4 ベルーン村
『古い街並みが残っているという共通点があると一概に言っても、王都ユロー地区とネスコー地方とでは全く性質が異なる点に注目しなければならない』
講義での教授の言葉がふとルシアの中に降ってきた。
四十代半ばの渋い声は、頭の中によく響いた。
『王都の城壁に護られたユロー地区には2000年の歴史がある。戦火に見舞われることもなく、長い間積み重ねてきた緩やかな時間があの美しい景観を作り出した。文明が進み、少しずつ新たな建築様式を取り込みながらも、およそ500年前から殆ど姿を変えることなく石畳の続く街道とレンガ造りの家々を守り続けてきたんだ。建築資材としてよく利用されるグルー杉、ラマスタ石は、王都郊外ラマスタ地方の特産品で、それは今現在も変わらない。ラマスタの広大な山地と豊かな水は、有史以前から我々人類に多くの恵みを与えた。その恵みで成り立ってきたのがこのグルーディエ王国と言っても過言ではないだろう。……一方、ネスコー地方で特徴的なのは、景観を守るために残されてきたのではない、祟りを恐れて残されてきた古い遺跡だ。彼らは、魔女や悪魔といった人外への恐怖を未だ持ち続けるあまり、新しいものへの転換に踏み切れなかった』
ルシアはぼんやりとした意識の中、自我を保とうと必死にもがいていた。
不穏なことをマーラは言った。『魔法の粒子に分解』するのだと。
目を開けようとしても、息をしようとしても、自分の身体がまともに操れない、この催眠術か金縛りにでも遭ったような状態をそう言うのだろうか。
しかし、不思議と苦しくはない。
ただ、考えることを止めてしまえば、無に還ってしまいそうなあやふやさがあった。
『度々、仕事でネスコーの村々を訪れるが、未だに一部の村では、魔女の祟りを恐れて幼い男児の顔に模様を入れる風習が続いている。但し、このご時世だ。昔は刺青を彫っていたと言うが、流石に児童虐待に当たると、今は収穫祭でのボディーペイントとして残っているようだ。特に、石碑の見つかったベルーン村の辺りにはこうした言い伝えを記した書物が多く残っていた。石碑にも恐らく似たようなことが書かれていると推測するが、僕に送られてきた画像を見たところでは損傷が激しく、現物を見ないと読むことも出来ない有様だった』
ネスコー地方の寒村ベルーン。
石碑。
刺青。
王立図書館で借りた本。
何かがどこかで繋がっているような気がする。
あの、魔女マーラと使い魔の少年ミロさえも――……。
*
ゆらゆらとした心地よい揺れと、気持ちの良い温かさで目が覚めた。
自分が誰かの背中に負ぶさっているのに気付いたルシアは、身体を起こすなりバランスを崩して落ちそうになった。
「危なっ! ……やっと起きたのか」
目の前に夕日色の髪の毛が見えて、ルシアはハッとした。
自分とさほど背丈の変わらないミロの背中に負ぶわれていたのだ。
「ごめ、ごめんなさい! 降ります降ります!」
慌ててずり落ちるが、地面に立とうとして引っ繰り返った。尻から落ちて、そのままうずくまる。
「転移魔法なんか選ぶからだよ。怖いもの知らずだなぁ」
ケタケタと笑うミロに赤面するルシア。
直ぐ側でマーラもクスクスと笑っている。
「仕方ないと思うわ。
「二人とも酷い……」
土を払い落としてようやく立ち上がると、ルシアはゆっくり息を吐いて周囲を見渡した。 そこは、王都ではなかった。
見たことのない景色。
生い茂る針葉樹が視界いっぱいに広がっていて、その奥には山の稜線が見える。その形から推測するに、ネスコー地方を囲うミルマン山脈だろう。木々の間からポツポツ見えるのは、ルシアの住むユロー地区にあるのとは違う種類の古めかしい民家だ。壁に走る木材が美しい模様を作る建築様式は、数百年前から変わらない伝統のもの。
湿った匂いが充満しているのは、近くに川でもあるからだろうか。
未だ時間は昼過ぎ。時計を確認すると、家を飛び出してからそれほど経過していない。物理的にこの時間でユローからベルーンまで移動することはできないはずだ。となると、間違いなく魔法で飛んで来たに違いない。
ルシアはようやく納得して、マーラに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。連れてきてくださって。そして、半分くらい魔女のこと、信じてなかったけど、お詫びします。どんな交通手段を使っても、こんなに早く到着出来ないもの」
ふふん、とマーラは得意げに笑う。
「まぁ、これくらいなら朝飯前ね。それより、未だ誰も来てないのかしら。そこに見える大きな屋敷が、昔村長をしていたピエトロの家。その直ぐ裏に森があって、そこからしばらく行ったところに石碑があったはずなんだけど。私が知らないだけで、石碑がもっと沢山あるのだとしたら、少し散策しなければならないかもしれないけれど。どう?」
「そうですね……、ちょっと、行ってみましょうか」
ルシアは先頭に立ち、マーラの指さした屋敷の方へと歩き出した。
村には
民家と民家の間には背の高い木が何本も生えて敷地を区切っている。交通手段が少ないのだろう、屋敷と庭の面積は王都の民家の何軒分にもなりそうだ。
初めての土地に緊張しながら、あちこち観察しながら歩くルシアとは対照的に、マーラとミロは慣れた足取りで楽しそうに語らいながら歩いている。
「随分寂れたわよね。前にここに来たの、1783年だから、200年ちょっと前かしら。そのときはもっと屋敷も綺麗だったし、もっと人がいたじゃない。よく見ると、土台しか残ってない家もある。時間は残酷ね」
「そりゃ、ネスコーは王都みたいに便利じゃないからな。ベルーン村に限らず、周辺の村々だって、消えてなくなってる可能性大きいぜ。あんなに文明が発達してる中、こんな何百年も前から変わらないところで暮らし続けるのは難しいだろうな」
「そうやって、魔女の存在も忘れ去られていくわけね。こんな時代に魔女なんて、もう誰も残っていないのでしょうね……」
湿り気のある土の上を踏みしめながら歩いて行くと、マーラの言っていたピエトロの屋敷が正面に見えてきた。壁中に蔦が這い、壁のレンガやオレンジ色の瓦がところどころ朽ちて砕けている。庭と思しき開けた場所も、腰の高さまで草が生い茂り、庭木も伸び放題で蔓が絡まっていた。
「昔はこの辺の地主でね、屋敷には何人もお手伝いさんが住み込みで働いていたくらいの大金持ちだったのよ。あんまりお金があり過ぎて、やりたい方題していたから、家族間でも問題が絶えなくて、小さな村はいつもピエトロの女性問題ばかりが話題になってた。それでも人望もお金もあるものだから、村長でいられたみたいだけれどね。ここが空き家になってから、だいぶ経つようね。花屋敷と呼ばれるほど美しかった屋敷が、もうこんなにボロボロだなんて」
ため息を吐きながら言うマーラに、ルシアは振り返った。
「もしかして、マーラさんはピエトロさんのお屋敷に入ったことが?」
「マーラで良いわよ。ええ。薬を持っていったついでに、屋敷の中を見せて貰ったの。古いものを沢山集めていたわね。ピエトロの家は昔から続く旧家だったし、彼の趣味だったのよ。古くて曰く付きのものを集めるのが。それに、あの頃は色々あったのよね……」
ピエトロの屋敷の横に、草が刈り取られた一角があった。
最近人が入った形跡だろう。機械で刈り取ったのか、敷地の奥まで続いている。
「石碑の方向ね」
マーラが指さしたのは、薄暗い森の中。
気持ち悪いと本能で感じ、ルシアはブルッと肩を震わせる。
「行くの止める?」
ミロに言われ、
「い、行きます。先に行ってるかもしれないし」
――いつもなら、携帯端末で連絡し合うのに、ルシアの頭からそんなことはすっぽり抜けてしまっていた。連絡して、どちらが先に村に到着していたのか確認すべきだったのに、何故かこのときはそうしたことすら思いつかなかった。
まだ、日は高いはずだ。
けれど、ベルーン村の大きな屋敷の奥に続く道は肌寒い。
マーラとミロがそばにいなかったらきっと、怖くて泣いてしまっていたかもしれないくらいに、とてもとても、気持ちの悪い空気が漂っていた。
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