5 連携

「じょ、冗談は時と場所を選んで言いなさいよ、マーラ。いくら何でも無理だわ。私とモルサーラ様の魔力にどれほどの隔たりが」


 アシュリーは明らかに怯えていた。

 恐怖による支配によるものだと、マーラには分かっていた。アシュリーは元来、素直で真面目な魔女。どこかでモルサーラに接触し懐柔されてしまったと、風の噂に聞いていたのだ。

 モルサーラは不安定な人の心に見事につけ込んで、相手を絶望させることで支配下に置く。彼が何を目的に恐怖の王国を築こうとしているのか知る由もないが、本当の意味で彼に心酔しているのは一握りなはずだ。


「あなた、『自分にとって何が愉しくて、何が得なのか、そういうのが大事』って言ったわよね。それは私も一緒よ。但しそれは、恐怖にまみれた世界では達せられない。平穏な日常があって、沢山の営みがあって、その中にほんの少し隠れた恐怖が魔女だったり魔法使いだったり、闇に生きる魔物だったりするのが良いのよ。私は自分が長年好んだ世界に浸りたいだけ。あなたが言うように、私は魔女にしては頭がおかしいのかも知れないけれど、この広い世界に生きる者として当然の考えで動いているつもりよ」


 アシュリーは無言で目をそらした。

 竜と化したモルサーラの攻撃を必死にかわし、時に魔法を放つ悪魔の姿をした“流星の子どもたち”を、それまでとは幾分か違う目で見ているようにも思えた。


「小動物に変身するのが上手で、何度も脅かされたことを今でも思い出すわ。村人を困らせたり、からかったり、魔女集会サバトで大魔女に変身して混乱させて、こっぴどく怒られたこともあったわね」


「子どもの頃の話じゃない」


「今は違う? モルサーラの理想のためだけに動く駒だから?」


「それは」


「みんな、自由になりたいのよ。誰しも。モルサーラも、あの若い王様も。でも、自由は相手を束縛して得るものじゃないわ。自由ならば何をしても構わないのでは、争いが絶えないようになってしまう。だから人間は法律を作ったのでしょう。私たち魔女だって、互いに干渉し合わない、相手のやり方を否定しないっていうザックリとした約束事に基づいてずっとやって来たわけでしょ。誤解のないように言っておくけど、モルサーラへの忠誠を否定しているわけじゃないのよ。好きにしていいの。だからといって、私と私の大切なあの子との日常を崩して良いってわけじゃないでしょう」


 クスリ、とアシュリーの顔から笑みがこぼれた。

 まるでマーラの理屈をくだらないと言い捨てるかのように。


「で? ネスコーの魔女マーラ様は、私に何を望んでいるの。出来ることはとても限られているけど」


 徐々にアシュリーに表情が戻ってくる。

 待ってましたとマーラは頷いて、アシュリーにウインクした。


「所詮、変身術だと言うことは分かっているの。ただ、あなたが言うとおり、モルサーラとは力の差がありすぎる。だからちょっと、頭を使おうと思って」


「具体的には?」


「出来るだけ言葉を短く、相手に悟られぬように変身術を強制解除して。魔力の増幅については少しだけ考えがあるわ。私が氷柱の魔法を連続してかけるから、モルサーラがそれを壊している隙に、彼目掛けて魔法を放って欲しいの。タイミングが難しいけど、あなたの腕前だし、何の心配もしてないわ。いいわよね」


 アシュリーが頷くのを確かめると、マーラはモルサーラに向かって駆けだした。

 竜の姿に変わったモルサーラには、常識的な攻撃は一切聞かないようだ。ミロは大鎌を振って身体に突き刺そうとしていたが、堅い鱗は何も受け付けない。ルシアは身体の内側に魔法を浴びせていたが、これも全く無意味のようだ。

 それでも攻撃の手を止めないのは、マーラに意識が向かないよう配慮してのことなのだと、彼女には分かっていた。だから、一刻も早く作戦を実行させなければならなかった。

 アシュリーからある程度距離を取ったところで、マーラは立ち止まり、魔法陣を錬成し始めた。青白く凜とした魔法陣を前に、呪文を詠唱する。


「≪邪悪なる竜を巨大な氷柱で取り囲め≫」


 ――ズンと、大きく地面が揺れた。

 そこに居る誰もがハッとして動きを止めた。

 ゴゴゴッと激しい音がして、地面から透明な氷柱が一つ、また一つとせり出していく。

 それがマーラの魔法によって出現した巨大な氷柱だとミロやルシアが気が付くまで、少し時間がかかった。自分たちの身体よりも遙かに大きく太い氷柱が、予告なく様々な角度でどんどんせり出していったのだ。二人は氷柱に当たらぬよう、身を躱している。

 マーラの魔法の勢いは止まらなかった。

 巨大な竜の身体を取り囲むように出し続けた氷柱は、ついに氷の檻を形作った。

 透明な檻の間から、モルサーラはギロリと巨大な目を覗かせ、魔法の主であるマーラを睨み付けた。

 

「何をしているのかと思えば、こんな小賢しい真似を」


 ガラスのように透明度の高い氷柱の向こう側に、モルサーラが炎を口に蓄えている様子が見える。

 マーラはフフンと笑って、わざとらしくモルサーラを挑発した。


「まさか、炎で溶かすつもり? これだけの量を溶かすのに、どのくらい時間がかかるのかしらね」


「溶かす? こんなもの、一瞬で」


 モルサーラはそう言って、丸太よりも大きく太い尾をブンと振り回した。

 巨大な氷の柱は、竜の尾が当たった部分から折れ、砕かれた。モルサーラはその感触に気を良くしたのか、倒れた柱が地面に付く前に両腕を使って次々に叩き壊した。

 すさまじい音を轟かせながら、あっという間に氷柱が砕かれていく。

 その、氷が砕け散る瞬間、モルサーラの頭上に出現した赤黒い魔法陣が目映いほどの光を放った。


「≪変身術を強制解除し、人間の姿を取り戻させよ≫」


 アシュリーの魔法陣が発動していた。

 目の前の氷柱に気を取られていたモルサーラは、頭上の魔法陣には気が付かなかったのだ。

 光に気が付き、ハッとして上空を見上げるモルサーラ。

 魔法陣の光は更に勢いを増した。

 宙に漂う無数の氷片は、その断面を鏡にして魔法陣の光を幾重にも跳ね返した。

 氷の断面は様々な方向に光を拡散させ、マーラが想定していたのよりも遙かに複雑に辺りを照らした。

 竜の外郭が崩れてゆく。

 鱗が落ち、肉が溶け、骨が砕かれ、小さく小さく縮こまってゆく。


「ま、まさか……!」


 元々魔力の強いアシュリーの、最も得意とする変身系の魔法。自身以外の変身術を強制的に解除して元の姿に戻すそれが、沢山の屈折を繰り返して広がったのだ。


「――今だ!」


 雄牛の悪魔姿のミロは、そう言って高くジャンプし、ブンと鎌を大きく水平に振り回した。

 パリンと世界が割れるような高い音とともに、無限空間が上下に切り裂かれた。

 空間を形作っていた結界はいとも簡単に破られ、まるでガラス片が砕け落ちるかのように、バラバラと天から崩れた。

 大小様々な空間の欠片と氷片が、まるで激しい嵐によって叩きつけられた雨粒のように足元に落ちてゆく。マーラとアシュリーは咄嗟に魔法で防いだが、モルサーラと王、ルシア、そしてミロはそれを防ぐ余裕すらなく、両腕で必死に頭を守ることしかできなかった。

 魔法の光はその間も乱反射を続け、辺りを白く照らした。

 そうして、目映い光の奥に王宮の執務室がすっかりと姿を取り戻したとき、どうにかその場に立っていたのは、魔女の二人だけ。しかし、その二人とて、肩で息をして、やっと立っているだけの状態だった。


「どうにか……、なったみたい。ありがとう、アシュリー」


 マーラの礼にアシュリーはフンと鼻で笑って答えた。

 モルサーラの結界が完璧だったからだろう。執務室には何の異常もない。

 マーラの目論見通り、青年姿に戻ったモルサーラが倒れていて、その近くに、鎌を持ったまま力尽きたミロと、背中を丸めて倒れるルシアの姿がある。


「戻ってる……?」


 ミロは金髪の青年姿に、ルシアも少女の姿に戻っていた。

 拡散した魔法の光が二人の姿をも、元に戻してしまったのだ。

 日が高い時間とはいえ、“流星の子ども”が三人まとめて存在する空間では、封印魔法は完全に機能しないらしい。ミロばかりではなく、ルシアもまた、少し大人びた身体のままだ。

 マーラはふらつく足で、恐る恐るミロとルシアに近づこうと歩き出した。

 ――その時だ。

 銃声が一発、執務室に響いた。

 マーラのすぐ後ろの壁に、指先一つ分ほどの穴が空いていた。

 慌ててその出所を目で探ると、マーラに向けて銃を構える一人の男が立っている。


「何が、『僕に任せてくれれば』だ。何が『誰も僕を倒せない』だ。くだらんくだらんくだらんくだらん……!」


 男は大きく肩で息をしながら、口角を上げた。


「王国の復興と、全世界アズールの支配のために、絶大なる力をと、サーラは言った。すべてが順調だった。それが……、台無しだ。お前の、ネスコーの魔女マーラのせいでなぁ!」


 グルーディエ15世は、平和な王国の象徴には相応しくない激しい憎悪にまみれた顔で、マーラに銃口を向けていた。

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