8 ミロの正体

「ネスコーの森に暮らす私のところに高貴な女性が生まれたばかりの子どもを抱えてやってきたのは、いつの時代だったかしらね。『このままでは命を狙われてしまう、王子を助けてください』と、私は懇願され、渋々赤子を引き取った。『流星の夜に生まれた子どもは死んだことにして、どうか守ってやってください。魔女ならば魔性の力についても詳しいでしょうから、どうにかしてくれるのでしょう』と。無責任な親だと呆れた覚えがある。子どもなんて育てたことないって言うのに、彼女は潤んだ目で私を見つめていた。その顔が忘れられなかった」


「――で、マーラは、その子をどうしたんですか」


 ルシアが恐る恐る尋ねると、マーラはニッコリと微笑んだ。


「王子だってことを伏せて、まるで我が子のように育てた。とても可愛くてね。自分が魔女でなくて、普通の女だったら、きっと幸せを噛みしめていたと思うわ。魔性の力なんて全く感じなかったし、とてもやんちゃだけれど、素直な子どもに育っていった。けれどそれも、長くは続かなかった。彼が15歳を過ぎた頃から、悪夢は現実になっていった」


 マーラの表情が急激に曇る。

 そして淡く光っていた景色が徐々に光を失い、元の薄気味悪い屋敷裏の景色に戻っていく。


「最初は、小動物だったかしらね」


 マーラがチラリとミロを振り返る。

 ミロは頭を抱え、俯いている。


「早くに気が付けばよかった。悪いことを覚えただけだと、私は単に叱っただけだった。徐々に狙う獲物が大きくなった。中型の動物、馬や牛。そこで終わればよかったのに、彼は私の目を盗み、人間の村を襲うようになってしまっていた。血の臭いを漂わせて、人間の言葉も分からず、獰猛な只の悪魔に変わっていた。終いには、姿形さえも――、すっかりと悪魔になってしまった。魔女とはいえ、私にも心がある。あの日王妃がどんな気持ちで赤子を置いていったのか考えると、胸が締め付けられそうだった」


 胸の前に、震える手を引き寄せ、マーラは高ぶる感情に堪えている。


「『流星の子どもはわざわいを呼ぶ。赤い死神星が降る夜に子どもが生まれたら、情をかけずに殺しなさい。過去に何度も、流星の子どもたちは狂い、村々を破壊し、人々を虐殺した。この先また、何度も同じことが起きるだろう。聖なる魔法でも、流星の子どもの呪いは消えない。そしてまた仮に、流星の子どもが複数人現れたなら、そのときは呪いの力が更に強まって、眠っていた魔物たちが次々に姿を現すことになる。流星の子どもは一人でも生かしてはならない。その血が一滴も残らないよう、火あぶりにして殺さなければならない』――石碑には、そう書かれているのよ」


 気持ちを押し殺すようにして、マーラはそう語り、寂しそうな顔で笑った。

 あまりの内容に、そこにいた誰もが息を飲んでいた。


「こんな面白くない話をわざわざ石碑に刻んで、ずっと守ってきたなんてね。あれから何度星が落ちて、何人の子どもたちが生まれ、死んでいったか。所詮、言い伝えよ。信じるも信じないも、後の世の人間の自由だと思うわ。それに、魔物だなんて――……、魔法も必要なくなったこの時代には縁遠い存在でしょう? 気にするべきではないと思うわ」


 マーラは振り向き、頭を抑えて何かを考え込むミロの身体をグイと引き寄せて、優しく守るようにしながらズンズンとルシアたちの前を通り、屋敷の表側に向かって歩き出した。

 チラリと見えた顔があまりにも険しく、ルシアは胸が苦しくなった。



 *



 魔法が消えた石碑の周りで、調査は淡々と行われた。

 村長と役場の職員立ち会いの下、様々な角度から写真を撮り、念のため持ってきていた道具でゆっくりと石碑表面の凹凸の型を記録していく。小さなカメラ型の機械から光線を当てて、その跳ね返り具合を観測することで、3Dデータを作成するのだ。石碑の表と裏、文字の書かれている形跡のある部分を何度も丁寧に読み取っていくことで、より正確な3D画像を製作し、文字の解析に役立てるのだ。

 マーラの魔法で浮かび上がった文字と、エルトンが手帳に書き記した文字、3D画像から解析される文字が同じであることを確認した上で、文章を現代語に訳していく作業を行う。

 解析器は二台。読み取った画像を別端末で確認しながらの作業を、日が暮れる前までに済ませる必要がある。


「教授はあの魔女の言葉、どこまで本当だと思いますか」


 端末の解析画像を見つめるエルトンに、リオルが尋ねた。

 エルトンは無言だ。


「もし仮に本当の話だったとしたら、王家に呪われた子どもが生まれていたってことになる。聞いたことはないですよ、そういう話は」


「……昔は、王家といえど、死産が多かった」


 エルトンはぽつりと返した。


「死産だけじゃない、生まれて数日で亡くなることも少なくなかった。そういうことにしてしまえば、途中でいなくなっても何ら不都合はない。彗星の周期を計算して、彼女の証言にピタリと当てはまる子どもがいたならば、より説得力も上がるだろう」


「つまり、信じたと」


「そこまで断言はしないがね。……嘘を、ついているような感じじゃなかった。それに、魔女と一緒にいた少年も気になる。何にせよ、普通じゃない事情がありそうだ。ところでルシアは?」


「あぁ……、確か、屋敷の表の方に走っていきました。あの二人を追ったのかも」


「少し、様子を見た方が良いな」


「え?」


「ルシアがどういう経緯であの二人と出会ったのか知らないが、少し様子を見た方が良い。リオルはルシアの連絡先知ってたな。先に帰っても良いって伝えてやれ」


「ハァ……」


 リオルは首を傾げ、渋々と自分の携帯からルシアにメッセージを打った。



 *



 屋敷の表にルシアが走ってゆくと、そこにマーラたち二人の姿はなかった。

 夕暮れが近づいてきて、少しずつ村人が町に戻って来ていた。聞き込みをしながら二人を探して歩くと、村はずれのバス停の近く、小さな公園にいることが分かった。黒いマントの女というマーラの特徴ある格好のお陰で、思ったよりも早く探し出すことが出来たのはよかったのだが、ルシアが辿り着いたとき、ベンチに腰を下ろした二人は以前と印象が違っていた。

 マーラは自分の胸に寄りかかるミロの背中を抱えるようにしてしきりに擦っている。

 ミロの身体は小刻みに震えて、何かに怯えているようにも見える。

 ルシアは二人を見つけても、なかなか話しかけられなかった。なんだか二人の間だけ、特別な時間が流れているような感じで、そこに割って入るのがはばかられたのだ。

 先に声をかけたのは、マーラの方だった。


「ルシア。来てくれたの」


 ルシアは小さく頷いて、ゆっくりとマーラたちの方へと歩いた。


「ごめんなさい。余計なことをしてしまったわね」


 マーラは申し訳なさそうに謝ってきた。ルシアは首を横に振って、「大丈夫です」と答える。


「それより、ミロは大丈夫なんですか? 途中から様子がおかしかったような」


「途中からと言うよりは、この時代に来てから、だけどね。一度姿を戻してあげたから少しはスッキリしたんじゃないかと思ったけど、そんなこともないみたい。落ち着いた場所でもう一度魔法をかけてあげないと」


「魔法、ですか」


「力を抑え込む魔法。夜になると弱まってしまうけれど、せめて日中はね、普通の少年の姿をさせてあげたいじゃない」


 ミロの方に視線を落とす。尋常ではない汗を掻いている。それに、呼吸も荒い。


「“流星の子ども”」


「はい?」


「ミロは“流星の子ども”。昔々に預かった、グルーディエ王国の王子」


 マーラはそう言って、曇りのない目でルシアを見上げていた。

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