5 秘密の部屋

 マーラは朝からせわしなかった。

 ルシアに借りたエプロンを着けて、あっちを片付け、こっちを片付け。掃き掃除に拭き掃除、楽しそうにずっと続けている。

 ミロはそれが不満だった。

 やることもなく、ずっとソファの上でゴロゴロしていた。

 日の光がある時間帯は、マーラのかけた魔法で人間の姿を保つことが出来ている。その反面、まともに魔力を使えない。夜の闇の中では自在に身体を霧に変え、または空を飛び、自由に動き回れるのに。

 しかも、散策しようにも初めての街は勝手が分からない。マーラと一緒なら何かあっても困らないだろうに、今日はルシアの家の掃除が楽しくて止められないらしい。夢中になるのは良いことだが、よりによって掃除。それがまた、気に食わなかった。


「片付けてくれたら二階の広い部屋に移っても良いって、ルシアが言ってたの。ルシアのご両親が昔使ってた部屋らしいわ。昨日借りた部屋より広いはずだって聞いて。ただ、もう何年も使ってなくて、中はどうなっているか分からないそうよ。だったら掃除ぐらいするわよ、期待しててって伝えたから。天気もいいし、掃除日和よ。ミロも手伝って。どうせ暇でしょ」


 そう言われると、ますますやりたくなくなるのが性分というもの。


「俺のような高貴な人間は、掃除なんかしねぇの」


「あのね。今は高貴でもないし人間でもないじゃない。都合の良いときだけ出自を自慢しない」


 身体が小さい間、マーラはミロを子ども扱いする。

 本当は成人して途方もない時間が経過しているのに、昼はずっと子どもだった。そうすることでしか、溢れ出す魔力を抑えきれないのだとマーラは言った。それくらい、ミロは厄介な事情を抱えているのだ。

 ミロは重い腰を上げて、のそりのそりと動き出した。


「マーラ、二階の掃除は終わった?」


「まだよ。まずは水回り、それから一階。終わったら二階へ上がろうと思って」


「そっか。ま、いいや。探検してくる」


「ルシアの部屋には入っちゃダメよ」


「入らないってば」


 掃除のために、マーラはあちこちの窓を開け放していた。風通りもよく、日の光も十分に差し込んでいる。窓から外を覗くと、庭中に様々な植物が生い茂っていた。

 不思議と落ち着く、雰囲気の良い家だと、ミロは思った。

 森の中、マーラと共に過ごした家に似ている。様々な植物や作物を育て、加工するのを、マーラは得意としていた。彼女が作る甘ったるいジャムも、蜂蜜も、ミロは大好きだった。カタカタと水車の回る音、小鳥のさえずり、木々のざわめき。魔性が目覚めるまでの時間は、本当になだらかで幸せな時間だった。

 ルシアの家はそれに似ている。

 すっかり文明が発達し、王都のあちこちに高い建物がニョキニョキと生える中、この家のあるユロー地区は数百年前からの伝統の街並みを守り続けている。

 便利で豊かな暮らしは窮屈そうだった。

 そんな中、偶然とはいえ古い家で一人暮らしをしているルシアに知り合えたのは、幸いだったのだとミロは思う。しかし、本当に偶然だったのかどうか。

 昨晩部屋に忍び込み、確認したルシアの身体には何の反応もなかった。しかし、何かを感じた。自分と同じ、禍々しいものだ。

 ルシアの年齢を考えれば、何かしら変化があってしかるべき。

 なのに何の“しるし”も現れていないのは、何か理由があるからではないのか。

 階段を上がると直ぐにルシアの部屋。その奥に廊下が続き、別の部屋の入り口が見える。廊下の片隅には段ボール箱が積まれ、簡単にはたどり着けそうにない。本当にしばらくの間手を付けていないのが、箱の上の埃の溜まり方でよく分かる。


「ちょっと失礼」


 埃が舞わないよう、慎重に箱を開けると、中身は全部本だった。

 民俗学系の怪しい本がずらり。歴史の本もある。読み終わったものなのか、読もうとして収集していた本なのか。その隣の箱にも、同じように本が入っている。

 確か部屋にも本が溢れていた。置くところがないのか、床にも詰まれていた。

 廊下の奥へ行くと、箱の種類が変わる。木箱だ。中には、どこの地方のものか分からない民芸品が入っていた。お化けのお面、よく分からない木の細工。呪いの人形みたいな不気味なものもあった。


「趣味悪いな」


 ミロはブルッと身体を震わせた。自分が魔性の者だからといっても、あまり美しくないものは好みではないのだ。

 他の木箱の中も似たようなものばかり。

 およそ若い女性の家に相応しい物じゃない。

 気を取り直して奥の部屋のドアまで進む。そっとドアノブに手をかけ、開けようとして――、ミロは思わず手を引っ込めた。電流のようなものが手に伝った。


「魔法だ」


 咄嗟に思った。

 ミロはゾッとして、大慌てでマーラの元へ走っていった。



 *



 ミロに呼ばれたマーラが、例の部屋の前に立つ。ドアに手をかざすやいなや、


「確かに魔法ね」


 と顔を曇らせた。

 かなり強力な魔法らしい。マーラさえ、触るのに躊躇した。


「強い魔法ではあるけれど、悪意は感じない。この部屋の部分にだけ上手に魔法をかけてある。ルシアは気付かずに、廊下を物置に」


 変なものが出てくるだけならまだしも、魔法とは。マーラはドアの隅から隅までじっと観察し、低い声で唸った。


「開けられないわけではなさそうよ。ちょっと、中を覗いてみましょう」


 マーラはそう言って、人差し指で空中に小さな円を描いた。手のひら大の魔法陣がドアの前に浮かび上がり、黄色い色を濃くしていく。

 魔法陣の前でドアノブを捻る動作をすると、ゆっくりとノブが動き、カチリと音がした。

 鍵のない、古いだけのドアがギギギと軋んだ音を立てながらゆっくりと開いていく。――と、ドアと壁の隙間から、黒くねっとりとした空気の塊が外に広がろうとしているのに気が付き、マーラは慌ててドアを閉め直した。


「……今の、何」


 背筋を震わせて、ミロを振り返るマーラ。

 ミロはミロで、分からないと顔を横に振っている。


「この部屋、何かある」


 もう一度、恐る恐るドアを開ける。

 マーラはミロの手を引っ張り、無理やり部屋に連れ込んだ。バタンとドアを閉めてから、真っ暗い部屋の中でパチンと指を鳴らす。ポッと火の玉が空中に浮かんで、ランタンのように辺りを照らすと、ようやく室内の様子が見えてくる。

 雨戸を閉め切った部屋の空気は、生臭かった。

 床に、壁に、天井に、赤いものがベッタリと染み付いていた。


「血だ」


 ミロが言った。

 マーラはこくりと頷き、ぐるりと室内を見渡していく。

 ベッドが二つ、大小のチェスト、化粧台……。どの家具にも血の跡がある。

 ここで誰かが切られた。いや、切られただけではこんなに血は広がらないだろう。鉄砲でもない。ナイフでもない。まるで獣が暴れ回りながら餌を食い散らかしたような。


「人間の血だ」


 部屋の中に押し込められていた空気が、どんどん黒みを帯びていったのだろうか。二回ドアを開けたことで少し薄まってきている。


「マーラ、ここ見て」


 日没もまだなのに、ミロは青年姿だ。

 指さす方へマーラが目を向けると、血の跡が一部文字のようになっている。

 火の玉をゆっくりと床のそばまで降ろし、文字を読み取ってゆく。


「『死』『星』……、『殺される』……? 死に際に書いたのね。字が崩れてる」


「マーラ、こっちの床見て。魔法陣だ」


 ミロの声の方へと足を向けると、そこには白いチョークのような物で魔法陣が手書きされていた。乾いた血の上に書いたようだ。魔法陣に書き込まれているのは、古代アズール文字。


「『魔女ネヴィナの寿命と引き換えに、流星の子どもの悪しき力を封じよ』……。あまり考えたくはないけれど、もしかして、ルシアは一度、魔性になりかかったんじゃないのかしら。“流星の子ども”の力が目覚め出すのは、個人差もあるけれど10歳~15歳頃。ここで何かが起きて、慌ててネヴィナという魔女が自分の命と引き換えにルシアの力を封じた。開かずの部屋を作って、負の記憶と魔法陣を閉じ込めた」


「親はいないみたいだったな。祖母と暮らしてた、とか」


「状況から導き出されるのは、ルシアが両親を殺してしまって、それを見た祖母……魔女ネヴィナがルシアの力を封じ込めたんじゃないかってことだけど。もし、これが本当だったとしたら、マズいわね」


「マズい?」


「私たち、今うっかりと、封印の一部を解いてしまったじゃない。どうしよう。ルシアにも封印魔法かけないと、大変なことになりかねないかも」


 マーラは頭を抱えた。

 ミロも、口をあんぐりさせていた。

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