2 左手の魔法陣
「両手を出して」
マーラが言うので、ルシアはそろそろと手を差し出す。
「ちょっと貸してね」
マーラはそっとルシアの両手を握り、優しく揉みほぐした。
綺麗になったダイニングテーブルの上で、マーラはまじまじとルシアの手を見ている。
ルシアの手は小さい。手ばかりではなく、身体も少し小さい。成人女性の平均より明らかに小さな身体は、成長期前よりほんの少し大きくなった程度で、童顔なこともあり、よく子どもと間違えられる。
それに比べてマーラの手は、細長くてしなやかで、美しい。綺麗に手入れされた爪には黒いマニキュアが光っている。
十分に揉みほぐされ、手が温まると、マーラは「よし」と頷いて、ニッコリと笑った。
「少し痛くなるけど、我慢してね」
手のひらを下にして、テーブルの上で指を広げるように言われ、ルシアは素直に従った。と、マーラはルシアの左手の甲をゆっくりと両手で撫でた。
「手を動かすと、もっと痛くなるかもしれないから、動かさないように」
再三の注意。
ふぅと長く息を吐くマーラ。そしてブツブツと、口の中で何かを唱え始める。
――左手の甲が、急激に熱くなってゆく。まるでアイロンを押し当てられたかのようなヒリヒリとした痛みが走る。
「マ、マーラ! 熱い!」
慌てて右手で引き剥がそうとすると、マーラは凄まじい力でルシアの左手を押さえつけた。
「ダメ。もう少し待ちなさい」
表情を変えず、更にルシアの左手に熱を加えるマーラ。ジュワッと煙が上がっているのが見えると、ますますルシアは混乱した。
左手の甲が火傷している。間違いなく、これは火傷の痛み……!
ルシアは甲高い声で叫び、必死に逃れようとした。しかし、マーラは全く応じなかった。
「もう少し、もう少しよ。いち、に……、さん……。ハイ、もう大丈夫。お終い。手を楽にして良いわよ」
ようやくマーラが手を放すと、ルシアは自分の左手を引っこ抜いて、右手でサッと押さえた。未だ痛い。一体何をされたのか、確認しなくてはと左手の甲を見る。しかし。
「あ……、れ……?」
何もなかった。
火傷の跡も、何かされたような跡も。
焼けるような痛みもいつの間にか引いていて、只そこにはいつもの自分の手があるだけだったのだ。
「ルシアの左手に、見えない魔法陣を焼き付けたの。私たち魔女が魔法を使うときには、空中や地面に魔法陣を描くのを見たでしょう。だけれどあんなの、急に描けるようにはならないから、予め手の甲に魔法陣を描いておいたのよ」
「見えない……、魔法陣」
「他の“流星の子どもたち”と同じように、恐らくあなたにも相当の力が眠ってる。そして、その力は“流星の子ども”同士で影響し合うと言ったわね。今は未だ現れていない力が、あなたの意思とは関係なく現れたり、暴走しそうになったりするかもしれない。そのときに、上手く自分の中に力を引っ込めたり、丁度いいだけ使ったり出来るようになれば、その力は驚異じゃなくなるわ。今のところ、ミロも似たような感じで力を調整してる。全部の力が出てしまったら、多分彼もサエウムみたいになってしまうでしょうね。それをさせないため、自我を保つための魔法陣よ」
ルシアはマーラの話を聞きながら、自分の左手をじっと見つめた。
透明なインクで描かれたイメージで良いのだろうかと思いながら。
「力が溢れ出しそうになったら、左手を胸に当ててギュッと押さえ込んで。そして力が身体の中に引っ込んでいくのをイメージする。逆に、どうしても力を出さなければならないときは、左手を前に突き出して、自分の中から力を放出するのをイメージするの。最初から力をコントロールすることは出来ないと思うけれど、次第に慣れるわ」
マーラの言葉通り、左手を胸に当てたり離したりしながら、ルシアはうんうんと何度か頷いた。
けれど、そんなことを急に言われたところで、未だ自分の力も分からない、そういった場面に遭遇するかどうかも分からないルシアは、まるで映画かドラマの演技指導のようだと苦笑するばかり。
ルシアのそんな態度には目もくれず、マーラは続ける。
「魔法には属性があるの。光、火、水、風、土、闇、聖。それぞれが特性を持ってる。“流星の子ども”や私たち魔女が使えないのは“聖”の力。これは聖職者じゃないと難しいわね。……そもそも、この時代に“聖”の力が使える聖職者が残っているかどうかだけれど。逆に言えば、それ以外の力は大抵使えるわ。自分が一番使いやすそうな属性をイメージして魔法を使う。ミロは魔法より、武器を作り出して振り回すのが好きみたいだけど、その辺は好みの問題ね」
確かに、以前悪魔の姿で暴れまわったミロを見たとき、彼は両手剣を振り回していた。あれも魔法の力で錬成したものなのだろう。
「魔法には決まりがないの。ルシアの好きなようにイメージして、好きなように名前を付けたり、呪文を作ったりしても大丈夫。全ては術者の力量に委ねられる。そういう風に力を使うようなことにならなければ一番良いのよ。でも、そうは行かないと思うわ」
「そう……、ですね……」
ルシアは顔をしかめながら、じっと左手の甲を見つめた。
血塗られた開かずの間での出来事や、昨日の見知らぬ魔女のこと、自分が産まれた日の話。考えれば考えるほど、自分には変な力があるのかもと思い始めてしまう。
少し前なら笑い飛ばしていたのに。
どうしてこんなことに。
「ミロも、使いこなすまでには時間、かかりました?」
ルシアが聞くと、マーラはリビングの方に目をやって、そうねと頷いた。
「数年は苦しんだかも。私、“流星の子ども”を扱うのはミロが初めてだったから、とても焦ったのを覚えてるわ。どんなにか悪い夢だったら良かったのにって、思ったもの」
何百年か前、ルシアと同じように死神星が降る夜に生まれたというミロ。マーラに預けられなければどうなっていたのだろうか。もしかしたらグルーディエ王国そのものがこの時代には存在していなかったかもしれないのかと思うと、不意に寒気が襲う。
もし、自分と同じだったなら、きっと幼い彼は王宮の中で大暴れしたに違いない。それを思えば、ミロの母親である王妃は機転が利いたのだ。自分の子供を可愛がるばかりに王国が失われるのを恐れたのだろう。
それにしてもと、ふとルシアは思う。
マーラとミロに出会って以来、色々とあり過ぎて、まるでずっと夢の中を漂っているような感覚なのだ。こうしてマーラが親身に自分のことを心配していることも、魔法などと言う非科学的なものに支配されそうになっていることも、記憶にない昔のことを掘り返されてしまったことも。
ぼんやりと左手を光にかざし、無言で見つめるルシアの耳にチャイムの音が聞こえてくる。
「ルシア、これ、呼び鈴の音じゃなくて?」
マーラに肩を揺すられ、ルシアはハッと立ち上がった。
何度も繰り返す音。急ぎの用事か、忙しない。
「ちょっと見てきます」
立ち上がり、玄関へと向かう。玄関脇のリビングのソファでミロが未だ寝息を立てているのがチラリと見えた。
大急ぎでドアへ駆け寄り、のぞき穴から向こうを覗う。背の高いニキビ顔。リオルだ。
玄関ドアを開けると、リオルは物凄い勢いでドアを開け、無理やり中に入って、バタンと戸を閉めた。
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