3 敵襲

 ルシアは無意識に本を抱え、ミロに抱きつかれたまま後ろへと大きく倒れた。ミロの腕が地面に擦れ、ルシアの頭を守っている。何が起きているのか、ルシアはただ、目をウロウロさせた。

 椅子とテーブルがいくつも派手に引っ繰り返っているのが視界に入った。


「奇襲かよ!」


 ミロの声にハッとするも、ルシアの身体は恐怖で動かない。心臓が高鳴り、息苦しくなる。

 突然の騒ぎに驚いたのはルシアだけではなかった。そこかしこにいる人という人が、彼の動きに驚いた。何が起きたのかと、あちこちで声が上がる。

 ――ドンッと、急に店舗の壁が破裂した。

 車同士が追突し、信号機が倒れて、カフェテラスに覆い被さってくる。

 街路樹の大きな幹が根元から折れて、あらゆる方向に道を塞いだ。

 何が原因なのかは分からない。けれど、同時多発的にそれらは起きた。

 

「逃げろッ! 人間ども! 早く!」


 ミロが大声で叫ぶと、人々は我に返ったかのように散り散りに逃げ出した。しかし混乱、どこへ逃げれば良いのかと怒鳴り合い、揉め合う声が聞こえてくる。


「平和ボケが。逃げ方も知らねぇのか」


 ミロはチッと舌打ちし、人々を睨み付けた。


「聞いてたんだろ。俺たちのこと」


 ミロは腕の中のルシアに耳元で囁いた。


「俺たち、何者だと思う?」


 その声は、どこか状況を楽しんでいるようにも聞こえる。

 ルシアの返事を聞かないうちに、ミロはそっと彼女の身体から手を離した。

 立ち上がり、空を見たミロは、マーラに向かって大きく叫んだ。


「太陽が邪魔だ!」


「分かってる!」


 待っていた、とばかりにマーラは答えた。

 幾重の円、幾何学模様、そして古い文字が紫色の光を帯びて宙に浮かんでいる。


「魔法陣……!」


 地面に転がっていたルシアはゆっくりと身体を起こし、マーラを見た。

 マントがはためく。顔と手足には、蔦文様が浮かび上がっている。


「≪闇のとばりよ、邪悪なるものの姿を映し出せ≫!」


 マーラが低い声で呪文を唱えると、魔法陣は一層煌めき、辺りに紫の光を散らした。

 ――暗くなる。

 まるで夜に閉じ込められたかのように、街は突如光を失う。


「え? 何?」


 慌て、身を縮めるルシアの前に、まだミロとマーラの気配がある。


「ほらね、言ったとおりでしょ、ミロ。ヤツ・・は確実に来ているのよ。この時代にね」


 マーラの目が赤く光った。


「なぁ、マーラ。暴れてもいい?」


 さっきと違う声。かなり低い。


「どうかしら? この時代の人間は大混乱かもね」


「まぁ、混乱したところで、助からないんじゃ意味ないからな」


「それもそうね」


 ルシアの目が徐々に闇に慣れてきた。

 輪郭が見える。おかしい、確かミロは少年だったはず。けど、そこにいるのは大人の。

 そして――、空中に、黒く漂うものがある。黒いボロボロのマントを羽織る、無数の骸骨。長い鎌を掲げながら、ケタケタと声を出して笑っている。

 沢山の人がそれを見た。そして恐怖し、悲鳴を上げた。


「急がなくちゃ」


 マーラの前に赤黒い魔法陣が展開する。


「≪闇に封じられし魂よ、力を解放せよ≫!」


 魔法陣の光がミロとおぼしき人物を照らす。

 ――ルシアは、絶句した。

 悪魔だ。

 背の高い美しい男の頭に、雄牛の角があった。隆々とした筋骨、背中には大きな 蝙蝠こうもり羽。

 パーカーとカーゴパンツがなければ、それがミロだとは思わなかっただろう。

 マーラの魔法でほのかな赤色を帯びたミロは、上空へと飛び上がり、ゴキゴキと肩を鳴らした。


「さぁて、骸骨ども。お前らのご主人様はどこだ」


 骸骨は無言のまま、一斉にミロへと突っ込んで行く。


「仕方ねぇな」


 ミロは持っていた一振りの剣で、骸骨たちを次々に打ち砕いた。

 バラバラになった骸骨の残骸が、霧のように消えていく。素早い、そして強い。


「映画……?」


 目の前の光景が現実だとは、ルシアにはとても思えなかった。


「映画? 演劇ってこと?」


 マーラに話しかけられ、ルシアは動揺しながらも、そうですと答える。


「残念だけど現実よ。ちょっと刺激が強すぎるかもしれないけどね。そうそう、私たち、さっきこの時代に着いたばかりで困ってるの。あなた、色々と知識がありそうね。時間ある? これが終わったら、ちょっと協力してくれる?」


「きょ、協力って」


「うふふ。いいからいいから。――さて、一気に片を付けるわよ!」


 マーラの手が高く掲げられるのを、ルシアは見上げていた。

 視線の先にはミロがいる。彼は剣を握り直し、腰を深く落とした。


「どうせまともに喋れもしないザコだ。一発で」


 ミロの剣が金色の光を帯び始めた。

 その光で、ニヤリと笑う彼の顔が闇に浮かび上がる。


「――ね!」


 剣を振り落とす。風が吹き荒れる。光が散る。

 骸骨たちが粉々に砕けていく。

 更にその風は、ビルの壁に当たり、木々に当たり、車を吹き飛ばした。

 飛ばされそう……! ルシアは必死に足を踏みしめた。

 嵐だ。

 剣を一振りしただけで嵐が。

 助けてと人々が叫ぶ。様々な物がぶつかり合う。それでも、マーラとミロは平然としていて、それが一層薄気味悪い。


「魔女と、……悪魔?」


 震える声でルシアが言うと、マーラは嬉しそうに頬を緩めた。

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