4 本当のこと

 リオルと別れてから、自宅までの道をとぼとぼと歩いた。

 家に帰ればマーラとミロがいる。思うと、ルシアは気が重かった。


――『もし、封印が解けて魔性が姿を現したときには、直ぐに、ルシアを殺して』


 マーラの冷徹な言葉にルシアは思わず泣き出してしまい、居づらくなった二人は先に帰っていったのだ。掃除が途中だったわとマーラは誤魔化していたが、そうでも言わないと、あの場から去れなかったのではないかと、ルシアは思った。

 柔らかなガス灯の明かりを横目に、石畳の道を重い足取りで歩いて行く。人通りのなくなった住宅地に、ルシアの足音がよく響いた。

 程なくして自宅が見えた。木々に囲まれた古い家。祖母ネヴィナと共に10年近く過ごした大切な場所。台所とリビングに明かりが灯っている。二人が待っているのは明白だ。

 そっと家の二階、開かずの間と化していた両親の部屋に目をやる。一年中カーテンで締め切られ、中を覗いたことはなかった。そこで惨劇が繰り広げられたとマーラは言うが、自分の目で確かめたわけでもないのに、そんなことを言われても全く実感がない。

 研究室で無理やり施された封印魔法も、どこまで効果があるのかどうか。

 自分もミロと同じように、別の姿を持っている。そんなこと、あり得るのだろうか。

 何度もため息を吐いて、立ち止まった。

 門扉を開けてから、玄関までの道のりが異様に長い。

 くっきりと空に浮かぶ月の明かりが、ルシアをほのかに照らしていた。


「家、入んないの?」


 男の声がして、ルシアはハッと顔を上げる。玄関前に人影があった。青年姿のミロが、ドアに寄りかかって立っていた。

 ルシアは身構えて、数歩後退った。

 ミロの目が、闇夜に光って見えたのだ。


「何怖がってんだ。取って喰ぃやしねぇよ」


 まだ悪魔の姿ではないが、存分に迫力がある。夜のミロは、美しくて、寒気がする。


「飯、出来てる。ルシアが来るの待ってたんだから」


 そう言って、ミロはゆっくりとドアを開けた。家の中から、柔らかく煮込まれた肉と野菜の香りが漂ってきた。



 *



 片付けや掃除と縁遠かったルシアの家は、たった一日ですっかりピカピカだった。

 特に台所は、新品のように光り輝いていた。


「お掃除、ありがとうございます。それに――、ごめんなさい。私、泣き出したりして」


 食卓を前に、ルシアは胸の前で手を組んで二人に謝った。

 マーラは静かに笑い、


「そんなこといいから、夕ご飯にしましょう。田舎料理でごめんなさいね。口に合うと良いんだけど」


 冷蔵庫の中身で作った野菜の煮込み、肉団子のソースがけ。庭で採った香草を添えたサラダ。

 どことなく、祖母ネヴィナの手料理に似ている。

 そう思うと、またルシアの目からはポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 マーラはそんなルシアをそっと抱き寄せ、優しく後頭部を撫でつけた。


「マーラ、教えて。私、本当のことが知りたい」


 涙ながらに、ルシアは言った。


「いいわ。まず、ご飯いただいてからね」


 マーラは、優しい花の香りがした。



 *



 食後、台所の片付けを終えると、マーラはルシアを連れて二階へと上がった。ルシアの部屋の前から奥に続く廊下の先に、例の部屋がある。ルシアが詰みっぱなしにしていた廊下の段ボールは、場所はそのまま、綺麗に表面の埃が拭き取られていた。

 ミロが面白半分にくっついてきて、階段の途中から様子を覗く。

 明かりの少ない廊下は、もうそれだけで十分に薄気味悪い。


「いつから入った覚えがないの?」


「う~ん、それが、全然思い出せなくて。小さい頃は両親の部屋を自由に走り回って、随分怒られた記憶があるんですけど」


「そう。ネヴィナが上手く誤魔化して、近寄らせないようにしていたのね」


 廊下の先の扉を見つめながら、マーラはうんうんと頷いている。


「封印魔法が二重にかけてある状態だから、少しの間なら、開けても大丈夫だと思うけど、見るものを見たらもう一度封印するわね。いい?」


「わかりました」


 ルシアはゴクリと唾を飲み込み、マーラと共に廊下を進んだ。

 部屋の前で、マーラは空中に手のひら大の円を描いた。黄色い色が、開かずの封印をゆっくりと解いていく。ギギギと軋みながらドアが開くと、マーラはルシアと、その後ろで様子をうかがっていたミロを引っ張って、無理やり部屋の中に連れ込み、大急ぎでドアを閉めた。

 部屋の中は真っ暗だった。

 そして、生臭い変な臭いがした。

 気持ちが悪い。ルシアはマーラの腕にギュッと掴まった。

 指を弾く軽快な音のあと、ポッと火の玉が宙に現れた。揺らめく炎の向こうに、薄汚れた部屋が浮かび上がる。ルシアが跳ねて遊んだ二つのベッド、綺麗な洋服がたくさん入っていて、引っ張り出して遊んだチェスト、化粧品をくすねてお化粧ごっこをした化粧台……。そのどれもに、赤黒い汚れが貼り付いている。

 マーラは何も言わず、ゆっくりと目を閉じた。部屋の中央に桃色の魔法陣が描かれ、床から壁を伝い、天井へと光が伝ってゆく。ベルーン村の石碑の時と同じように、室内は荒らされる前の状態へ。ルシアの記憶にある、楽しかった日々へと戻っていった。


 ――薄桃色に照らされたその部屋に、若い男性が一人、立っているのが見える。窓際の座椅子に、お腹の大きな女性。


「お父さん、お母さん……!」


 駆け寄り、手を伸ばしたが、触ることが出来ない。


「ルシア、これは、この部屋の記憶。よく見ていて」


 マーラの声に振り向く。

 腕組みをしたミロと共に、じっと目の前の光景を見ている。


『220年に一度の彗星だなんて、ロマンチックね』


 妊婦が窓の外を眺めながら、若い男に微笑んだ。


『良い記念日になる。どう? もうそろそろ病院へ行こうか』


『そうね。未だ今なら歩けるから。そうっと、そうっと』


 窓の外には、赤く長い尾を引いた彗星が見えた。

 男に支えられ、妊婦が部屋を出る。

 すると今度は、小さな女の子が入れ替わりに入ってくる。

 フワフワと揺れる、柔らかい髪をした、小さな女の子は、キャッキャと声を出しながら、スキップを踏んで部屋中を跳ねて回った。


「わ、私だ」


 女の子のワンピースには見覚えがあった。とてもとても大好きで、いつも着ていたお気に入りの服。跳ねる度にスカートがふわりふわりと蝶の羽のように揺れるのだ。


『ホラ、ダメよ。ここは遊び場じゃないんだから。ルシアのお部屋はお隣でしょ』


 続いて入ってきたのは、さっきの妊婦。お腹はすっかりへっこんで、少しだけ年齢を重ねている。


『やぁだもん。だって、こっちのおへやのほうが、ひろいでしょ。たくさんあそべるよ。ホラッ!』


 くるりんと、上手に回ってみせる。

 うふふと笑いながら、部屋から去って行くと、今度は入れ替わりに、もう少しだけ大きくなった少女が現れた。

 少女は苦しそうに胸を押さえている。


『どうしたの、ルシア』


 母親が駆け寄ると、少女はその場に倒れ込んだ。大量の汗、肩で息をする。


『分からない……。最近、胸がギュッと、痛くなるの。ねぇ、どうして、ママ……』


 手を伸ばす。

 長く伸びた爪。

 薄闇に光る目。

 そのシルエットが、少女の形ではなくなると同時に、母親の悲鳴が聞こえた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る