第9章 孤独な王と哀れな悪魔

1 惨状

 王宮に轟いた一発の銃声に、ダミルが気づかないわけがなかった。

 嫌な予感がした。普段から慎重に慎重を期した性格の王ではあるが、実のところ気が短い。自分の感情を抑えきれなくなるとなかなか手のつけられないお方だと、ダミルは普段から王に対して言葉選びにも気を遣うほどだった。

 モルサーラが覚醒したルシアを連れて王の執務室に向かったのは知っていたが、そこで何かがよからぬことが起こったのだろう。大方、諦めの悪いあのネスコーの魔女マーラが余計なことをしでかしたに違いない。と、ここまでが銃声を耳にした刹那に思い浮かべたこと。

 音は結界によりある程度かき消されていると信じたい。マーラによってこじ開けられた部分も、時間が経った今は修復されているだろうから、王宮の外に漏れ聞こえることもないと思うが、それでもダミルは気が気ではなかった。

 一番厄介なのはモルサーラではなく、モルサーラを盲信した王だということをダミルは知っている。

 もちろん、それはモルサーラが余計なことを教え込んだからに違いはないが、純粋無垢だったラルフ王子が母を失った寂しさからモルサーラに入れ込んでいく様子は、とてもとても、まともではなかった。

 純粋な人間ほど、悪に染まりやすい。

 ある程度知識のある人間ならば、あのように丸め込まれることもなかったろうに。

 ダミルは廊下を駆け、執務室へと急いだ。

 魔力をぶつけ合った臭い、結界を張っていた気配、それからうめき声、怒鳴り声も。

 目を離すべきではなかった。王のそばにはアシュリーがいると安心しきっていたが、アレはアレで臆病なところがある。モルサーラに対して恐怖心を抱きすぎるところだ。やってしまったと、ダミルは唇を噛んだ。

 あと少し、あと少しで執務室に。

 そればかり考え、やっとドアのノブに手をかけたとき、更にもう一発、銃声が鳴った。


「ふざけるな、たかが魔女の分際で。何が平和だ、何が落ち着けだ。私は十分落ち着いているし冷静だ。魔女は魔女らしく闇の中で生きていれば良いではないか。この国の王は私だ。私に説教を垂れ、私より優位に立ったつもりで居る、その態度が気に食わない」


 ドアを開けた先にあった光景に、ダミルは思わず左手で額を覆った。

 遅かった。

 王の銃弾が、既にマーラの左腕を貫いていた。血が滴り落ち、幾何学模様の絨毯が真っ赤に染まっている。マーラは痛みを堪え、傷口を押さえて王を睨み付けていた。

 最悪だ。

 この、愚かな王はとんでもないことを。

 まさか魔女をそんなもので殺せると思っているのか。愚かしいにも程がある。


「気に食わなくても結構よ。あなたがやろうとしていることは、この国どころか、世界をも滅ぼす行為。それを止めようとしない人間ばかりのところでぬくぬくと生きてきてしまったのね。本当に、可哀想な人」


 マーラはマーラで一歩も引かない。傷口を押さえた手から光が漏れているところを見ると、魔法で回復させているようだ。さすがと言うべきか。

 ダミルが周囲を見回すと、アシュリーの姿もある。満身創痍ではあるが、どうにか立っている。モルサーラ、それからマーラの使い魔、王立大学生のルシアは倒れているようだ。いずれも人間の姿に戻っている。ということは、アシュリーの得意な変身術解除の魔法でも発動したと、ダミルにはそう推測できた。

 短い間に、色々とやってくれたものだ。

 ダミルは感心し、ため息をついた。

 政治的な関心が低く、大抵のことには無関心を貫いてきたマーラは、ダミルが一番敵には回したくない魔女だった。面倒なのだ。魔力もさることながら、その意志の強さと言ったら、てこでも動かない。だから、出来ることなら森の奥深くで適当に使い魔の美少年と仲良く永遠の時間を過ごして貰いたいと思っていたのにこのザマだ。

 まぁ、その美少年がよりによって、旧王家の王子だと知ったときから、この展開は予想できていたはずなのだが。


「これはこれは。陛下、どうなさったのです」


 ダミルは大げさに両手を開いておどけて見せた。

 王がギラリと光らせた目と銃口を同時にダミルに向ける。


「お前が野生の魔女をほったらかしにするから、このようなことになったのだ。口先ばかりの無能が」


「おぉ、陛下。そのような言葉遣いはお止めくださいませ。マーラはつい先日、王都に侵入したばかり。速やかに回収できなかったのは確かに私の不手際ではありますが、存分に手は尽くしておりました。しかもマーラは、他の魔女や魔法使いと比べものにならぬほどの強者。行動予測もできず、大変申し訳なく」


 両手を挙げ、申し訳なさそうにしているが、ダミルの本心は明らかに王を軽く見ていると誰の目から見ても分かるくらいに大げさだった。


「強者? 所詮魔女は魔女。今まで同様、従わぬ者はさっさと始末すれば良いのだ。使えんな、ダミル。我が父グルーディエ14世が最も信頼した魔法使いだからとそばに置き続けたが、お前のようなクズはこれからの時代には不要だ」


 撃たれる。

 ダミルは咄嗟に思う。

 魔法の盾で弾き返すのが得策だろうが、果たして発動が間に合うか。年は取りたくないものだと口角を上げる。

 自分の体力と魔力の衰えに覚悟を決め、静かに目を閉じた。

 銃弾が放たれる。

 さて、何処が狙われたろうか、頭ならばこの先スッと意識が失われるのだろうかと、そこまで考えたが、ダミルは無事だった。

 恐る恐る目を開けたダミルの目に、王を取り押さえる金髪の青年の姿が見えた。


「クズはお前だ。こんな危険なおもちゃ持ちやがって。人を殺す道具を頭のおかしくなった人間に持たせるなって、子どもの頃教わらなかったか」


 ミロはそう言って王の腕を後ろから捻り上げ、銃を床に落とさせた。

 放たれた銃弾は天井にめり込んでいた。


「無礼な……! 私はこの国の王だ。訳の分からぬことを抜かすな」


 王はスルリとミロの束縛から逃げ出し、落とした銃を拾おうと床に手を伸ばした。

 しかし、ミロはすかさず、その手を足で強く踏みつけた。


「こんな武器に頼らなきゃ自分の主張も出来ないなんて。可哀想に」


 ギリギリと踵を捻って、骨が折れてしまいそうなほど強く手を踏みつけられた王は、悲痛の叫び声を上げる。ミロはそれを無表情に見下ろしている。


「ただ王家に生まれただけで王になれると思っていたのか。浅はかだな。本物の王様は、力での支配なんか考えない。民の幸せを願い、豊かな暮らしを実現させるために奔走するもんだぜ。それを忘れて、ただ権力と支配欲に囚われているだけのお前は、もう王じゃない。ただのゴミクズだ」


 ミロは最後に思いっきり王の手をひと踏みした。

 断末魔が響き渡るが、誰も助けに行こうとはしなかった。

 王は踏まれた右手を引き抜こうと左手で腕を引っ張っている。


「止めろ……、手が、手が……!」


 丁寧に結っていたはずの金髪は、解けかけていた。

 パーカーはちぎれてボロボロで、内側に着ていたシャツも生地がビリビリ裂かれて腰に垂れている。カーゴパンツの裾も切り裂かれたようになっていた。

 それでもミロの顔は、私欲にまみれたグルーディエ15世よりも高貴に、凜として見える。


「サーラ! 目を覚ませ! 私を助けろ! どうしたサーラ!」


 王は必死にモルサーラを呼んだ。

 うつ伏せに倒れたモルサーラは、王の声にピクリと反応した。

 面倒な。今のうちにとどめを刺せば良いものをと、ダミルは思った。

 いや、とどめが刺せたのなら、とっくに刺していただろう。体力も魔力も、皆限界なのだ。ただの人間の王を止める程度の体力しか残っていないからそうしていたのだと、慌てて考え直す。

 腕が動いた。

 唸り声とともに、モルサーラは徐々に起き上がってゆく。


「う…うぅ……」


 ゲホッと、咳き込んだような声。

 立ち上がるモルサーラの口元から、バラバラと小さな欠片が次々と絨毯の上にこぼれ落ちた。

 お腹を押さえ、ついには嘔吐えずくようにして大量の何かを吐き出していく。


「死神星の欠片か……?」


 ダミルが呟く。

 モルサーラは何も答えずに、真っ青な顔をして、そのまま倒れ込んだ。

 邪悪なまでに膨れ上がっていたあの恐ろしい気配は既になく、青年姿のモルサーラは、憑きものの取れたような静かな顔をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る