第1章 過去からの訪問者

1 奇妙な二人

 近代的なビルディングに混じって、古い建物が現役で軒を連ねる大通りの一角、気に入りのカフェテラス『木漏れ日亭』でルシアはいつも昼食を取る。高いビルとビルの間のテラス。看板メニューのホットサンドの中身は、毎日の仕入れ具合で微妙に違う。そこがまた楽しくて、ルシアは毎日毎日ホットサンドを頼んでしまうのだ。

 ルーチンが大切。

 何ごとも、同じことを長く続けることで、見えてくるものがある。

 だから今日も、ルシアはカフェテラスで気に入りのホットサンドを買おうと、街路樹の下に長く突き出た日よけの下へ入っていった。



 *



 グルーディエの王都は大陸の中でも特に古い建造物が多い。古き良き時代と言われる、200~300年ほど昔の建物が未だ現役で使われているのは、この地域に地震などの自然災害が少ない証拠だ。

 ルシアはこの景色を眺めながら、まったりと昼の時間を過ごすのが好きだった。

 セミロングの茶髪を揺らし、青い目を輝かせる彼女は、王立大学で民俗学を学ぶ苦学生。彼女の所属する研究室では、アズールと呼ばれるこの世界に散らばる様々な伝説や伝承、とりわけこのグルー大陸に点在する古い資料や遺跡群の調査を行っている。

 この世界には大昔魔法が存在し、魔物や悪魔、魔女たちが夜の闇の中で暮らしていたのだという。そして、それを裏付けるような資料があちこちから見つかっている。それらをひとつずつ精査し、真実を追究していく。

 ルシアは以前、王立図書館で以前借りた古い本の一節に『王都は、魔法で守られている』とあったのを、読んだことがあった。しかし魔法など、最早存在しない古い言い伝えでしかないもの。実際に魔法が存在したのかどうか今では検証のしようもないが、恐らく、科学が殆ど発展していなかった時代においては、言葉で説明出来ないもの全てが魔法だったのだろうと、これはお世話になっている教授の受け売りだが、ルシアもそう思う。

 例えば、現代のように車が道路を走ったり、飛行機が空を飛んだり、タブレットで動画を見たり、ホームページやニュースを閲覧したりするのだって、少し前の時代では絵空事だった。

『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』という言葉を、どこかで聞いた。

 だから、昔々魔法だと思われていたものも、もしかしたら現代科学では簡単に説明出来るかもしれないし、魔女だって、単に美しすぎる女だったのかもしれない。

 そういうふうに、滑稽だと思っていながらも興味を持ってしまうのは、どこまでが本当でどこからが作り話なのか、自分の目で確かめてみたいという探究心から来るに過ぎない。

 この日の午前中、ルシアは王立図書館で司書に勧められ、一冊の本を借りた。『ネスコー地方の風習と伝承』と書かれた本には、王都の郊外、ネスコーの森に住んでいたという魔女と、魔女と遭遇した男の体験記が記されていた。

 それだって、どこまでが本当なのか、嘘なのか。だが読み物としてはとても面白い。じっくり読むだけの価値はありそうだと借りたのだ。



 *



 通りに面したレジの前は、いつになく混雑している。どうやら揉めているらしい。

 早くしろだの、なにやってんのだの、注文待ちの客たちが店の外で口々に文句を言っている。

 見ると、不思議な風体の二人組が、何やらレジで店員とごちゃごちゃ言い合っていたのだった。


「困ります。無理です。絶対に」


「絶対? 偽物じゃなくて、ちゃんとした現金なのに?」


「ダメなものはダメです。現行通貨ならまだしも、流通しなくなって何十年も経つような貨幣は使えませんよ。銀行でご相談ください」


「あのな。これがどのくらいの価値か分かって言ってんの? 食い物なら一週間分は軽く買えるくらいの価値があるんだ」


「そうですか。申し訳ございませんが、当店ではご利用いただけません。古美術商にでも売って換金するのをお勧めしますよ。現金以外の決済方法をお待ちであれば、ご注文いただけますが」


 店員の男と揉めているのは子どもだった。

 少年はまだ15、6。透き通るような青い瞳と白い肌。夕焼け色の美しい髪を後ろで結い、大きすぎるパーカーと裾をまくり上げたカーゴパンツ。服は少しズレているが、雑誌のモデルかと思うほど端正な顔だ。

 一緒にいる大人は全身真っ黒で、冬でもないのにフード付き羽織り物を頭からすっぽりと被っていた。まるで中世のまじない師のような格好で、傍目には男なのか女なのかさえ分からない。

 オフィス街も近く、スーツ姿の会社員や学生、年配の老夫婦などが多いこのカフェには全く似合わぬ二人だと、ルシアは思った。それに、決済方法で揉めるなど、あまり若い人には見られないこと。大抵、携帯端末でキャッシュレス決済が主だというのに、話の内容を聞くに、二人は古い貨幣しか持ち合わせていない様子。それもまた妙な話だ。今時古い貨幣など入手すら困難なのに。


「ごちゃごちゃとうるさいな。畜生。マーラ、これ、使えないって。面倒くさいから魔法で今の紙幣取り寄せれば良いじゃん」


 少年がもう一人に貨幣を差し出す。


「そういうわけにはいかないわよ。通貨は信用で成り立っているんだから、魔法でひょいひょい出したり消したりしちゃダメなの」


 もう一人が妙なことを言いながら、紙幣を受け取る。

 ルシアはチラリとそれを見て、「あっ!」と声を上げた。

 10,000ガル紙幣だ。図録で見たことがある。

 最後の流通は55年前。数百年前から長い間流通していた紙幣。しかも、デザインがだいぶ古い。図柄変更が最後に行われた90年前は、時の王グルーディエ12世だったはずだが、少年が手にしていたのは、それより更に50年は前の図柄。グルーディエ8世と妻マリアンヌの肖像。

 保存状態が良い――古いものに目が無いルシアは、自分の胸の高鳴りを感じた。

 どうやって入手したのだろう。どうすれば100年以上前の紙幣をあんなに美しく保存出来るのだろう。

 ルシアは好奇心を抑えることが出来ず、行列を無視してレジの真ん前まで進んでいた。

 待ってるんだけど、並びなさいと怒号が聞こえてくるが、ルシアの耳には届かない。


「あの……、私、両替しますよ」


 ルシアが声を上げると、レジの店員と少年、マントの人物は動きを止めた。

 店員は、「お客さん! そんなことしなくても」と言うが、彼女はその言葉には反応しなかった。

 マントの人物が持つ10,000ガル紙幣を指さし、


「55年前、他国との戦争が原因で急激なインフレが起きました。その対策として行われた通貨切替の際には、1ギレーが200ガルと交換されたそうです。10,000ガルなら、50ギレーですね。55年の間に物価は数倍に跳ね上がってますから、資産価値的には同等じゃないですけれど、差し支えなければその10,000ガル紙幣と私の100ギレー紙幣、交換しませんか。55年も前に廃止された通貨は銀行では扱いませんよ。骨董商も、美術品としての価値しか見ませんから、実際売ったところで大した金額にはならないでしょう。両替というより、買い取りという形が正しいのかもしれませんが、どうですか? そしたら直ぐに買い物も出来ますし」


 ベラベラと自分の調子で話すルシアに、そこにいる誰もが耳をそばだてた。

 紙切れ同然の古い紙幣をまさか100ギレーで。

 ルシアの目線が、話している間ずっと10,000ガル紙幣に向いていたのを、黒服の人物はじっと見ていた。ルシアが話し終わると、その人はフードを取って、ルシアにニッコリと微笑んできた。


「そしたら、お願いするわ。生憎あいにく、それしか手持ちが無くて。まさか通貨が変わってたなんて思わなかったから、とても困っていたの。お嬢さん、ありがとう。後でお礼させてね」


 ――女だ。

 ルシアも、周囲の人々も思わず息を飲んだ。

 美しく長い黒髪がはらりと風に揺れる。横顔の美しい、妖艶な女。

 マントの隙間から、胸元の煌びやかな装飾品が見えた。よく見ると腕や指にも、ジャラジャラと美しい装飾を施された民芸品を付けている。


「ねぇマーラ、騙されてない? それ、どのくらいの価値があんの?」


 一緒にいた少年が、心配そうに女に食いついている。

 ルシアが財布から取り出した100ギレー紙幣を手にすると、女はじっと紙幣を見つめ、裏表を確かめて光にかざした。

 

「大丈夫よ、ミロ。そんなに心配しなくても。それにしても、素晴らしいわ。お札にしては――、装飾が凝ってる。こんなに色の入った札は見たことがない」


 代わりにルシアが受け取った10,000ガル紙幣は二色刷。透かしや磁気テープ、特殊インクが施されている今の紙幣と比べると、まるでおもちゃのようにも見えてしまう。それでも、当時としては画期的だったはずだ。


「旅行者の方ですか? 古い紙幣なんて、どこから……」


 他国の紙幣は知らないが、もしかしたらグルーディエに来るからと、どこからか古いお金を引っ張り出したのかもと、ルシアはぼんやり考えた。そうでなければ、100ギレー紙幣如きにあんなに興味を持たないはずだと。

 ルシアの言葉を最後まで聞かずに、女と少年は早速何かを注文している。

 大丈夫そうだなと横目で確認してから、ルシアは列に並んで順番を待った。

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