3 追っ手

 夜活動する分、身体を休めるのはどうしても朝になる。ルシアの家に上がり込んでからは、リビングのソファがミロの寝床だった。少し硬いが、一人でゆっくり出来るのがいいのだ。

 見たことのない奇妙な物が溢れているのがしゃくに障るが、それでも他の場所よりはくつろげる。

 この時代に来てから見る夢は、いつもマーラと暮らした森の家のこと。深い深い森の奥、優しい風と柔らかな木々の日差しに守られた魔女の家。夜には山を徘徊し、時には空を飛んで王都まで行った。マーラはよく、『あの城があなたの本当の居場所』なのだと教えてくれたが、何の実感も湧かなかった。何を言っているのだろうと首を傾げ、ただ自分はマーラを守り、マーラの側に居て、マーラに愛されていれば良いとそう思っていた。

 そういう夢を何度も見た。

 魔法の力で死神星の呪いを押し込めてくれたマーラには感謝しかない。自分が自分でいられるのはマーラがいたからだ。そうでなければ、自分もニゲルの魔女ラマの使い魔、サエウムのようになっていたに違いない。あの獰猛で野蛮な男のことを思い出すだけでも寒気がする。

 そして、この時代で出会ったルシアも――、自分やサエウムと同じ気配がする。

 彼女の暴走を食い止めた魔女ネヴィナは、恐らくマーラに近い。

 稀なのだ。そういう魔女は。

 殆どの魔女はニゲルの魔女ラマと同じように、流星の子どもを人間だとは思っていない。手懐ければ丁度いい使い魔になると、そういう認識だ。

 夜の間、家の周辺を警戒していたが、特に異常はなかった。朝になれば人間どもが動き出す。そうすれば何かしら動きがあるかもしれない。そう思うと、頭の半分は寝ることを拒否して、ただ目を休めているだけの状態になってしまう。マーラは寝なさいと言ったが、それは無理な話だった。


「リオル、おはよう。どうしたの急に」


 ルシアの声で完全に目が冴えた。

 玄関に背を向けたソファに寝ていたミロは、こっそりと起き上がり、様子を覗った。

 古いルシアの家は、玄関を入ると直ぐにリビングに出る。家具で仕切りは付いているが、ダイニングや廊下との扉もほぼ開けっぱなしにして風通しを良くしていた。

 そのお陰で、ソファで寝ていると、客の出入りは丸見えなのだ。

 ソファの背からコッソリ顔を出して玄関ドアの方向を見ると、前日にルシアと一緒にいたリオルという男が玄関ドアの真ん前に突っ立っている。

 なんとなく前日とは違う雰囲気のリオルに違和感を覚えながら見ていると、彼はしきりに外を気にしながら、やっと落ち着いたとばかりに胸を擦ってゆっくりと息を吐いた。


「おはようじゃないよ、ルシア。俺が送ったメッセージなんて全然見てないだろ。携帯はどうした、携帯端末は。魔女と関わり始めてから、すっかりメディアとは縁遠い生活だな。ここに来るのにだって、どれだけ気を遣ったか分かってるのか?」


 まくし立てるようなリオルに、ルシアは困った顔で首を傾げている。


「そんなこと言われたって、私だって色々と……」


 言いながら、体のあちこちをまさぐるルシア。


「携帯……、携帯携帯……」


 と、上着のポケットからすっかり存在感のなくなった携帯端末が出てきた。手に取り、通知画面を見て、ルシアはハッとする。


「それ、ルシアのことじゃないのか? 『王立大学生、爆破事件に関与か』。ニュースやネットで話題だぞ」


 ルシアは血相を変えて、リオルに顔を向ける。

 リオルは困ったようにため息を吐き、事情を説明した。


「さっき大学に行ったら警察車両があった。ファティマ教授の研究室がどうの、爆破事件がどうのって噂を耳にした。嫌な予感がして引き返したんだ。その後何度も携帯に連絡したけど返事がないし、ニュースでは魔女と爆破事件がどうの言い出すし、これはマズいと思ってこっちに来たんだ。……今のところ、ルシアんとこには何も来てないみたいだな。魔女は? 未だ一緒にいる?」


 畳みかけるようなリオルの言葉は、ルシアの耳には半分も届いていない。

 ニュース記事を読む。


「『二日連続で起きた大通りでの爆破事件は、目撃者、被害者も多数おり、王都を騒がす事態となっている。車両が爆発し、電柱が倒れ送電線が切れた大通りは復旧工事に遅れあり、市民生活は打撃を受けた。二日とも、現場で黒服の女が目撃されており、王都警察によると、一緒に行動していたとみられる女性は王立大学の学生だと確認された。黒服の女が魔法のようなものを放っていたという情報と、それを裏付ける動画がアズール・ネットに複数アップされていた。二日目はカメラを破壊される事例があったが、ネット配信をしていたユーザーがいて記録が残っており、テレビ中継でも多くの市民がそれをリアルタイムで見ていたため、既に混乱は全世界へと広がりを見せている』……な、なにこれ」


「続き、もっと重要だから見て」


「『政府と警察は、これを無差別テロと断定。警察は全力で、テロを起こしたとされる黒服の魔女とおぼしき女の行方を追っている。そして、女と一緒に行動していた王立大学生を重要参考人として調査を』……テロ? アレが?」


「だそうだ。まぁ、事情はさておき、いろんなものを破壊してしまったんだ。仕方ないだろうな」


「仕方なくなんか。リオルも事情は知ってるでしょ? アレはマーラがやったんじゃなくて」


 そこまでルシアが言うと、リオルが途端に動きを止める。


「マーラ? その魔女の名前、マーラって言うの」


 リオルの言葉に、今度はルシアも違和感を覚えたようだ。

 端末から目を離し、ルシアはじっとリオルを見つめ返す。

 気配を殺し、ミロもゆっくりと立ち上がる。


「……あれ? リオル、どうして知らないの? もう何度も面識が。――ちょっと待って。誰。あなた、リオルじゃない。誰……?」


 怯え、後ずさりするルシアを、リオルは不敵な笑みを浮かべて見つめている。


「女の……、臭いがする。彼女が出来た? 女の人と寝た? ……違う。男の臭いがしない」


 フフッとリオルの口が歪み、シルエットが揺らいだ。

 やはりか、とミロは心の中で呟き、ソファの上から思いっ切り飛び出した。


「――キャァッ!」


 ルシアの甲高い声。

 背後からミロに押し倒されるリオル。


「マーラ! 出番だぜ!」


 ミロの言葉を待っていたかのように、ダイニング側からマーラが現れる。既に目の前には魔法陣が展開されていた。

 感情を抑えるように冷徹な顔をしたマーラは、静かに呪文を唱えていく。


「≪姿を変えし魔の眷属よ、真の姿を光に晒せ≫!」


 魔法陣が金色に煌めき、光が満ちる。リオルの身体が光を帯び、徐々に姿を変えてゆく。

 身長が縮み、髪の毛が伸び、華奢になって。


「女……?!」


 驚くミロ。

 息を飲むルシア。

 光が弱まり、リオルだった人物は、ようやくその本当の姿を晒した。

 黒いスーツを着た女だ。長い茶髪を綺麗に結い上げた、作り物のように綺麗な女性。

 女が顔を上げると、ルシアはまた悲鳴を上げた。


「あ、あなた。昨日バス停で……!」


 リオルと二人、ユロー行きのバス停で待っていたときに立っていた、綺麗な女だった。妙な気配に鳥肌が立ったのを思い出すと、ルシアは混乱したのか何度も首を横に振った。


「当たりぃ。ルシアちゃん、記憶力良いわねぇ」


 女はミロにうつ伏せ状態で床に抑えられたまま、不敵に笑って見せた。


「もう少しだったのに、残念。このままリオル君だと信じて私と一緒に来てくれればそれでお終いだったのに、面倒なのが家の中にいたわけね」


 余裕を見せる女。

 ルシアはまた震えている。

 魔法を放ち終えたマーラが、ゆっくりと女の側へと歩いてきた。そして彼女の側に屈み、その顎の下に手を忍ばせてギロリと睨み付けた。


「相変わらず変身術がお得意ですこと。――リーリウムの魔女アシュリー。モルサーラをこの時代に連れてきたのはあなたでしょう。何を企んでるの。ルシアを連れてどこへ行こうとしてたの」


 顔を歪ませるマーラに対し、アシュリーはフフッとまた気の抜けるような笑いで返す。


「怖ぁい。嫌ぁね。仕事よ、仕事。今は王都警察のアシュリー・クロスとして、テロの首謀者である魔女とその仲間である王立大学生を追っていたの。警察で事情を聞きたくて。そしたらコレよ。ざまぁないわね」


「ケイサツ? 憲兵隊のことよね。嘘でしょ。あなたみたいな魔女を雇うなんて、あり得ないわ」


「嘘じゃないわよ。なんなら警察手帳を」


「そんなのはどうでも良い。本当の目的を言いなさい。本当は知ってたんでしょう。私がここに居ることも。そしてルシアが……」


「――じゃ、本当なんだ」


 アシュリーはニヤリと笑った。


「ルシアちゃん、“流星の子ども”なのね」


 マーラはそのまま固まってしまった。

 アシュリーを押さえつけるミロの手が力を緩めた。

 そして、ルシアは頭を抱え、激しく叫び上がった。

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