7 囚われのルシア

 色の消えた空間に魔女が二人。リオルを挟んで対峙している。

 それぞれが使い魔と思しき従者を従えるが、片方は強そうな悪魔、もう片方は普通の少年。

 見るからにマーラたちの方が弱々しい。


「お久しぶりねぇ、ネスコーの魔女マーラ。相変わらず使い魔もしょぼいわね」


 ニゲルの魔女ラマは、上から目線でマーラたちを挑発する。

 ラマの腕の中、ルシアは泣きそうな目でマーラたちを見つめていた。


「ルシアを放しなさい、ラマ」


 マーラが静かに言うと、ラマはケタケタと笑い出した。


「放せと言われて放す愚か者がどこにいると思う? 嫌でぇす、放しませぇん。やっと見つけたこの時代の“流星の子ども”よ。たっぷり可愛がってあげなくちゃ」


 ルシアを掴むラマの手に、力が入る。

 その腕の中で、ルシアは必死に顔を振っている。


「マーラ、コイツ、話が通じねぇ。ここは俺が」


 ミロが前に出ようとすると、マーラはサッと手を出して制止した。

 白黒になった背景では、街はいつものように動いていた。ただ違うのは、誰一人、リオルや魔女たちに気付かないこと。ビルディングのガラスにさえ、自分たちの姿が映っていないこと。切り取られた空間の中に閉じ込められたように、色の付いた者たちだけで世界が成り立っていた。

 逃げたい、思ったが逃げ方がわからない。しかも、ルシアを置いたままではとても――。


「坊やみたいな弱っちい使い魔が、うちのサエウムに勝てると思って? マーラもマーラよ。“流星の子ども”の力を押さえつけるような真似、止めてあげたら良いのに。……いい? 彼らは解放されたいの。身体の中から溢れ出す力を全て解き放ち、死神星によって与えられた本来の姿へと変貌したいの。つまらない人間の身体なんか破り捨てて、さっさと悪魔に身を落とした方が楽でしょ。どう? 坊やもこっち・・・へ来る? そうしたら、私があなた本来の力を解き放ってあげる」


 ――“流星の子ども”、“死神星”。

 石碑の言葉。

 リオルは激しい衝撃を受けた。

 悪魔のようなサエウムという男、そして、金髪のミロという少年、そのどちらも“流星の子ども”らしい口ぶり。それだけじゃない。さっき、魔女ラマは言った。ルシアのことを、『この時代の“流星の子ども”』だと。


「……うっせぇなぁ、オバサン」


 ミロがギリリと歯を鳴らした。


「誰もが皆、自分の運命を素直に受け入れられるわけがない。なぁにが『本来の力を解き放ってあげる』だ。悪いけど俺はゴメンだね。俺が何者かは俺が決める。そこの能なし野郎みたいになぁ、悪魔に身をやつしたまま生き続けたくなんかねぇってぇの! ――マーラ、準備良いか!」


「いいわよ」


 ――パァンと、赤黒い魔法陣がマーラの真ん前に現れた。

 魔法陣を見るなり、ラマはチッと舌打ちし、マーラを睨み付けた。


「≪闇に封じられし魂よ、力を解放せよ≫」


 魔法陣から勢いよく黒いもやが噴き出してきた。ゴオオッと音を出し、一気に周囲が闇に包まれる。

 目の前が真っ暗になる。リオルは慌て逃げようとするが、視界が完全に閉ざされた。


「フンッ。相変わらず面倒くさいことやってるじゃない。愚かにも程があるわ。――サエウム、やっておしまい!」


 ラマの声を合図に、サエウムが動き出した。

 動きの見えないリオルは、その動線上に自分が居るとは気付かない。


「危なッ……!」


 低い男の声が注意を促すが、リオルは立つことも座ることも出来なかった。


「クソがッ!」


 吐き捨てる声。

 ガキンと、重い金属がぶつかり合う音。

 目を開ける。

 夜目の利かないリオルにただわかるのは、目の前で誰かがサエウムの攻撃を食い止めたこと。


「何逃げ損ねてんだ! 退け!」


 助かった……のか。

 呆然とするリオルの腕を、今度は誰かがグイッと後ろに引っ張った。リオルは体勢を崩し、すっ転ぶ。顔を上げると、魔女マーラのシルエットがリオルの真ん前にあった。

 ――ガシャァンと、ガラスの割れる音がした。

 歩道脇のブティックのショウウインドウが、激しい音を立てて割れていた。そこだけ色が戻る。店員の慌てふためく声、助けを懇願する客。

 今度は別の場所で、ドカンと激しい音がした。自動車の前方が凹み、煙を出している。

 街路樹の幹が折れ、バサバサと音を立てながら歩行者に覆い被さった。

 被害を受けた場所たちが、次々に色を取り戻していく。

 マーラは次々に魔法を打った。その度に魔法陣が現れ、光り、破裂音がしたり、風が巻き起こったりする。

 色の戻って来た町の中は酷い有様だった。

 魔法を打ち合う魔女たち。

 そして悪魔が二匹。

 一匹はサエウム、ニゲルの魔女ラマの使い魔。黒いコウモリ羽と、爬虫類のような手足、そして蜥蜴とかげのような尾を持つ黒髪の悪魔。重たい斧を片手でヒョイと持ち上げ、ブンブンと振り回してもう一匹の悪魔を追い回している。

 そして追われる悪魔の方は……、黒いコウモリ羽、雄牛の角、赤みがかった独特の金髪をした、美しい男。両手剣を持ち、果敢に戦っている。パーカーに見覚えがあった。見間違えでなければ、それは魔女と一緒にいた少年の。


「――しぶといッ!」


 サエウムが手の中に光る球を作り始めた。こぶし大の球は次第に膨れあがり、人間の頭の大きさまでになっていた。電流がバチバチと球の表面を流れていく。

 宙に浮かぶその球を高く掲げ、サエウムは地の鳴るような声で叫んだ。

 日常を崩された人間たちは、慌て、逃げ惑った。車から逃げ出す人、ビルの中に逃げ込む人、車同士がぶつかり、自転車は放り投げられ、街が阿鼻叫喚で包まれた。

 リオルも逃げ出したかった。けれど、やはりルシアが気になる。

 咄嗟に隠れたのがマーラの後ろ。屈んで様子を見るしかない。

 マーラはまた魔法陣を錬成する。桃色の光が溢れ出す。


「≪光よ、悪魔の攻撃から人々を護り給え≫!」


 光がマーラを中心に、水の波紋のように広がってゆくのが早いか、それともサエウムが光の玉を破裂させるのが早いか。


「今しかないッ!」


 全ての注目が、ぶつかり合う二つの光に向けられる中、金髪の悪魔が身体を黒い霧に変える。マーラの魔法の光に乗って、黒い霧はサエウムの脇をすり抜けた。そしてラマの眼前で実体化すると、


「ちょっと失礼」


 ラマの腕をヒョイと除けて、捕らえられていたルシアを救い――、ルシアごと黒い霧に姿を変えた。

 ――激しい爆発が起こった。

 突風が吹き荒れ、全てが消し飛んだと、誰もが覚悟を決めた。

 しかし。


「ど……、どういうこと? マーラ。あなた何を」


 ラマが顔を真っ赤にして怒り狂っている。

 サエウムの破壊の球が破裂したのに、街は殆ど被害を受けなかった。白黒の空間から脱するときに壊された場所以外は、被害も少なく、何もなかったかのような状態なのだ。死を覚悟していた人々も、何が起こっていたのか理解に苦しむほど。


「あなたの悪魔が攻撃するより先に、加護の魔法を打ったのよ。間に合ってよかった」


 ホッと胸を撫で下ろすマーラの隣には、使い魔が、ルシアを抱きかかえて立っている。

 ラマはギョッとして、自分の腕の中を確認した。……捕らえていたはずのルシアが消えていたのだ。


「死ぬかと思ったぜ。大事な女性を一人、失うところだった」


 金髪の使い魔は美しい顔でニヤリと笑った。

 ルシアはその腕の中で、すっかり気を失っていた。

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