第5章 日常から非日常へ

1 疑惑

 エルトン・ファティマが朝大学に出勤すると、学内は既に騒がしかった。駐車場に王都警察の車両があり、人の流れが滞っていた。

 首を傾げながらも、特に深く考えずに研究室へと向かうと、程なくして事務室から内線が入る。エルトンに、警察の方で話を聞きたいと、そういうことらしい。


「教授、なにかやらかしました?」


 ナーガがフランクに言うと、エルトンは唸った。特に何も思い当たる節がない。


「名声とか経歴とか、そういうのに縁もないし、何かしらの不正に関わった覚えもないが」


 そうこうしているうちに、研究室に刑事が二名やってくる。

 挨拶を交わし、ミーティング用テーブルに案内して、要件をうかがううちに、エルトンの顔色はたちまち真っ青になった。


「この写真に写っているのが、この研究室に所属する学生だとわかり、少し事情をうかがえないかと」


 モリスと名乗った刑事が差し出したそれは、二日連続で発生した、大通り爆破事件の写真だった。

 一枚は二日前、黒いマントを羽織った女と、宙に浮かぶカフェの椅子やテーブルの写真。人影がちょこちょこ映り込んでいるが、黒マントの足元で屈んだ小柄の女性を、刑事は指さした。

 もう一枚は昨日、カフェより少し大学側にある歩道で、黒服に三角帽子の魔女めいた格好をした女に羽交い締めにされる、若い女性。逃げ惑う人々の姿が背景に写っている。そして、壊れたビルの壁、煙を上げる車。


「この女性と、この女性は同一人物だと思われます。聞き込みの結果、王立大学の生徒だと判明しました。この研究室所属の学生、ルシア・ウッドマンで間違いありませんか」


 モリス刑事の声が静かな研究室に響き渡った。

 話を聞いていたエルトンは勿論、室内にいたナーガとジェドは互いに顔を見合って驚いていた。


「偶然とはいえ、二日連続で事件に巻き込まれている。しかも、ウッドマンさんの側に居るこの黒服の女性も、同じく二日連続で目撃されている。黒服の女性は魔女だと、アズール・ネットで話題のようですが、真偽は不明です。教授はこの黒服の女性をご存じでは?」


 手元がぶれてはいるが、それはネスコーの魔女マーラに違いなかった。見切れたパーカー姿の少年と青年は、両方ともミロのようだ。

 アズール・ネットに動画が上がっていたのは知っていた。新聞にも写っていた。だが、だからなんなのだと高をくくっていた自分が恥ずかしいとエルトンはため息を吐く。もっと慎重に行動するよう、伝えるべきだったのだ。特に、発達しすぎたメディアとは縁遠い魔女と使い魔には。


「黒服の彼女に何の嫌疑が?」


「捜査段階ですので、詳しいことはお話出来ません。あくまで、ご存じかどうかと」


 隣に居たハンソン刑事がピシャリと言い放つ。

 エルトンは答えに窮した。嘘をついたところで、いずれ分かってしまうのだろう。

 しばらく刑事とにらめっこしていたが、やがて力を抜いて、観念したように答えた。


「知ってます」


「それは、誰かの紹介で? それとも、研究調査の途中でお会いになった」


「調査の途中です。数日前、ベルーン村に調査に行きまして。ネスコー地方の寒村です。僕は研究室の学生たちを引き連れて、古い屋敷の裏にある石碑を訪ねたんです。そこでばったりと。確かに彼女は魔女でした。魔法を使うんですよ。この目で見ました」


 刑事たちは顔を曇らせた。

 疑えばいい、とエルトンは思った。ベルーン村役場で聞けば、自分の話が嘘でなかったことが証明される。あの魔女を見て、村長たちが困り果てていたのを見たのだ。


「魔法? 教授はそういったものも研究を?」


 モリス刑事が想定通り顔を歪めながら尋ねてきた。


「いいえ。私はアズールに伝わる言い伝えや、それに関わる書物・資料の研究です。その中に魔法や魔女、悪魔、魔物などの存在が散見することは珍しくありません。昔、この世界には存在したらしいですからね。今は科学に取って代わられていますが、昔はそういうものを信仰していたようです。魔法や魔女を私が信じているわけではありませんが、この黒服の彼女は、間違いなく魔女でした。目の前でぱあっと、石碑が昔の姿を取り戻したんです。嘘だと思うなら、そこの学生たちに聞いても大丈夫ですよ。それから、ベルーン村役場でも尋ねてみてください。村長が立ち会ってます」


 そこまで言うと、流石に刑事たちは押し黙った。

 そして、次の質問。


「では、この黒服の彼女と、ルシア・ウッドマンの関係は?」


「関係? さぁ。知りませんね」


「ウッドマンさんが黒服の彼女と歩いているのを見かけた人がいます。本当は、二人の関係をご存じなのでは」


「いいえ。二人の間に何があるのかまでは。まさか、ルシアを疑ってる? 彼女はただの苦学生です。爆破事件に関わるようなことはありませんよ」


 鼻で笑って見せた。それがエルトンの精一杯だった。

 刑事たちは何やらコソコソと机の下にメモを隠し、話していた。

 エルトンは腕組みをして平静を装って見せた。


「学生たちに話を伺っても?」


「どうぞ」


 そう言うと、刑事たちはナーガとジェドの方へと足を向けた。

 エルトンの心臓は、激しく鼓動していた。この場に――、リオルがいなくて良かったと思った。

 ルシアのことを知っているのは、自分とリオルだけのはず。リオルがナーガやジェド、サーファにまで話していれば別だが、内容が内容だけに、リオルも話せなかったに違いない。エルトンでさえ、ルシアのことをマーラに頼まれたのに、どうしても他の学生たちには言い出せなかった。

 ルシアが呪われた“流星の子ども”だなんて、口が裂けても。

 彼女を慕うリオルならばまだしも、他の学生たちが知ったら、どうなることか。

 人間は異端を嫌う。異端だと分かれば、友人知人であっても非難したり、排除したりするのが人間という生き物だ。

 新に信頼出来る人間にしか、こんな恐ろしいことは話せないはずだ。

 エルトンはナーガたちの聞き取りに耳をそばだてた。大丈夫そうだ。通り一辺倒のことしか喋ってない。

 刑事たちは聞き取りを終え、


「それでは、また何がありましたら、ご協力お願いします」


 と、決まり文句を言って去って行った。

 エルトンはにこやかに彼らを見送ったが、その姿が消えると、そのままフラフラと頭を抱え込んだ。ナーガもジェドもエルトンを心配したが、彼は、


「根詰めすぎて、ちょっと寝不足で。仮眠してくるよ」


 そう言って誤魔化し、仮眠室へ向かったのだった。

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