4 協力要請
指を弾く音が辺りに響いた。マーラの手の中に闇がグイグイと吸い込まれていく。絡め取るようにして寄せ集め、腕を何回か大きく回すと、周囲はあっという間に太陽の日差し眩しい昼の世界に戻っていった。
マーラの側に居た、背の高い悪魔のような青年は消えていた。かわりにミロが、涼しい顔で立っている。
街の姿は変わり果ててしまっていた。
あちこちでサイレンが鳴り、喚き声が飛び交っている。
「狭くて戦いづらかったからな、仕方ねぇ」
ミロが短く息を吐く。
「し……、仕方なくないです。酷い。何もかもメチャクチャじゃない……!」
ルシアは思わず声を荒げた。
あの並木の葉の擦れる音が好きだった。大通りを行き交う車の流れを目で追うのが好きだった。テラスで休む人々の日常を垣間見るのが好きだった。ビルの造形美、人の歩く様、ビルとビルの間から見える雲の流れ。それが全部全部、一度に消えてしまったのだ。
息巻くルシアの前に、マーラが一歩、進み出た。
「ごめんなさい。あなたの大切なものが、たくさんあったのね」
黒いローブがルシアの視界に覆い被さった。半泣きのルシアを、マーラがぎゅっと抱きしめる。
「確かにこのままじゃ皆が可哀想ね。少し待ってくれる? 全部元通りとはいかないかもしれないけれど」
抱擁を解き、マーラはサッと正面に人差し指を突き出した。
周囲には、地面に伏して助かった人たちや、騒ぎの後に建物や車から飛び出してきた人たちでごった返していたが、マーラは人目
空中に、一筋の光。光は円を描き、線を描いた。二重の円の中に、二つの三角を上下逆さまにして重ね合わせ、星を作り上げる。隙間を埋めるように様々な文字や文様を書き上げていくと、魔法陣は青白く光り輝いた。
「――戻れ!」
マーラの目が、赤い色を強くした。
風が吹く。
ヒュオウと音を立てながら風がどこからともなく吹いてきて、倒れた木々を起こしていく。崩れていた建物の壁が、その欠片まで元の場所まで綺麗に逆戻りし、車のへっこみは直り、引っ繰り返っていたテラスのテーブルと椅子も形を戻しながら定位置へ帰っていく。
無機質なものたちが恐ろしい速度で空を舞い、動いてゆくのを、ルシアだけじゃない、沢山の人々が目撃した。カフェの店員も、さっきまで一緒に並んでいた客たちも、テラスで休んでいた人たち、道路を歩いていて巻き添えを食った人たち、引っ繰り返った車から命からがら這いだした人、救急要請で到着したばかりのレスキュー隊員や警察、建物の中に居た人たちも、みんなみんな、目撃してしまったのだ。
「相変わらずスゲぇな、マーラは」
感心したようにミロが言う。
「ひとつひとつの物質の密度が高い分、少し直すのに時間がかかるわね」
マーラの刺青は、魔法の発動と共に淡く光っていた。
――食べかけのホットサンドとコーヒーが、ルシアの座っていた席に戻ってくると、ようやくマーラは力を抜いて腕を降ろした。そのときにはもう、彼女の刺青はすっかり消えていた。
どこからともなく拍手が湧き、どよめきが湧く。携帯端末を掲げる人々が目に入り、ルシアはハッとして、
「あの! 撮られてますよ」
と言うが、マーラたちはピンときていない様子。
「今の魔法、撮影されてます」
もう一度重ねるが、やはり反応が薄い。
「サツエイ? よく分からないわ。それより、さっき話したとおり、協力して欲しいことがあるんだけれど」
マーラは何食わぬ顔で、ニッコリと微笑むのだった。
*
ホットサンドは結局買い直した。なんとなく、どこに落ちたのか、どうやって戻って来たのかわからないものを口にするのは気が引けた。
だいじょうぶよとマーラは言っていたが、衛生的に考えてルシアは納得は出来なかった。
店先でテイクアウトのホットサンドを抱えながら、ルシアはマーラとミロをジロジロと見た。やっぱり只者じゃない。格好だけおかしいのかと思ったけれど、どうも違うらしい。
「ネスコーの魔女……?」
ルシアが身を縮めて恐る恐る訪ねると、マーラはパッと目を見開き、
「よく知ってるわね。それとも私、そんなに有名人だったかしら」
さっき赤く光っていた目は、彼女本来の黒い瞳に戻っていた。
「違う違う。持っている本、読んだんだろ。テーブル席でずっと本の中身とマーラを見比べてた。随分古い本だった」
「へぇ。あれから何年経っているのか知らないけれど、私、本に書かれるほどには有名人なのね」
「どんなことが書かれてるのか、知れたもんじゃないぜ。大体、マーラは色々やらかし過ぎるんだよ。後生に語り継がれるなんて、普通じゃ考えられないからな」
立ち話を続ける二人を見ているうちに、ルシアは少しずつ不安になってくる。
目立ちすぎて、人々の視線を常に浴びているのだ。
「あ、あの。協力して欲しいって、ちなみに」
「――そうそう。大事なことを忘れるところだったわ。さっきも言ったとおり、私たちはさっき到着したばかりなの。人捜しをしていて、しばらく滞在する予定なんだけど、宿を借りるにも、多分私たちが持っているお金だと足りないのよね? 少しの間で良いから、泊まれる場所、教えて貰えないかしら」
宿……。ルシアは頭を上げてしばらく思案した。
家を失った人たちのために、教会が提供する簡易宿泊所が最初に頭に浮かんだ。誰でも自由に借りられるし、素性を明かす必要もない上、安価で借りられる。けれど、魔女と使い魔らしき二人に紹介するのはどうだろう。一説では魔女は悪魔を信仰していると言うし、教会とは真逆の位置にありそうだ。
かといって、学生の自分が金銭を提供するのは難しい。さっきは10,000ガル紙幣の珍しさに負けて思わず現金と交換してしまったが、生活費には限りがある。これ以上の妙な支出は避けなければならない。
「それからもう一つ、この時代のことをもう少し詳しく知りたいの。今まであちこち飛んで来たけど、どうも私たちが知らないことが多そう。例えばあなたの掛けている……、眼鏡なんて、私たちの知っている物と全然形が違うじゃない。変な乗り物、変な建物、変な格好どれもしっくりこないものばかり。ねぇ、ルシア。ご協力いただけない?」
首を傾げて笑う姿は、本当に可愛らしい。
マーラはルシアの判断を簡単に鈍らせてしまうくらい美しくて、そうか、魔女とは側に居るだけで魔法をかけられてしまうような存在なのだなぁと――そこまで考え、ルシアはハッとした。
「名前、言いましたっけ。私」
「いいえ。顔に書いてある」
「――嘘ッ!」
両手で顔を覆って、ルシアは大慌てで自分の顔を見る道具を探そうと、バッグの中をひっくり返したり、店の窓ガラスを覗いてみたり。
「うふふ。嘘嘘。私、魔女だから」
ルシアの小さな鼻を、マーラはツンと人差し指でつついた。
「私はマーラ。あなたが言うところの、ネスコーの魔女。そして彼は私の大切な人。ミロというのよ。少し生意気でごめんなさい。どうやら泊まれるところは直ぐには見つからなさそうね。となれば、ルシアのところに少しの間、お邪魔させて貰おうかしら」
困る、という言葉が出てこなかった。
急に眠気が襲い、頭の中がぼうっとしてきた。
ルシアにはそれがなんなのかわからなかったが、麻薬のような、催眠術にかかったような気分とはこのことを言うのだろうと、そんなことを頭に巡らせていた。
「……分かりました。落ち着くまでの間だけですよ……」
ルシアは自分の意思ではないのにそんなことを口走ってしまう。
「本当に悪い女だな、マーラは」
愛想を尽かしたようなミロのセリフが、最後に耳に残った。
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