第2章 森の遺跡

1 ルシアの家

 昼からは大学へ行くつもりだったのに、なんだか変なことになってしまった。

 ルシアは首を傾げた。

 狭い家に、魔女と使い魔の少年がいる。


「あの……」


 まるで自宅でくつろいでいるかのようにルシア気に入りの食卓に腰をかけるマーラと、無遠慮にあちこち部屋の物を物色するミロ。

 築50年を超える古びた家に、ルシアは自分の気に入りを沢山詰め込んでいた。食器棚の一角には、骨董市で買い漁った古い皿やカップ。本棚からはみ出す大量の古本は、床まで侵食してうずたかく積まれている。果たしてどこまでが読んだ本で、どこからが読んでいない本なのか、当のルシアすら殆ど分からない始末だ。更に化粧小物や文具、その他諸々の私物があちこちの棚やテーブルに置きっぱなし。ふとキッチンに目をやれば、今朝の食器がシンクにそのままで、調理台の側にはうっかり食べそびれて半分腐りかけの果物があったのを思い出してげんなりした。

 人を招き入れられるような場所じゃないのに。

 カフェでの会話の後、どうにかして家まで二人を連れてきたらしいが、記憶が曖昧だった。頭がぼうっとして何かを口走り、気が付いたら自宅だった。ホットサンドも食べずに手に持ったまま。すっかり冷えてしまったから、温めて食べるしかなさそうだ。


「私、家に来てもいいよなんて言いましたっけ? なぁ~んか、おかしくないですか?」


 しかし二人は何食わぬ顔。


「ねぇ、ところでルシア。あなたの持っていた本、見せてくださる?」


「本? あぁ、これですか?」


 バッグの中から王立図書館で借りた本を食卓に載せると、マーラは「そうそう」と嬉しそうに手に取った。


「へぇ。風習と伝承かぁ。で、この中に私のことが書いてあるのね」


 マーラはマントをおもむろに外して、椅子の背にかけた。華奢な腕と豊満な胸がハッキリと姿を現し、ルシアは同じ女性なのに顔を赤らめてしまう。

 パラパラと興味深げに本を眺めるマーラ。睫毛が文字をなぞる度に上下しているのが何とも美しい。ゴテゴテしい民芸品の指輪や腕輪、首飾りや耳飾りも、一見やり過ぎに見えてしまうが、よく見ると独特の世界観のようなものがあってとても面白いのだ。

 昔々、装飾品には様々なまじないが込められていたと聞く。例えば指輪も、どの指にはめるかで願いが変わってくるとか、どの石を使うとどうだとか、そういうこと。今は占いとして残っているそういった事柄が、昔は魔法や魔術の一つとして扱われていたようだ。

 黒い衣装も、よく見れば胸元から足元まで黒い糸で綺麗に細かい刺繍がしてある。もしかしたら、この刺繍にもまじないがかけてあるのだろうか。


「ルシアは一人暮らし?」


 汚れたシンクを覗き込み、食器棚をジロジロ見ながらミロが訪ねてくる。

 ルシアは慌ててキッチンへ向かい、スッとシンクの前に立ってミロの視線をわざとらしく塞いだ。


「は……はい。一人です。一緒に暮らしていたおばあちゃんが去年亡くなったから、一人になっちゃって」


「どおりで。食器の数は多いのに、最近はひとり分しか使われた形跡がない。独り身だと片付けも面倒になりがちだもんな」


 と、ルシアが隠そうとしていた果物のカゴを手に取り、中を覗いてウッと顔をしかめるミロ。最悪とばかりに、ルシアはミロからカゴを取り上げて自分の後ろにそっと置き直した。

 目の前にしてみると、ミロは小さい。ルシアよりも頭半分ほどは小さくて、まだ身体が出来上がっておらず、何とも頼りなさそうな少年だ。口だけは生意気だが、目を奪われるような柔らかな髪色と整った顔立ちだけを見ると、まるで人形のようだ。

 と、今度は電磁調理器のことを不思議そうに眺め、首を傾げている。


「かまどがない……。代わりに平らな板が置いてある。知ってる台所とはだいぶ景色が違うな。今って、王暦何年?」


「に、2000年です。来月には記念の建国祭が……」


「――2000年?! ……そりゃあ文明も進むよな。うへぇ、とんでもないところに連れてこられたぜ」


 苦々しい顔をするミロ。少しわざとらしい驚き方だったが、嘘をついているようには見えない。


「ここに何かがあるから来たんでしょうよ。まさかそんなにも先の時代に来てしまったなんてね。この本、トゥーリのことが昔話みたいに書いてある。あの子、無事に一生を終えたのかしら」


 本を読んでいたマーラが、もの悲しく言うと、ミロは大げさに息を吐いた。


「――そんなに心配なら、手放さなければよかった。綺麗な子だったもんな。ネスコーの魔女のお気に入りだった。好きで好きで仕方がなかったのに、魔法もかけずに一緒に過ごしてたよな。今が王暦2000年なら、子孫には出会えるかもよ。結婚して、子どもをなしていれば、だけどさ」


 結婚して、のところでマーラはわかりやすく頬を膨らませる。ふくれっ面が綺麗な顔に似合わず、とても可愛く見える。


「トゥーリって、この本の中に書かれてた、ネスコーの魔女から逃れて証言したっていう男性のことですか?」


 恐る恐る聞いたルシアに、マーラは目を伏せてゆっくりと頷いた。


「別に、誰彼構わず拾っていたわけじゃないのよ。本当に綺麗な子でね。私は彼のことを……」


 そこまで言ったとき、ふいにルシアの携帯端末の音が鳴った。

 マーラは肩をすくめ、ミロは驚いて引っ繰り返りそうになっている。

 バッグに入りっぱなしだった端末を椅子に置いたままのバッグから取り出すと、ルシアは「しまった」と声を上げてから応答した。


「はい、こちらルシア……」


『はい、じゃないだろ! 時間! もう出発するからな! 直接どうにかして現地に来いよ!』


 声は研究室の友人、リオルのものだった。耳に響くような怒鳴り声で、ルシアは思わず端末から耳を離してしまった。


「あ、あれ? でも調査は確か来週……」


『初回は今日! 来週は二回目! 日程表貼ってあっただろ? 悪いけど時間は時間だからな!』


 ブツリと通話が切れた。

 端末の画面を見つめながら、ルシアは血の気が引いていくのを感じていた。


「い、今の何? その板から音が出てたのか?」


 ミロの質問に答える余裕などない。

 どうしよう。

 目を泳がせるルシアに、どうしたのとマーラが優しく問う。


「えっと……、その、これから出かけなくちゃならなくて。申し訳ないんですけど、このままお待ちいただいたりなんかしてもらえると……」


「ごめんなさい。用事があったのね。私たちが急にお邪魔したから」


「そ、そうなんですよ。じゃ、そういうわけで、すみませんけど」


 バッグを肩にかけ、そろりそろりと出かける準備を始めるルシアに、マーラは何か妙な物を感じたらしい。


「どこに……」


「研究室でネスコーの村に石碑調査に……って、ああ! しゃ、喋っちゃった!」


 慌てて口元を隠すルシアを、マーラとミロは頷き合いながら見つめていた。

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