽きる前に――、例の魔女と使い魔が助けてくれることを願おうか。ねぇ、お嬢ちゃん』


 光の中で、魔女は急激に若さを失っていった。

 そうして、次第にルシアの記憶の中にある、大切な人へと変わっていく。


「――ネヴィナおばあちゃん!」


 大切な祖母の名を、ルシアは叫んだ。抱きつこうとした。

 しかし、触ることは叶わない。

 記憶の中で、ネヴィナはニッコリと微笑んだ。そして、ルシアの後ろでじっと様子をうかがうマーラに、目配せしているようにも見えた。



 *



 再び、部屋は強固な魔法で封じられた。

 ルシアはもう、その部屋には近づかないと、心に決めた。

 廊下の窓から、月明かりが差していた。ルシアはその中に、駆け回る幼い自分の姿と、微笑んで見守る祖母の姿を思い描いていた。

 階段の側まで来ると、ルシアは一旦、開かずの部屋のドアに振り返った。


「見ない方がよかったかしら」


 マーラは階段を降りながら尋ねた。

 ルシアは強張った顔で、「大丈夫です」と静かに笑った。



 *



 深夜、マーラとミロは眠れないでいた。

 マーラは寝間着でベッドに腰掛け、難しい顔をして考え込んでいた。

 一方でミロは、生前魔女ネヴィナが使っていたという部屋の中を、ゴソゴソと漁った。

 棚からは作りかけのポプリや薬草、香草、種類ごとに分けられた小さな石やガラス玉が大量に見つかった。引き出しの奥に片付けられていた護符には、ほんの少しだけ魔力を感じたが、これといって核心に繋がるようなものはなかった。


「何もないな。ルシアがネヴィナを魔女だと気付けなかった理由も、分かる気がする。封印魔法で全部使い切ったってことか? 見ず知らずの子どものために?」


 乾燥させた香草の入った瓶を手に取り、ミロは首を傾げた。


「……私だって、見ず知らずの子どもを押しつけられて、この有様よ。ネヴィナと一緒ね」


 マーラに言われて、ミロはツンと口先をつぼめた。


「アレを信じるなら、ルシアは目覚めたら強烈な力を発揮しそうだな。――もしかして、ルシアがあの年で幼児体型なのも、封印と関係がある、とか?」


「さぁどうかしら。ただ、目覚めた直後に大の大人を二人もあやめるなんて、尋常じゃないと思ったわ。それこそ、あのときモルサーラなんかに見つかっていたら、今頃大変なことになってたでしょうね。ネヴィナは最善の道を選んだのよ。自分の命と引き換えにね」


「赤黒い光が……見えてたな。封印のお陰で、今はすっかり見えなくなってたけど」


「そうね」


 マーラはチラリと、ミロの胸元に目をやった。そこに、光るものはない。


「光っているうちは、未だどうにかなる。問題は、光を失ってからよ。あなたにもあるでしょう。痣になってしまったらもう、戻れなくなる。ルシアには、痣もなかったのよね?」


「ああ」


「なら、未だ望みはあるわよ。だけど……、ラマにも見つかってしまったし、他の魔女たちが気付くのも時間の問題ね。ルシアには、自分の身を守る術を覚えて貰う必要があるかも知れないわ」

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