3 転移魔法

「よく気が付いたわね。そう、魔女は空を飛べるのよ。もしかして、私の力が必要なのかしら」


 目を細めるマーラ。

 黒いマントを揺らめかせて、不敵に笑う。

 強い日差しの下、真っ黒な格好のルシアは、それだけで一層不気味に見える。

 ルシアはこくりと頷いて、


「さっきうっかり口走っちゃったので、わかってると思うんですけど、ネスコー地方にあるベルーン村に行かなきゃならない用事があったのをすっかり忘れていて、今物凄くピンチなんです。カフェであんなことがなかったら、多分間に合ったと思うんですよね。何でだか全然分からないけど、家に案内したり、こうやって付いて来たり。本当に本当に困ってるんです」


 年上の人間に……、魔女に向かって失礼だとは思いつつ、キツイ口調で突っかかった。

 道のど真ん中、何をしてるんだろうと、通行人がチラチラとこちらを覗いている。それだけで、ルシアは顔が熱くなった。だけれど、そんなことよりもルーチンを崩されて苛立った気持ちの方が大きかった。


「本当はこんなこと頼みたくないんですけど、こうなったのも元はと言えばあなたたちに出会ってしまったことが原因だし、私だってそれ相応のお礼というのをして貰うべきだと思うんですよ。両替のお礼ですよ。未だ何も貰ってませんから、少しぐらいわがまま言っても良いですよね」


 あんまり苛立つと、眼鏡の位置が気になる。ルシアはクイッと眼鏡を押し上げてマーラを睨み付けた。

 そういうこと、とマーラは呟き、


「そうね。一番大切なことを忘れてしまっていたわ。そう、お礼。魔女にだって礼儀はあるわよ。そうしたら」


 両手の人差し指をゆっくりと顔の位置まで上げ、


「空を飛ぶには二つ方法がある。あなたに選んで貰おうかしら。一つ目は、ほうきで空を飛ぶ方法。昔ながらの魔女のようにね。少しお尻が痛くなるのが辛いところだけれど、そういう仕様。物凄く早く飛ぶから、風圧には気をつけてね。二つ目は、転移魔法。魔法陣を描いて、好きなところへ身体を飛ばすの。身体が魔法の粒子に分解されるのが嫌だとか、飛んだ後に吐き気が酷いだとか、色々と難癖付けられるけれど、直ぐに着くわ。どっちがいい?」


 ほうきか魔法か。

 どちらかを選べとマーラは言う。

 二つの指を交互に見ながら、ルシアはしばらく悩んだ。どっちもどっち、危険な方法であることに違いはなさそうだ。

 マーラの後ろからミロが顔を出し、ニヤニヤ顔を見せている。早く選べと急かしてくる。


「ほ、ほうき……と行きたいところですけど、転移魔法でお願い出来ますか。さっき、魔法を何種類か拝見しました。当然、今の時代魔法なんてありませんし、魔法を見たのも初めてですけど、かなりの使い手なのだということは私にだって分かります。ほうきで飛ぶロマンも捨てがたいですけど、それはまた、余裕のあるときで。魔法で、連れてってください」


「――良い度胸ね」


 口を固く結ぶルシアに、マーラはご機嫌そうだ。

 周囲をクルクルと見渡して、路地へとルシアを引っ張ってゆく。


「魔法詠唱中に邪魔が入るのは嫌だから、人気ひとけの少ないところで」


 そう言って路地をどんどん進み、人通りがなくなったところで、マーラは「さて」と足を止めた。

 レンガ造りの古い家に挟まれた路地は、日の当たる表通りに比べると気温が若干低く、肌寒い。枯れた葉っぱや木の枝が隅っこに溜まって、わびしさを演出している。この奥に進むと古い街並みが広がる住宅街が広がっている。


「魔法はね、集中力が必要なの。戦いの時にはそんな贅沢言ってられないけれど、せめて普段は心静かに行いたいところよね。この町の空気は昔から変わらなくてとても良いわ。魔法の詠唱に持ってこい。……ところでルシア。目的地はベルーン村のどの辺り? あの辺なら少し土地勘があるわ」


 マーラの声は、静かな路地によく響いた。艶っぽく、柔らかい声だ。

 ルシアは肩をすぼめながら、遠慮がちに答えた。


「石碑、なんですけど。知ってますか? 数百年前のものじゃないかってことだから、もしかしたらマーラさんもご存じだったり……」


「石碑?」


「はい。確か、村の北側、森に面した大きな洋館のそばにあったと」


「北側の大きな洋館? 村長だったピエトロの家のことかしら。確かにあったかもね。……わかった。飛んでみましょう」


 黒いマントの隙間から、マーラはそっと右腕を出し、地面に手のひらを向けた。

 足元の石畳が淡く色を発し始め、そこに光で円が描かれていく。

 どういうカラクリなのだろうと、ルシアはマーラの手のひらを下から覗き込んだ。しかし、特に何もない。道具も持たずに光で文字や図形を描くなど、常識な頭で考えればあり得ないのに。

 大きさの美しい真円が二つ、中心を合わせて描かれる。更に線が走り、星を形作ってゆく。先ほどとは模様の違う魔法陣を、マーラは丁寧に描いていた。

 美しい。

 魔法陣から放たれる光に照らされるマーラの姿は、昔話で読んだ魔法使いとはどこか違う。魔法の杖をトンと突いて魔法をかけるようなそれとは一線を画す、不思議な不思議な光景。


「ルシア。円の中へ」


 呼ばれてルシアは顔を上げた。

 もう既に、マーラとミロが魔法陣の上に立っていた。

 恐る恐る、靴を滑らすようにしてルシアも円の中に入ってゆく。


「怖い?」


「す……少し」


 ルシアは口元を引きつらせ、ようやくそれだけ口にした。


「ふふ。可愛い。ミロ、右手を掴んであげて。私は左手を。大丈夫よ、直ぐに終わる。目を閉じて」


 恐る恐る差し出した手を、二人がそれぞれ握ってくれる。

 マーラの手は少し冷たいが柔らかい。ミロの手は、マーラより少しゴツゴツしていて、温かみがあった。

 ルシアはゆっりと目を閉じた。

 あんなものを見せられたくせに、そして今も、足元にはどういうわけか魔法陣が光り輝いているのに、まだ魔法に関しては半信半疑なところがあった。

 意地悪を言ったつもりだったのだ。

 魔女といえど、瞬間移動のようなことできっこないだろうと。

 どれだけ科学が発達しても、物質を、まして人間を一瞬にして別の場所にワープさせるようなことは出来ていない。『魔法の粒子に分解』だなんて、冗談に違いない。けれど、もし出来たなら、午後からの失敗がなかったことになる。

 目映い光が足元から三人を照らしてゆく。光には熱がある。夏の日差しを凝縮したような熱。

 目を閉じていてもハッキリと感じられる光の強さに目眩を感じながら、ルシアの身体は熱に冒されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る