6 もう一人の魔女
リオルがルシアの身の上を知ったのは、大学に入ってしばらくしてからだった。いつも一人でバタバタと落ち着きないルシアが気に掛かり、一緒に行動するようになった。彼女は男女の性差や見た目をあまり気にしないような人物で、自分が人に比べて小さいことも、リオルがのっぽでニキビ面だったことも、全く気に留めていなかった。
両親は随分前になくなって、祖母と一緒に暮らしていたが、つい先日亡くなったと。大学だけは奨学金でどうにか通い続けたいんだと気丈に言い放ったことが印象に残り、陰ながら支えてあげたいと思うようになったのだ。
偶々同じ民族伝承に興味のある者同士、話は弾んだ。しかし、彼女は友だち以上にはなれない存在だった。
心の成長をわざと止めているのかと思えるほど無垢で真っ白い彼女を前にすると、
そのルシアが、変なことに巻き込まれそうになっているのを止めたいと思うのは、致し方ないというもの。
今日もルシアはランチを木漏れ日亭で過ごすという。
「別に学食のランチでも良いだろうに」
昨日木漏れ日亭で魔物が現れたこと、そのときに暴れまわった二人組とルシアが一晩過ごしたことなどを考えれば、その方が良いとリオルは思った。
しかし、
「木漏れ日亭のホットサンドを食べないと、午後が始まらないの。リオルには分からないと思うけど」
ルシアの性格は厄介だった。どうしても、日々のルーチンから抜け出したくないらしい。天気が悪すぎる日はさて置きとして、寒かろうが暑かろうが、木漏れ日亭に通うのだ。そこのホットサンドが好きで、いつだったか、自分は木漏れ日亭のホットサンドで出来ていると豪語していた。
「頭おかしいんじゃないの。冷静に考えなよ」
何を言っても考えは変わらず、仕方なくリオルはルシアに付いていくことにしたのだ。
王立大学のキャンパスから木漏れ日亭までは、徒歩で向かう。背の高いビル群の間を抜けていくこの道もまた、ルシアの気に入りらしい。
リオルは早足のルシアにボディーガードのようにピッタリと貼り付いて歩いた。
「魔女と一晩過ごしたって、正気?」
「どうして?」
「魔女って言ったらさ、怖いイメージあるじゃないか。見てくれは物凄く綺麗だったけど、魔女だろ。何か恐ろしいことでもされたんじゃないかって心配してんの」
「それは偏見だと思うよ。確かにマーラは、変な魔法はいっぱい使うみたいだけど、普通のお姉さん、みたいな感じかな」
「一緒にいた変な小僧は何だよ」
「ああ、ミロのこと? よく分からないけど、使い魔、なのかなぁ。でも王子様だって。うぅん、悪い人ではないけど。いや、でも悪魔だから悪い人なのか」
ルシアが首を捻りながら歩くのが、どうも気になる。
リオルは少しだけルシアの前に進み出て、彼女の顔を見て言った。
「教授に任せちゃえば良いじゃん。あの二人のこと。ルシアが世話する理由なんてないんだし。過去からやって来たのが本当なら、あの教授のことだし、喜んで全部やってくれそうだけどな」
「そうは言うけど、成り行きというか。どうも他人とは思えないところもあるし、私自身、一人暮らしで寂しかったから丁度よかったって思うところもあるし、追い出す理由、あんまりなくて」
「ルシアのさぁ、そういうところを分かって近づいてきたんじゃないの。無防備なのは良くないと思うぜ」
「でも、マーラが一緒にいたら、毎日美味しいごちそう作ってくれそうなんだよね。お掃除もするって今日は張り切ってたし」
「えぇ! 魔女に掃除させてんの? どういう神経してんだよ!」
あまりに非常識さに呆れてしまう。
話しているうちに、大通りが見えてきた。
昨日の今日で人通りも少ないのではとリオルは思っていたが、そんなことはなかった。ルシアと同様、日々のルーチンを大切にしている人たちが、いつものように街を歩き、いつものように働いている。騒ぎが起きようが起きまいが、生活や仕事がそこにある限り、普段通りだということらしい。
少し先に見えている木漏れ日亭にもいつも通り行列が出来ているし、テラスでも多くの人が休んでいる。
「リオルはどうする? 私のお勧めはいつでもホットサンドだけど」
のんきにメニューの話をしてくるルシアには、とても敵いそうにない。
リオルは諦めて、何にしようかなと腕を組んで考えた。
――と、ルシアの足が急に止まる。
グイッとリオルの腕を引っ張って、身体をひっつけてくる。
「どした?」
ルシアの顔を覗くと、彼女は顎で前方を見ろと訴えていた。
前。
リオルが目線をずらす。
歩道には、サラリーマン、OL、主婦、学生……。色々な年代の、色々な人たちが自分たちの行きたいところへ向かって歩いているのが見える。
その中でたった一人、こちらを見たまま動かない人物がいる。そこだけ時間が停止したように、ただじっとルシアとリオルを見つめている。
「誰」
「分からない。けど」
けど、に続く言葉をルシアが言う前に、変化が起きた。
その人物の前を誰かが横切ると、急にシルエットが大きくなった。また誰かがその前を横切る。また、大きく見えるようになる。
身体は一切動いていないのに、視界を誰かが横切る度にどんどんどんどん近づいてくる。
「ヤバいぞ」
リオルは言ったが、恐怖で足が動かない。それどころか、目を離すことも。
ルシアがリオルの腕を強く握る。
近づいてくる、近づいてくる、近づいてくる。
三角の帽子、民族衣装のような丈長のスカート、全身を黒に統一した、金髪の。
――魔女だ。
思ったときにはもう、眼前に迫っていた。
「見ぃぃつぅけたぁぁ」
べろんと長い舌を出して、ケケケと笑う、魔女。
両腕を腰に当て、おぞましい笑顔を見せつけている。
魔女はリオルに隠れようとするルシアの腕をグイッと引っ張った。
「やだッ! 離してッ!」
ルシア、と呼びたかったのに、リオルの身体はまるで石のように固まり、身動きが取れない。
魔女はルシアの身体を引き寄せ、舐め繰り回すように身体中を観察した。
「ふぅん。確かに、強力な魔法だわ。全然分からなかったわけだ」
どういうわけか、通行人は誰一人振り向かなかった。
周辺から全部色がなくなって、ルシアと魔女、そして自分だけに色が付いているように、リオルには見えていた。
「あの小憎たらしい女が迷い込んできたお陰で発見出来たってのは皮肉ね。フフフ。面白いことになってきた。――サエウム! ちょっと出ておいで」
魔女が呼ぶと、急激に周囲が暗くなる。
バサリ、と音がしてリオルが視線を上に向けると、巨大な黒い影があった。
背中に大きなコウモリ羽を生やした、髪の長い男。真っ黒な服で全身を包むが、そこから見える手足はまるで爬虫類のよう。
男は地面に降り立ち、魔女の前に
「どう? 間違いない?」
男はこくりとうなずいて、ニヤリと笑った。
「封印が解けかかってる。もう少し刺激してやれば目を覚ますかも」
満足いく男の回答に魔女はニタリと笑う。
「刺激してやれば、ねぇ。うふふ。どんな刺激が良いかなぁ、お嬢ちゃん」
ルシアは恐怖で震え上がっていた。何を言われても、何をされても、抵抗することも出来ないでいる。
昨日石碑のところで見た魔女とは違う魔女だというのは、流石のリオルにも直ぐに分かった。そして、ルシアを拘束するこの魔女が、昨日の魔女とは全然違う、恐ろしい存在だと。
ちらり、と魔女がリオルに視線を寄越した。
次の瞬間、固まっていた身体が解放されたかのように自由に動いた。
「おい。ルシアをどうするつもりだ」
震えながらもやっと口にした言葉。
魔女はフフンと鼻で笑う。
「坊や、ネスコーの魔女に伝えてくれる? この時代の“子ども”は、ちゃあんと、ニゲルの魔女ラマがいただきましたって。分かる? この子と仲良しの年増の魔女よ。金髪の変なガキを連れていたでしょう。あの女に言ってやって。私の勝ちだってね」
「――その、必要は無くてよ」
後ろから声がして、リオルは大きく振り返った。
エプロン姿の昨日の魔女が、金髪の少年と共に怒りを露わにして立っていた。
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