4 マグヌ・ルベ・モル彗星
死神星の異名を持つマグヌ・ルベ・モル彗星が最後に観測されたのは、王暦1981年春。エルトン・ファティマはまだ准教授だった。天文学部の友人に誘われ、城壁の外まで行って、彗星の観察を行った。
マグヌ・ルベ・モル彗星は長周期彗星と呼ばれ、太陽を楕円軌道に回り、220年に一度アズールに接近する。アズール接近時に星の欠片を多く落とし、流星群の観測も出来るという話題の彗星だった。
真っ赤に燃えさかる彗星の本体と、そこから伸びる長い尾は、史上最大の天文ショーの名に相応しい絶景で、エルトンの心の中に今でも刻まれている。
その彗星の、もう一つの顔を知ったのは、更に10年ほど経過した頃。各地の伝承を集めていたときに頻出したのが、“流星の子ども”についての証言や記述だった。
夜の空に突然として現れる彗星は、恐怖の対象だったようだ。わからないものは怖い。だから、様々な伝説や伝承が生まれる。
電気のない時代は暗闇が怖かった。だから、宵闇の中に棲まう魔物や魔女、悪魔についての伝承が数多く生まれた。同じように、雪、山、海など、人の暮らす平野部から離れた場所には沢山の言い伝えが残る。それは、いにしえの人たちの畏怖を形にしたようなもの。恐ろしいものには近づいてはならないという警告が、伝承という形で残っていく。
彗星のそれも、やはりわからないものに対する恐怖心からではあるまいかというのが、学界での定説だった。だから、気にも留めなかったのだが。
――『流星の子どもは
魔女の読んだ碑文がエルトンの耳に何度も響いていた。
死神星が降る夜に……、あの日に生まれた子どもは、アズール全体に数え切れないほどいるはずだ。
現在19歳を迎えた彼、彼女らの中に、あの夜生まれたという理由だけで殺されるべき人間など存在してはならないのだ。
「教授、変な顔してますよ」
朝一番で研究室にやって来たリオルが、淹れ立てのコーヒーを差し入れてきた。
エルトンはありがとうと礼を言うと、未だ熱いカップに口を付け、少しだけ口に含んだ。
「昨日の魔女の話ですか」
「まぁね」
手元のタブレットの画像は、魔女が魔法で浮かび上がらせた碑文。手帳の走り書きメモ、そして解析器のデータを紙に出力したもの。古代文字と現代文字が入り乱れるテーブルは、かなり煩雑だった。
「碑文を翻訳してみたが、魔女の言葉通りのことが書いてあった。彼女は、嘘をついていない」
石碑に使われていた石の年代も、分析機関に送って確認中だ。
「もし、あの魔女の言葉や碑文の通り、マグヌ・ルベ・モル彗星が原因で魔性の力を持つ人間が現れるのだとしたら、恐ろしいだろうな。それに、昨日の大通りでの騒ぎ。僕たちには直接関係なかったが、新聞には、実際そこで目撃した人の話や、複数枚の写真も載っていた。骸骨の化け物が空を飛んでいたとか、悪魔のようなものを目撃したとか。急に空が暗くなったって話も書いてあった。意味不明だが、複数の証言がある以上、無視は出来ないだろう」
「アズール・ネットには魔女や魔法について、沢山の書き込みが載ってましたよ。教授は見ました?」
リオルが自分の携帯端末を差し出し、該当のページを見せようとする。
しかしエルトンは首を横に振り、端末を突き返した。
「ネットの書き込みは素人の詮索が積み重なったものに過ぎない。信憑性について信頼度は下がる。そんなことより、同じような伝承が他にも残っていないか、少し調査する必要がありそうだな。ネスコー地方が再開発される前に、だ」
古代アズール文字を使用していたのは、今からざっと1500年は前。現在使用されているアズール文字が使われ始めると、一気に衰退した。こんな古い文字を使い続けていたのは、学者や一部専門職ぐらいだ。
一体碑文はいつ刻まれたのか。
あの魔女たちの正体も、突き止めなければならない。
エルトンはますます難しい顔をして、机の上を睨み付けた。
「おはようございます! ルシア来ましたぁ」
ドアが開いて明るい声が室内に響く。
机で作業していた学生たちは、おのおのにルシアと挨拶する。
リオルもルシアに気が付いて、サッと右手を上げた。
「よぉ。その後、無事に帰ったか」
「まぁ何とか帰りましたけど……」
急いで出てきたのだろう、ルシアの髪には寝癖が付いている。
肩を落としながら近づいてくるルシアに、リオルはあるものを差し出した。
「見た?」
新聞だ。
「新聞なんか見る暇ないですって。――って、ああっ! これ!」
マーラだった。
カフェで撮られた写真。端っこにルシアが見切れて写っている。隣にミロの姿もある。
暗闇の魔法のあと、メチャクチャになったカフェテラスを元に戻していたときに撮影されたもの。宙に浮いているテラスの椅子やテーブル、ガラスや壁が元に戻っていく様子がコマ送りで載っていた。
群衆の中に、携帯端末で撮影する人が何人もいたことを思い出す。これはヤバいとマーラたちに訴えたが、彼女たちが生きてきただろう文明にはビデオカメラは存在しない。だから危機感がまるでなかったのだ。
「アズール・ネットも魔女の話題で持ちきりだった。見てないの?」
「……見てません」
ルシアは新聞で顔を隠して天を仰いでいる。
「ううぅ。どうしよう。今日はお留守番頼んで来ちゃいました。あああ。新聞だと、電子機器使えないお年寄りも読むじゃないですか。お終いだぁ……昨日スーパーマーケットにも連れてっちゃったし、今朝はお掃除しとくわねって楽しそうにしてたし。暇だから外プラプラしちゃいそうな予感しかしません。あああ。もうダメもう帰りたいけど帰りたくないどうしよう」
リオルはそんなルシアを鼻で笑って、顔を隠していた新聞をヒョイとつまみ上げた。ルシアは隠れたかったらしく、ジャンプして新聞を取ろうとしたが、背が足りない。直ぐに諦めて大きなため息を吐いた。
「魔女を家に上げたのか」
エルトンが目を丸くして聞いてくる。
「はい。私はいいよなんて言ってなかったはずなんですけど、知らないうちにそんなことになってて。かといって、断ったら可哀想だし。本当に、最悪すぎて……」
昨晩夜這いされたことを思い出すと、ルシアの顔は真っ赤になった。不意打ちにしては酷すぎた。
「村長によると、ピエトロ氏が村長を務めていたのは今から200年ほど前。彼女はピエトロの屋敷に出入りしていたと言った。それが本当なら、もう200歳を優に超える――」
「いいえ、違うと思いますよ」
ルシアが否定すると、エルトンの眉がピクリと動いた。
「過去から来た、みたいです」
「過去?!」
予想だにしなかった答えに、研究室の誰もが驚きの声を上げる。
「まさか。こんなに文明が進んでも、タイムマシンひとつ作れないのに?」
「ですよねぇ。私もまだ半信半疑なんですけど。――そういえばマーラ、ネスコーの魔女が妙なことを言ってました」
ルシアは近くの机から事務用の椅子を引っ張って、エルトンの真ん前に腰を据えた。
「他にも、マーラたちと同じように過去から現代に来てる人がいるらしいんです」
エルトンも、隣に立つリオルも、ギョッと身を竦めた。
「冗談」
「マーラとミロ……一緒にいた少年ですけど、彼らは、どうやら何かを追って、この時代にやって来って言うんです。しかも、この時代に既に溶け込んでるらしくて」
「は?」
「で、昨日の騒ぎは、二人が追っている何者かが、魔物を寄越したみたいだって」
昨晩のことを整理して嘘偽りなく話しているはずなのに、言葉にするとどうしても陳腐になる。今までの常識とはかけ離れたことが起きている、そのことにどうしても頭が付いていかないのだ。
それは、ルシアだけじゃない、エルトン・ファティマもリオルも、他の学生たちも同じこと。
「私一人が知っていればいい情報じゃない気がして、急いで教授にも聞いていただきたくて来たんです。研究の役に立つかも知れないですし、教授の方で、二人にじっくり話を聞いてみるのはどうですか」
ルシアの力強い言葉に、エルトンは無言で頷くしかなかった。
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