2 酷似
日常風景に非日常が映り込むとやたらと気になってしまう。
例えば、木漏れ日亭のホットサンドが品切れしていたり、図書館の張り紙が変わっていたり、道中で工事が始まっていたり。些細なことが気になって、そこに神経を注いでしまうのが、ルシアの悪い癖。
10,000ガル紙幣を持っていた二人組が、気になって気になって仕方がない。
特に女の方。フード付きのマントなんて、一体いつの時代の格好だろうか。マントの下の装飾品も気になるところ。あんな、骨董市でしか手に入らないようなもの、わざわざ好んで身につけているなんて、余程の変わり者だ。
ぼんやりと考えながら、いつものようにホットサンドとコーヒーを買う。そして、街路樹の下、日陰の席でランチを食べるのが彼女の日課。
しかし、足が止まる。
さっきの二人組だ。よりによって、ルシアの気に入りの席に陣取ってしまっている。
別の席に行くしかないのかと、ルシアはがっかりと肩を落とした、そのとき。
――フワッと、ビルの谷間に風が吹き込んだ。
はらりと風で女の黒いマントが揺れた。
美しく長い黒髪と、豊満な胸の曲線を誇張したような民族衣装が垣間見えた。刺繍が特徴的な黒のロングスカート、アンクレットと編み上げのサンダル、胸元の装飾品。その格好、まるでさっき借りた本の中の。
ルシアは思わず目を奪われ、そっと隣のテーブル席へと腰を下ろした。
*
カランカランと、テーブルの上で氷が小気味よい音を立てる。
クルクルとストローをかき回しながら、少年が深くため息を吐く。
「ひでぇな」
声変わりしたばかりのぼやき声に、背の高い黒マントの女が、向かい側でコクコクと頷いている。
「本当ね。変な臭いはするし、塔みたいな建物が乱立してるし、人はわんさか。妙な箱が車輪付けてビュンビュン走るし。狂ってる」
「そうじゃなくて、俺はエールを頼んだんだ。なんだ、ジンジャエールって」
「そりゃ仕方ないわよ。昼間のあなたが幾つに見えるか、よぉく考えてみたら、ミロ。子どもはお酒なんか頼んじゃダメなのよ」
女はミロの顎にスッと手を伸ばし、長い指でゆっくりと撫でてから舌舐めずりした。
「ま、昼間はマーラより小さいしね。どうせまた子連れに見られてる」
頬を膨らませてジンジャエールを飲むミロを、マーラはテーブルに肘をつきうっとりと見つめている。
「私、どうやら20代に見えるらしくてよ。もしかしたら私たち、血の繋がっていない姉弟に見えてるかも」
「ハァ? 20代? 200歳じゃなくて?」
「それでも、若く思われてるってことに違いないわ」
マーラはどこか上機嫌で、黒いマニキュアの印象的な手をそっと口元に当てた。
*
二人はとんでもない話をしている、とルシアは思った。
コーヒーをひと飲み、ルシアはじっと奇妙な二人を観察する。
「……似てる」
ルシアは借りてきた本の口絵の魔女とマーラを見比べ、生唾を飲む。
今でこそ、魔女はしわくちゃのおばあちゃんで、黒の三角帽子と黒のローブ、黒いマントでほうきにまたがり空を飛ぶなどというイメージがついて回っているが、数百年前に存在していたという魔女とは姿が違うことを、ルシアは知っていた。
元来魔女は占い師であり、薬師であり、医者のようなものであったらしい。科学を知らなかった時代に、不思議な力で病気を治したり、困りごとを解決したりしていたのだ。
ルシアが借りてきた本によると、ネスコーの魔女には刺青があると書かれている。顔と手足に、蔦を模したような刺青がくっきり彫ってあるらしい。しかし、マーラにはそれが見当たらない。ツバ広の三角帽子もなければ、長い杖もない。彼女が口にしているのは毒々しい飲み物ではなく、チョコレートパフェだ。
気のせいでは。
しかし、仮に目の前の女が本当に魔女だったらどんなに――。
大通りには車が行き交い、人はひっきりなしにカフェテラスの側を横切った。沢山の音や光がルシアの周囲に溢れていた。けれどなぜか、あの二人の周囲だけ白黒に見える。
本を閉じ、ルシアは目を凝らして耳を澄ました。
*
「どいつもこいつも、驚くほど軽装備だ。危機感の欠片もない。なぁ、マーラ。この時代で間違いないのか、
ブツブツと文句を言いながら、ミロはしかめっ面でチラチラと周囲を見まわした。
隣の席のルシアが聞き耳を立てているのを知ってか知らずか、マーラはいつもと同じ調子で答える。
「ええ。時代も場所も間違いない。あなたと同じで、昼はなりを潜めてるんでしょうよ」
言われてミロは、ふぅんと軽く呟き、ジンジャエールをググッと飲み干した。
「こんな、魔女も魔法も無用そうな時代で、
「良いの。魔女の格好は大抵どの世界にも馴染むものよ」
「そうかぁ?」
ミロは複雑そうに頭をクシャクシャと掻きむしった。
その様子を柔らかい表情で見つめるマーラ。
ルシアは頭の中でグルグル考える。そんなことはないだろうけれど、仮にマーラがネスコーの魔女だったとして、一緒にいるミロはまさか。
――目が合った。
マーラがルシアの目を見ていた。
長い睫毛の下、吸い込まれそうなほど真っ黒な瞳。
夜の闇。
途端、ルシアの中で音という音が消え、色という色が消えた。
心臓がドクンと激しく波打った。
マーラが大きく目を見開いている。そして、ゆっくりと席を立つ。ルシアの方へと足を向ける。
息を潜め、マーラから目を逸らそうとするが、ルシアの身体は石のようになって動かない。
身体の奥底から例えようのない震えが襲う。
怖い、とルシアは思った。
心の底から、正体不明のマーラが怖いと。
「……ねぇ、あなた。もしかして今」
マーラの声がルシアの頭に被さった。
ルシアは咄嗟に手元の本を隠そうと、両腕を本の上に……。
「――来たッ!」
ふいにミロが声を上げた。
立ち上がったかと思うと椅子を蹴飛ばし、ルシアの方へと飛び込んでくる。
「危ない、伏せろ……ッ!」
ミロがルシアに飛びかかる。
ホットサンドと飲みかけのコーヒーが宙を舞った。
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