4 無限空間
結界の魔法は、安定した魔力の供給がなければ難しい。
王宮を守る結界には大量の魔力が必要なため、多くの魔法使い、魔女たちが集められているはずだ。交代で結界を守り続けることで、この不穏な気配を民に気づかせないようにしているのだろう。
実際マーラでさえ、暗闇の結界を張るときにはかなりの力と注意力が必要だ。張ってお終いなのではなく、その維持に膨大な力を使うのが結界魔法。なるべく少ない魔力で効率的に強固な結界を張るというのは、ある意味永遠の課題のようなものなのだ。
モルサーラの横暴な結界は、マーラやアシュリーの想像を遙かに超えるものだった。
その効果はあくまで執務室に限られているはずだが、結界の中は無限空間。自分が好きに暴れてもなんら被害が及ばぬよう、強大にこしらえてあるのはもちろんだが、これだけ巨大な空間として成立させるのは至難の業。
底なしの魔力があるのだと、結界魔法だけで感じさせてくるモルサーラに、マーラは震え上がった。
一体何に戦いを挑もうとしているのか。
このままひれ伏してしまう方が、明らかに簡単ではないのか。
執務室の床が何処までものび、前後左右、天井までもが消えた空間に、マーラたちはいた。王はモルサーラの後方、涼しい顔で事態を見守っている。逃げ損なったアシュリーは床に這いつくばりながら、ここから出してと叫び続けていた。
悪竜へと姿を変えたモルサーラは、天を見上げて大きく息を吸い込んだ。胸部が大きく膨れるのを見たミロは、マーラを抱えたまま振り向き、背中に引っ付いたルシア共々モルサーラとは逆方向へと走り出した。
「え、ど、どうしたの?!」
困惑するルシアに、
『炎が』
ミロは言葉を叫んだが、ルシアの耳には獣の叫び声しか届かない。
竜の口から放射された火炎が、ミロとルシアの背中を焼いた。強烈な痛みに足をもつれさせて倒れる二人。マーラはミロの腕の中から這い出して、二人に回復の魔法をかけようとするが、それより前に竜の巨大な手が目の前まで迫り来る。
『マーラ!』
毛皮の焼け焦げた痛々しい背中が、マーラの真ん前に。
普段は傷つくのも嫌がるミロが。
マーラは泣きそうなのを堪えて、魔法を発動させる。しかし、ミロとルシアにじんわりと魔法が効いてきたかと思えた次の瞬間には、竜のかぎ爪に激しく引き裂かれ、二人は胸に大きな傷を作っている。
ミロの傷が特に深い。
床が血にまみれる。
「愚かだな。魔女さえ殺してしまえば、すべてが終わるというのに」
冷淡な王の言葉が響く。
再び、竜の口の中に炎が蓄えられていくのが見える。
「それはダメ」
言ったのはルシア。
慣れない身体で踏ん張り立つ。左腕を右手で支え、手のひらを突き出して、身体の底から湧き上がってくる力をルシアは必死にコントロールしようとしていた。
「マーラは導いてくれる。間違ったところへ行きそうなときも、変な力に惑わされそうになったときも。真にこの世界に必要とされるのは、モルサーラじゃない。マーラのような、慈愛に満ちた心を持ち続ける人よ」
ルシアの周囲に僅かに風が起こる。
「選択を誤ったね、王様。こんなことをしていたら、想定よりも早く王国が滅びてしまうんじゃない? 民は思っているほど魔法の力なんて信じてない。王国の存在、王家の存在は誇りではあるけれど、王宮が狂っていくのを見過ごすほど愚かでもない。信頼できる者が居ないから? 最後の王族としての孤独に耐えかねたから? いずれにせよ、あなたはもう、王様の器じゃない。モルサーラに惑わされた、可哀想な、ただの子どもよ」
グワッと、モルサーラの竜の口が開かれる。
ルシアはありったけの力を左手に集中させ、一気に放った。
炎がルシアの力でかき消されると、モルサーラはギリギリと歯ぎしりし、もう一度大きく炎を吐き出した。
二回目の攻撃には間に合わない。
ルシアはぎゅっと目を閉じ、炎を浴びるのを覚悟した。
――免れた。マーラのシールド魔法が間に合い、三人は炎を避けた。
「小癪な……! 」
攻撃を避けられたモルサーラは、大きく身体を前に傾け、ガバッと大きく口を開いた。
飢えた獣が食料を探すように、竜と化したモルサーラは激しく執拗にマーラたちを追いかけ回した。
鋭い牙が光る。もし捕らえられればひとたまりもないだろうことは、誰にでも想像できた。
全く平坦で、隠れる場所すら見つからない。
巨大な竜を倒す手立てがなければ、逃げ回っている間にこちらの体力が尽きてしまう。
マーラは振り向きざまに氷の魔法を放ち、大きな氷柱を何本も空間に出現させた。しかしそれは気休めにすらならず、竜は体当たりであっという間に粉々にする。
炎の魔法も、雷の魔法も、何をしても巨大な竜はすべて振り切ってしまうのだ。
「まともに戦うのは無理だわ」
マーラがぼそりと呟いた。
「変身術を解くか、この巨大空間を無効化するか」
とにかくどちらかを先んじなければ、なぶり殺される。
……ふと、マーラの頭にある考えが降りてくる。
「ミロ! 私をアシュリーのそばまで連れてって!」
求めに応じ、ミロはさっと身体を黒い霧に変え、マーラの周囲を数回巡った。マーラの身体をも黒い霧の中に取り込むと、そのまま竜の身体をかすめ、半ば放心状態のアシュリーの真ん前へ。マーラだけが実体化し、黒い霧はそのまま、竜に追われるルシアの元へと戻っていった。
アシュリーは恐怖でガタガタと震えていた。
綺麗に結っていた髪もボサボサで、モルサーラにやられたのか、服も乱れ、所々破れている。
マーラは膝を折り、彼女の傷を癒やす魔法をかけた。柔らかな桃色の光りに包まれ、アシュリーは次第に体力を取り戻していく。
「何してるの……、マーラ。あなた、相当いかれてる」
魔法の効果か、そんなことを言えるまでにはアシュリーは回復していた。
「いかれてるのかもね。いかれてるついでに、とんでもないことを思いついたの。一緒に、モルサーラを止めましょう。こんなバカげた遊びはお終いにしてあげるの。王様にも目を覚まして貰わなきゃならないし、この時代に残る魔法使いや魔女たちにもくだらないことに魔法を使わないようにさせてあげなくちゃならない。“流星の子どもたち”にかけられた呪いだって、もしかしたらどうにかなるかも知れない」
なんの、希望も持てないような状況なのに、マーラの目はキラキラと輝いて見える。
アシュリーは思わず吹き出して、
「何言ってるの。変な魔法にかかった? とうとう狂ったの?」
ケラケラと笑い出した。
するとマーラもふふふと笑う。
「狂ってるのかも。私、魔女のくせにみんなを救いたいだなんて、変なことを思ってしまったのよ。自分のことだけ、自分の守りたい物だけ守ればそれで良かったはずなのに、余計なことに首を突っ込んで、とうとうおかしくなったのね。そう、あの子を、王子を預かったあの日から、私はおかしな魔法に冒されていたのだわ。王妃はきっと知っていたのね。私がこうして長い月日を過ごしていく間に、次第にそういう気持ちになっていくことを。そうして、あの悪魔に身を変えてしまった王子さえ、いずれこの世界を救うひとつの欠片となっていくことを、彼女は強く望んだ。その想いが、時を超えて大きな魔法になっている」
魔法の力である程度傷の癒えたアシュリーは、ゆっくりと立ち上がった。
マーラも一緒に立ち上がり、アシュリーの目をじっと見つめた。
「変身術が得意だったわよね、アシュリー。大抵の魔女は、自分の得意な魔法と相反する魔法を同時に取得する。毒の魔法が得意であれば、解毒の魔法を。炎の魔法が得意であれば、それを消すための水の魔法を。暗闇の魔法が得意であれば、その暗闇に灯す火の魔法を。そうやって、弱点を克服することで、力の弱い魔女でも生き残れるようにと、代々教えられてきた」
「それがどうしたの?」
「モルサーラの変身術を解く。多分、私よりあなたの方が得意よね」
マーラは自信たっぷりに優しく笑った。
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