3 まだ、見えない
夕食を終え、シャワーを済ますと、ルシアは「おやすみなさい」と早々に部屋に引きこもった。明日は早いうちに大学に行くのだという。
この家には他にも部屋がいくつかあるが、その殆どが荷物で埋まっているため、ミロを休ませた祖母の部屋しか空いていなかった。
「ベッド……、ひとつしかないんですけど、大丈夫ですか。リビングのソファ使って貰っても良いですし」
「ルシアはそんなこと気にしなくて良いよ。夜は長いんだ。それに、久しぶりに一緒に寝るのも良いかもな、マーラ」
ミロはワザとらしくそんなことを言って、ルシアを困らせる。
実際二人がどんな関係なのかは分からないが、マーラは否定も肯定もしなかった。
「おやすみなさい。よい夜を」
二人は寝るつもりなどないのかもと、ルシアは思いながら深い深い眠りに就いた。
*
一年前までルシアの祖母が使っていたという部屋は、少し埃っぽいがそれなりに片付いていた。遺品の整理も中途半端で、あちこちに祖母のものと思しき古い置物や小物が置かれたままだ。
真っ暗な部屋で、マーラは装飾品を片っ端から外してベッド脇のチェストに並べ、服を脱いだ。下着の上にルシアから借りた寝間着を羽織るが、彼女との身長差がありすぎて手足が大きくはみ出してしまっていた。
ベッドもシングルひとつで、マーラが横になればそれ以上誰も横たわることすら出来なさそうだった。寝間着姿でベッドに腰掛けたマーラは、自分の使い魔に隣に来るよう手招きした。
ミロは、誘いには応じなかった。代わりに、ベッドの脇まで化粧台の椅子を引きずって、マーラの真っ正面に座った。
「ルシアから、何か感じなかった?」
ミロのシルエットには、いつの間にか悪魔のような羽や長い尾、角があった。
「何か、というと?」
「――マーラには分からないか。魔女は魔力を感じても、あの独特の気配を感じることは出来ないんだっけ。……
「まさか」
「昼間は全然感じなかった。夜になって――、気配がした。ルシアのところからだ。さっき眼鏡を外したのは、余計なものを挟むと分かりづらくなるから。ただ、未だ弱い。もし
「冗談でしょう。昼間の標的はあなたじゃなくてルシアだったなんて言うんじゃないでしょうね」
「恐らく……、だけど。もし俺の予感が本当だったら、調べてみる価値はあると思わないか」
「調べる? どうやって。本人には見えないでしょうに」
「まぁ、直接調べてみるしかないだろうな。ちょっと行ってくる」
言うやいなや、ミロの姿は霧となり、その場から消え去った。
マーラはミロのいなくなった椅子を、じっと見つめていた。
*
霧状になった身体がドア下の隙間をすり抜け、廊下を通り、階段を上がってルシアの部屋へ向かっていく。部屋の鍵穴を見つけ、スッと入り込む。
再び身体を実体化させ、ミロは周囲を見渡した。
女子らしい部屋というよりは、好きなものを詰め込んだ部屋という方がしっくりくる。ベッド、本棚、勉強机。積み上げられた本、片付けが億劫なのか、ハンガーにも掛けずあちこちに引っかけてある服。
寝息が聞こえる。
ベッドの上、布団から足を出して、ルシアがぐっすりと眠っている。
ミロは足音を立てぬよう、ゆっくりとベッドの側に迫った。そして、そっと布団を剥いだ。
悪魔の姿になると夜目が利く。暗がりの中でも、はっきりとルシアの姿が見える。
あまり寝相はよくないようだ。寝間着がめくれ、お腹が見えている。
自分の髪が垂れないよう気をつけながら、ひとつひとつボタンを外し、露わになったルシアの胸をじっくりと観察する。小さな胸の膨らみ、脇の下、脇腹、へその辺りも。
「まだ、見えないのか」
思うような結果が得られず、ミロはボソリと呟いた。
――ルシアが目を見開いている。
身体に覆い被さるミロの姿に驚き、みるみるルシアの顔色が変わっていく。
しまった、と思ったが遅かった。
「ま、眩しい……!」
両腕で視界を遮ろうとするが、思いのほか強い光に、ミロはたじろいだ。
「ど、どうやって入ったんですか! 鍵も閉めたのに!」
ルシアの声が酷く震えている。
「ちょっとした隙間があれば通れるよ。鍵なんて意味ない」
「……ボタン、外れてる。嘘。え、まさか、嘘でしょ」
あられもない自分の格好と、ミロとの位置関係を考えれば、大体ルシアが何と勘違いしたのかはミロにだって想像が付く。
腕で目元を隠したまま立ち上がって、
「明かり消して」
とお願いするが、ルシアは興奮状態で、
「消しません! 絶対に! 卑劣……!」
眩しい光を向け続ければ悪魔が去るとでも思ったのか、ミロの顔面めがけて光を当て続けた。
面倒くさい、とミロは思った。ルシアの身体に用事はあったが、別に変なことをするつもりではなかった。完全に淫魔と間違われている。ならば、いっそのこと――。
ミロはまたサッと身体を霧状にし、次の瞬間、ルシアのベッドの上、彼女に覆い被さる形で姿を現した。
ルシアの顔が恐怖で引きつっている。
携帯端末がポロリとルシアの手から落ち、床に転げた。
ルシアの両手首を掴み、自由を奪う。襲われると思っているに違いない。震え、泣いているのが分かる。
「静かに」
そう言ってミロは、ルシアの唇を――奪った。
思いがけぬ行動にルシアは抵抗する力を失い、そのままミロに身体を委ねた。
長いキスが終わる頃には、ルシアは再び、深い眠りの世界へと戻っていた。
*
ミロがリビングのソファの上で目を覚ましたのは、昼近くになってからだった。
家の中にはマーラが残っていたが、ルシアの気配は無かった。
少年姿のミロは頭をボリボリと手で掻きむしり、マーラに出された朝食を頬張った。パンとスープ、それから鶏肉が少し。ぼうっとした頭を冷ます程度なら軽い食事で十分だった。
外は明るく、今日も天気が良さそうだ。
エプロン姿のマーラは、鼻歌を歌いながらリビングの窓の拭き掃除中だ。
「ルシア、カンカンだったわよ。『初めてのキスを奪われた』って」
チラリと振り向いてマーラが言うと、ミロはふくれっ面でそっぽを向いた。
「どおりで。舌の使い方がなってなかった」
「襲うつもりで行ったんじゃなかったんでしょ。成果は?」
「成果……。ルシアの胸が平らだったってこと? それともキスが下手だったってこと?」
「分かってるくせに。――“しるし”は?」
「いや」
そう言って、ミロは昨晩のことを思い出す。大人になりきれていないようなルシアの身体をくまなく見たことを。
「見えなかっただけかもしれない。だが、確実に感じた。やっぱルシアもそうだと思うよ」
「それは、ルシアがあなたと同じ“流星の子ども”だから分かるってことで間違いない?」
「間違いない」
食事は、なかなか喉を通らなかった。
味付けは抜群。寝起きには有り難い食べやすさなのに。
外では小鳥がさえずっている。
窓の隙間から風が吹き込み、大きくカーテンを揺らしていた。
ミロはぼうっとしたまま、カーテンの揺らめきをずっと見つめていた。
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