6 ピエトロ屋敷の裏
「ルシア……! 後から追いかけてくるはずじゃなかったのか?」
エルトン・ファティマ教授の低い声に、ルシアはビクッと反応して振り向いた。
蔦が絡まり、窓さえ見えなくなってしまったピエトロ屋敷を背景に、教授と同じ研究室の仲間四人、それから村の人らしき二人の男が立っていた。
「きょ、教授……! えっと、これは、その……」
言葉に詰まるルシア。けれど、彼らの視線が自分ではなく、その後ろにいるマーラとミロに注がれているのに、ルシアは直ぐに気が付いた。
どう考えても不自然だ。
定刻通りに出発し、予定の電車とバスを利用して辿り着いた教授たちよりもずっと早く、ルシアは石碑の場所に到着していたのだから。それどころか、見慣れぬ怪しい格好の二人を連れている。注目してしまうのは無理もないことだ。
両手を振り回して誤魔化そうとするが、当然のようにかえって目立ってしまう。
しかも、マーラもミロも動じることなく石碑をじっと見つめたままだ。
「魔女、魔女じゃないですか? 魔女ですよ……! 何で魔女がここに」
役場のネームプレートを下げた中年男性が慌てた様子で声を上げた。
エルトンが男を制して、恐る恐るルシアの方に歩いてくる。
草だらけの小道を抜けると広がる、石畳を綺麗に敷き詰めた空間にルシアたちは立っていた。
昔はレンガで囲ってあったのだろう。長い年月に雨風で朽ちてしまったのか、草の陰に直線的に残る盛り土がその名残だと思われる。強固に作られていたはずの鉄扉の一部分も、草の隙間から辛うじて見える程度に残っている。
石畳の中央には崩れかけた石碑がある。情報通り、表面が削れ、字は殆ど判別出来ない。
「えっと、説明、説明難しいんですけど、ちょっとしたことがあって、彼女たちと知り合って……ええと」
弁明しようにも、どう説明したら良いのか分からない。ルシアは青い顔をして、口をパクパクさせていた。
「魔女……? ネスコーの魔女に似てるような」
エルトンはポケットから取り出した眼鏡をかけて目を細めた。
そしてしばらく思案し、懐から出したタブレットを取り出し、画面を見つめる。
「えぇ?! ご、ご存じなんですか、ネスコーの魔女のこと」
ルシアは驚いて動きを止め、エルトンに駆け寄った。
「あ、ああ。少し前に王立図書館で借りていた資料に魔女のことが書いてあってね。そこに書いてあった口絵、写真撮ってあるんだけど、似てるなと……」
エルトンのタブレットを覗き込むと、ルシアが今朝借りたばかりの本の口絵が映っている。
「この本、教授が借りてたんですね……!」
「ああ。今は君が?」
「はい。今朝司書さんに勧められて」
ルシアとエルトンが難しい顔をしながら話し込んでいるのを不審に思ったのか、研究室の仲間も次々に寄ってくる。
「ルシア、お前どうやってここに」
特にリオルはご機嫌を斜めにしてルシアに強い口調で当たった。
ルシアは思わず肩を竦めて身を引いた。
「ど、どうやってって。ええと」
目を泳がせ、チラチラとマーラたちの方を見る。
本当のことを言ったところで信じて貰えるはずもない。
「そもそも魔女って、実在するんですか? さっきネットでチラッと話題になってましたけど、魔女が王都に現れたとか? 昨今はそういう合成映像を流して喜ぶ
そう口を挟んできたのは、ジェド。細面で四角四面な彼は、真っ正面から食ってかかった。
エルトンはそれでも怪訝な顔ひとつせず、タブレットの画像とマーラを見比べている。
「まぁ、可能性としてはね。僕も移動中そのニュースは見たよ。アレが合成かどうか、僕は画像処理について詳しくないから判別は出来なかったけれど、少なくとも嘘っぽくはなかった」
「教授は魔女の存在を否定しないんですね」とナーガ。
エルトン・ファティマはこくりとうなずき、
「最初から否定するのはナンセンス。それに、魔女の伝承はネスコーのあちこちに存在する。ネスコーの魔女だけじゃない。世界中、魔女や魔物で溢れていた時代だってあった。様々な資料を見る限り、とても民衆の想像力や恐怖心だけが造り出していた存在ではなさそうだと、僕は思ってるんだけどね」
厳しい目をして、マーラたちと石碑の方をじっと見つめた。
周囲は異様な雰囲気に包まれていた。
遅刻したはずのルシアが魔女らしき女たちと先回りしていたことも原因のひとつだろうが、王立図書館を通じてエルトンとルシアが同じ本を借りたこと、ルシアと一緒にいる女がネスコーの魔女の口絵に似ていること、そして薄気味悪い石碑を見つめたまま動かない二人組のことなど、様々なことが重なり合い、不気味さを増幅させている。
後方で様子をうかがっていたサーファが恐る恐るルシアの側に寄ってきて、囁いてきた。
「ねぇ。本当に魔女なの? まさか魔女に連れてきて貰ったとかいわないよね?」
ドキリとして、ルシアは目を見開いた。
「嘘……、本当なの? ――あ! もしかして動画の隅っこに映ってたのはルシ……」
そこまで言われて、ルシアは慌ててサーファの口を手で塞いだ。
人差し指を口の前に立て、必死に首を振って誤魔化そうとするが、それを研究室の面々は
混乱していたのは研究室側だけではない。役場の職員と村長も、突然の魔女の登場に困惑している。見たことのない女、しかし、確かに民話で目にする魔女の格好をしている。石碑に異様な関心を持ち、じっと
「なんだか、妙なことになってきましたね、村長……」
「うぅむ……」
互いに顔を見合わせ唸りあう。
大切な村の遺跡として立ち会いが必要なため、安易に立ち去ることも出来ない彼らは、ただ事態を見守るしかない。
背の高い木々に囲まれた石碑の周辺は、村の外に比べても気温が低い。それどころか、冷たい風がふぅっと吹いて肌を撫で、震え上がってしまうほどだ。
「帰っちゃダメですよねぇ……。なんだか嫌な予感が」
「私の立場からそれはちょっとアレだねぇ……」
村役場の二人が苦しい顔をする中、それまでじっと石碑を見つめていた妙な二人組が動き出した。
魔女の方が一歩一歩石碑に近づき、手を当てて何かを唱えている。
石碑の表面に光り輝く魔法陣が浮かび上がると、その光によって辺りが明るく照らし出されていった。
「ま、魔法……?」
それまで口々に自分の思うことを言い合っていた一同は、その不思議な光景に釘付けにされた。
薄桃色の光が魔女を中心にして急速に周囲に広がっていくと、おどろおどろしいピエトロ屋敷の裏が、まるで時代を何百年も戻していったかのように美しい花園へと変わってゆく。朽ちて地面と同化していたレンガの塀も、鉄扉も、隙間に草が生えて表面の削れていた石畳も、蔦や蔓でグチャグチャになってしまっていた石碑の周りも、瞬く間に驚くほど整った美しい庭園となった。
そしてそれらが、魔女の放った魔法と同じ淡い桃色の光を漂わせたまま存在し、その中に自分たちが立っていることに誰もが驚き、おののいた。
「す……、素晴らしい……! これが魔法……! あなたはもしや本物のネスコーの魔女か……!」
一番感動していたのは、エルトン・ファティマ教授だった。
魔女というものが伝承通り存在したのだという、その感動に酔いしれていた。
しかし当の魔女マーラは、石碑を見たままじっとその文面を見つめ、何とも苦い顔をしていた。同じように、マーラの直ぐ隣で正面から石碑を見ていたミロも、石碑の文字を読み、もの悲しそうな、苦しそうな顔をしているのだった。
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