第4章 魔女ネヴィナの悲痛

1 流星の子どもと悪魔

 気を失ったルシアを研究室奥の仮眠室に寝かせると、ミロは青年の悪魔姿から、少年へと姿を戻した。

 これがまたエルトンとリオルを驚かせたが、ミロ本人は、


「ルシアが驚くから静かに」


 と騒ぎ立てることを許さなかった。

 ミーティング用テーブルの上を片付け、温かいコーヒーを用意する。各々椅子に座って一段落したところで、エルトンは改めて、魔女と少年をじっと見つめた。

 魔法というものには全く関心のなかったエルトンでさえ、思わず興味を持ってしまうほどに、二人は不可解な存在だ。どういう理屈か知らないが、急に周囲が光ったり、姿形を変えたり、物が移動したり。過去には存在したと裏付けるような資料も見たことはあるが、あくまで想像上のことに過ぎないだろうと、これまで信じて疑わなかったのだ。しかし、目の前で何度も不思議なことが起きれば、流石のエルトンであっても、認めざるを得ない。


「ルシアのこと、どうもありがとう。何があったかは知らないが、お陰でぐっすり休んでいる」


 エルトンはマーラとミロに頭を下げ、礼を言った。

 マーラはコーヒーをひと啜りしてニッコリ笑う。


「こちらこそ、ルシアには助けて貰ったんだもの。きちんとお礼はしないとね。それに、私たちも、彼女のことを助ける理由が出来てしまった。偶然にしては出来すぎている気もするけれど、これも運命なのだと思って受け入れるしかなさそうなの。……改めて、自己紹介させて頂戴。私は、ネスコーの魔女マーラ。で、彼が、私の大切な人、ミロ。少し訳ありなんだけど、そこは後でお話しするわ」


「こちらこそ自己紹介が遅れて申し訳ない。僕はエルトン・ファティマ。王立大学で民俗学の研究をしている。ルシア・ウッドマンは僕の研究室の学生で、こっちは同期のリオル・マクミラン。リオルは学内ではルシアと一番仲が良いんじゃないかな」


 互いに挨拶し合い、素性を明らかにしたところで本題に入る。

 特にエルトンは、この不思議な二人に興味津々なのだ。


「ところで、あなたたちは何者? 魔女と……、君はさっき、悪魔のような姿をしていた」


 少年姿に戻ったミロは、先ほどとはまるで別人だ。

 慎重に言葉を選んで尋ねるエルトンに、マーラはニコリと微笑みかけた。


「お時間が大丈夫なら、少し説明させていただきたいの」


「大丈夫です。今日の午後は……、講義はないので」


「それはよかった。実はね、かなり込み入った事情があって」


 マーラはカップをソーサーに置き、姿勢を正した。

 ミロはその隣で、ふてぶてしく腕と足を組み、エルトンたちから視線を逸らした。


「この間、石碑のところで“流星の子ども”の話をしたわよね」


 エルトンとリオルは、うんうんと無言で頷いた。


「王妃が私に託した子どもが、彼。ミロは、死神星の呪いをかけられたグルーディエの王子なの」


 リオルはギョッとしていた。

 エルトンは、やはりかと顔を手で覆った。

 当のミロは、気まずいのか、長い髪の毛を両手で交互にいじっている。


「現在の、じゃないわよ。随分昔の話。代々の国王がグルーディエを名乗るより前の話だから……、この時代からは400年以上前、かしらね。あの頃はアズール全体が暗澹としていたから、資料がこの時代までどれだけ残っているか……」


「暗黒時代、ですね。1300年代~1500年代までは特に、世界中で様々な戦があった。そうか、その頃の。となると……」


 エルトンは懐から手帳を出し、パラパラとページを捲った。


「マグヌ・ルベ・モル彗星が観測された年から推測すると1321年、1541年辺りかな。仮に400年という数字が間違いないとしたら、1541年が濃厚」


 マーラが小さく頷く。


「王国内でもいざこざが絶えなかった。王位継承権のある王子たちやその後見人が、激しく火花を散らせていたそうよ。――そんな中、よりによって流星の子どもとして生まれたのがミロ。タイミングは最悪。王妃は我が子可愛さに私に助けを請うた。王都までよく薬を売りに出ていたから、偶々王妃の耳に私の噂が届いたのだと思うわ。森の外れでひっそりまったりと暮らしていた私の生活は一変した。まさかの子守が始まったんだもの。それはもう、可愛い子供で。流石高貴な血を引くだけあって、美しい少年に育っていった。――ね?」


 手のひらをミロに向け、ニッコリと笑うマーラ。

 ふてくされてはいるが、確かにミロはその年頃の子どもたちに比べ、明らかに整った顔立ちをしていた。それこそ、女性ならキュンとしてしまうだろうというくらいには、美少年だ。


「ところが、問題はここからよ。≪流星の子どもは殺しなさい≫と、碑文にあったでしょう。あの意味に、私はようやく気付くことになる」


 再び、エルトンの手の中で、手帳がパラパラと捲られる。


「……≪流星の子どもは狂う≫、ということですか」


「ええ。その通り」


 マーラはじっと、エルトンとリオルを見据えた。


「悪魔の姿になって、戻れなくなってしまった“流星の子どもたち”は沢山いるわ。ミロが少年の姿を保てているのは、私が魔法をかけ続けているから。偶に、何かがあると悪魔の姿に戻して手伝って貰うけれど、日中はなるべくこの姿を保てるようにと思ってね。ただ、夜になるとどうしても、魔性の力が強くなって、封印魔法が弱くなる。だから夜の間だけは大人の姿になってしまうの。それに、長い間悪魔の姿でいると、興奮状態になって、自我が吹っ飛ぶらしくて。だからなるべく、そうならないよう、周囲は封印魔法をかけ続ける必要がある。余程信念の強い魔女や魔法使いでなければ、これは難しいことよ」


 マーラの話をじっと聞いていたリオルが、恐る恐る右手を挙げる。


「あの、聞き間違えじゃなかったら、さっきの悪魔も、“流星の子ども”だと」


「ええ。サエウムは、ラマが飼い慣らした“流星の子ども”。お利口な男の子だったのに、今じゃただの魔物よ。ラマは“流星の子ども”を人間扱いしない。ただの便利な使い魔程度にしか思っていない」


「も、もう一つ聞いていい? さっき、あの魔女、ルシアのことを、りゅ、“流星の子ども”だって」


「――何だって!」


 エルトンが急に大声を上げた。

 慌ててリオルがシーッと口に人差し指を立てる。仮眠室の方を指さし、ルシアが寝てると身振り手振りで訴える。

 リオルに座るよう促され、どうにか鎮まるが、目はらんらんとして、息も激しい。


「ええ。そうよ。ルシアも“流星の子ども”。私には分からないけれど、ミロが言うには、“流星の子ども”同士にしか分からない、気配のようなものがあるらしいの。それに、今日、その証拠を見つけたわ。彼女には封印魔法がかかってる。――ねぇ、リオル。あなた、ルシアのおばあ様について、何かご存じ?」


「い、いいや。俺とルシアが知り合ったときにはもう、ルシアは一人で暮らしてて」


「そう……。その辺の事情は本人から聞くしかないわね。ネヴィナって魔女が誰なのかわかればと思ったのだけれど」


「ネヴィナ?」とエルトン。


「ええ。自分の命と引き換えに、ルシアの魔性を封じていたようよ。けれど、それも永遠じゃない。魔力を注ぎ続けなければ封印魔法は次第に弱まっていくし、それに」


 そこまで言って、マーラはその先を喋るのを止めた。

 口に手を当て、自分のエプロンを見て、ため息を吐く。


「マーラがやっちゃったんだ。封印、知らずに解いた」


 ミロが追い打ち。

 頭を抱えて項垂れていたマーラだが、「そうよ!」と突然立ち上がった。


「ルシアに魔法をかけないと。ちょっとごめんなさい」


 ミーティング用のテーブルから離れ、カツカツと足音を立てながら仮眠室へと急ぐ。後ろからちょろちょろくっついていたミロが、「隙間?」と声を出し、ハッとする。きちんと閉めていたはずの仮眠室のドアが、ほんの少し開いていたのだ。

 隙間から人影が見えた。


「――ルシア、起きてる?」


 ミロが声をかけると、バッと勢いよくドアが開いた。


「あ、あの。その」


 そこには、タオルケットに包まったままのルシアが立っていた。

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