7 流星の子ども
風化して文字の消えかけた石碑は魔法の力によって一時的にその本来の姿を取り戻していた。美しく磨かれた石の表面に刻まれていたのは古代アズール文字と呼ばれる、今はもう使われることのなくなった古い文字だ。
マーラとミロはじっと文字を見つめ、立ち尽くしていた。
辺りはマーラの魔法で淡い桃色に包まれ、その光の差すところが全て数百年前の風景へと変わっている。視覚的な変化だけではない、感触さえも再現させた魔法に、そこにいた誰もが感動していた。
ルシアもときめかせながら周囲を見まわした。
荒れ放題の裏庭が、まるで手入れしたばかりのよう。不気味だった木々も、柔らかな光で照らされ、幻想的に見えている。
そんななか、魔法よりも石碑に関心を持ったのは、言うまでもなく王立大学教授のエルトン・ファティマだ。少年のように目を輝かせ、スタスタと石碑の方へと歩いて行く。そして、表面の字がハッキリと読めるようになった石碑を見つめ、ブルッと身体を振るわせている。
石碑は、大人の背丈よりも少し大きかった。横長四角の表面にギッシリと刻まれた文字が現代語でないことを確認すると、タブレットで一度撮影した上で、ポケットから手帳を出し、ペンで文字を書き写し始めた。エルトンにも古代文字は読めない。後でゆっくり解析するつもりのようだ。
「凄い……! 全く読めないことも想定して、道具も用意していたが、これは感動だ……!」
口から感嘆の言葉しか出てこないエルトンにようやく気が付き、マーラとミロが振り返る。
「ん? ルシアの仲間?」
ミロが首を傾げたところで、ルシアが慌てて駆け寄った。
「そ、そうなの。彼はお世話になってる教授。それに仲間も……」
さっき研究室の仲間にマーラたちのことをどう説明するかで悩んだのに、今度はその逆だ。出来ればこういう鉢合わせ方はしたくなかったのに、本当に、今日はどうにかしている。
ルシアは一人大量の汗を掻いていた。
「石碑の調査がどうのって言ってたわね。それがこの石碑なのね」とマーラ。
振り返って、文字の内容を確認し、またため息を吐く。
「あまり、よろしいことは書かれていないわ。この石碑を守るために、ピエトロの一族はここに屋敷を構えたってことね。変わり者だったけれど、村長として彼も何か思うことがあったのでしょうね」
マーラが言うと、エルトンはハッとして彼女に振り向いた。
「ま、まさか、ピエトロと精通していた魔女って」
「ええ、恐らく私のこと」
エルトンは目を見開いた。
「旧家だと言っていた。私もピエトロの時代になってからこの村に来るようになったから、詳しいことは知らなかった。石碑の存在は聞いていたけれど、碑文については全く、ね。大事なことを忘れないよう、いつかまた災いが起きる、その前に子々孫々に語り継がねばと彼の祖先が建てておいたのでしょう。石碑を守るように屋敷を建て、ずっと守っていくはずだったのに、どこかで血が途絶えてしまったのね」
悲しげに言うマーラの目線は、ピエトロ屋敷に向いていた。
エルトンはそんな彼女の表情を見ながらも、自分の好奇心を抑えきれなかった。頭の中で言葉を整理するよう、一拍おいてから、恐る恐る声に出す。
「石碑には何て」
直ぐに古代文字を解読出来なかった自分を認めるのは恥ずかしいが、もしわかるならと訊いたようだ。
ルシアも、周囲の学生たちも村長、職員の男も、マーラの次の言葉を、固唾を呑んで見守った。
マーラは一度目を伏せ、ミロの顔を見てから、グルッと大勢の方に向き直った。
「――“流星の子ども”の話は聞いたことが?」
誰も反応しない。
伝承に詳しいだろうエルトン・ファティマさえ、しばらく思案した。
「『
「――“流星の子ども”の話は、他の地方にもあるな」
エルトンが言葉を遮る。
マーラは、そうでしょうと小さく頷いている。
「昔、流れ星はかなり不吉なものだと思われていたらしい。ただ、ここで言う流れ星とは、正確には彗星のことだったようだが……、『大きな星が尾を引いて落ちてくると流行病を連れてくる』だとか、『国が滅びる』だとか。要するに、普段星というのはいつでも天空の同じ場所にあるものだが、それが堕ちること自体不吉なのだと、そういうことらしい。伝染病の流行や戦争が偶々彗星の飛来の周期と重なることがあったが、天文学の発展していなかった時代には、そのような解釈が世に出回っていたんだ。そのひとつが、“流星の子ども”ってことなんだろう。不吉な日に生まれた子どもだとして、お祓いや
皆一同に、二人の解説に聞き入る中、ミロだけが皆からゆっくりと背を向ける。
「私は詳しく知らないのだけれど、尾を引いて落ちてくる星には周期があるのよね?」とマーラ。
「その通り」
エルトンが頷き解説を続ける。
「彗星は一定の軌道で星々の周囲を巡り、アズールへと向かって落ちてくるように見える。大きなものから小さなものまで数えれば、かなりの彗星があるはずだ。その中でも一際大きく大天文ショーとして有名なのが、君たちの生まれた頃に観測された……」
「“マグヌ・ルベ・モル彗星”。“大きな赤い死神”の異名を持つ彗星ですね」
得意げに答えたのはナーガだった。
エルトンは深く頷き、話を続ける。
「『大きな火の玉が落ちてくるように見えた』という記述を、何かの文献で見たことがある。“マグヌ・ルベ・モル彗星”は他の彗星より群を抜いて大きい。星について詳しく知らなかった昔の人たちが恐怖を抱いていたのは納得出来る」
「その星のことかどうかは分からないけれど、流星の中には大きな魔力を持っている星があるのよ」
マーラはそう言って、また話を続けた。
「赤々と燃えながら落ちてくる流星が、崩れながら小さな星の欠片を零していく。その欠片が当たると、人は魔性に変わる。特に生まれたばかりの子どもは身も心も真っ白でいろんなものに染まりやすい。大人ならば寄せ付けぬことも出来る魔法でも、赤子にはそれを防ぐ術はない。――だから、流星の夜に生まれた子どもは殺さねばならない。これはもう、私が生まれるずっと前から語り継がれていたことで、そういう風習はあの時代では一般的だった。例えば普通の身分の子どもなら、殺してしまえばそれでお終いだったでしょうに、あの年、運悪くグルーディエの王妃は産気づいた。そして、流星の夜のうちに、赤子は元気に産声を上げた……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます