5 魔女のねぐら

 その家はテロリストのアジトに仕立て上げるには不都合なくらい、優しく柔らかな雰囲気のする場所だった。ユロー地区の古い街並みに溶け込む、古い屋敷。庭には沢山の草木が生い茂り、色とりどりの花が咲き乱れていた。庭はそこに住む人の心を表すというのだから、手入れが中途半端にしても、これほどの緑に囲まれながら悪事に手を染めるような輩はいないだろうと思ってしまうのが人間だ。

 しかし、王都警察の刑事アシュリー・クロスは、首を傾げる同僚に「魔女の気配がする」と言い放ったのだ。

 アシュリー自身も魔女なのだと、しかしそれは公然の秘密だった。

 彼女以外にも、警察組織や政権内部には魔女や魔法使いが紛れている。一般社会ではその存在を忘れられてはいるが、彼らは国の中枢部で綿々と生き続けていた。

 二日前から連続で起きた爆破事件に魔女が関わっているのは、全世界が動画やニュースで知る通り。しかもその魔女は、突如として現れた。いかなる理由があれど、一般市民を混乱に陥れたことに変わりはない。テロリストとして魔女を指名手配する――というのが上層部の決定だった。

 突入した民家には確かに魔女がいた。しかし、その協力者と思われる男は未だ年端もいかぬ少年で、重要参考人である家主の大学生も、うら若き乙女でしかなかった。

 それでも確実に、アシュリーの言った通りに事態は運んだ。

 魔女は魔法を放ち、家からは何種類もの薬草が押収された。


「ただの香草にも見えますが」


 発見したハンソンが謙遜気味にアシュリーに現物を見せる。一種類ずつ丁寧に瓶詰めされたそれは、ハーブのようでもあったし、見たことのない植物にも見えた。

 アシュリーは瓶の中身を見るとニッコリと笑い、


「組み合わせ次第で様々な薬を作るのが魔女の仕事よ。一見大丈夫そうに見えて、それが幻覚幻聴効果をもたらしたり、神経に作用するようなものだったりするの。全て押収して。何が混ざっているか分からないような植物片もね」


 薬草が発見された部屋の中からは、調合に使う道具も発見された。かなりの年代物だった。この場所で魔女が長い間何かをしていたというのは間違いないようだ。

 その他にも、家中に妙な民芸品が散らばっていた。およそ年頃の女子とは無縁そうな気色の悪い仮面や装飾品、調度品などが、あちこちに積まれた段ボールの中に無造作に入っていたのだ。


「家主は確か、民俗学を学ぶ大学生だと」


 モリスは言いながらそのひとつひとつを確認しては顔をしかめる。

 箱の中の面がじっとりとモリスを睨み付けているように見えたのだ。


「何かあったときに偽装するには最高ね。研究のために集めていたと言えば、呪いのかかったものも儀式で使うものも手元に置ける」


 アシュリーはまた、箱を一緒に覗き込みながら鼻で笑う。

 階段を上がって、二階の廊下を突き当たった場所にある部屋の前で、アシュリーは道具が到着するのをじっと待っていた。鍵が掛けられているだけではない、異様な雰囲気のする扉だ。手をかざすとしびれを感じ、それ以上近づくことも出来ない。妙な力が扉全体を覆っているのが、アシュリーには手に取るように分かった。


「魔法で封印してある。しかもかなり強力ね」


 アシュリーが言うと、モリスもハンソンも、どういうことかと首を傾げた。


「マーラがこういう魔法を使うイメージ、ないのよね。魔女にしては人間的というか、甘ったるいイメージしかなかったのに、……なにかしら、この扉の向こうには少し違うものを感じる」


「魔法で封印されているのであれば、魔法で解除出来るのでは」


 何気なくハンソンが言うと、


「そんなに簡単ならばとっくにやってるわよ」


 アシュリーは舌打ちしてドアを睨み付けた。


「何でもかんでも魔法で出来るならば、こんなにも魔法は衰退しなかった。つまりね、万能じゃないのよ。だからこそ科学が発展し、魔法を凌駕していった。マーラの慌て振りから察するに、ここに何かがある。絶対にね」


 階段を駆け上がる複数人の足音。車両に積んであったチェーンソーが運び込まれた。

 内部の様子を確認してから作業に当たるため、道具を持った警官がドアをノックしようとするが、途端に見えない力に弾かれてしまう。


「な、なんですかこれは」


 驚き、慌てふためく警官に、アシュリーはまた舌打ちし、


「――あんまりひょいひょい見せるようなもんじゃないんだけど」


 言いながらチェーンソーの刃に向けて手をかざす。

 小さな魔法陣が出現し、チェーンソー全体が紫色の光を帯びると、アシュリーはニッコリと笑って、


「これでどうかしら。思いっ切りやっちゃって」


 と指示を出した。

 扉の中央部に刃が当てられる。先ほどとは違って、弾かれることなく、すんなりと刃はドアに刺さった。劈くような音が家中に響き渡り、立ち会っていた警官達は皆顔をしかめたが、アシュリーだけは涼しい顔で動向を見守っていた。

 やがてチェーンソーの刃がドアの向こう側に到達し、そのまま下方向へと動かされていくと、徐々に黒っぽいもやのようなものがその穴から染み出してきた。それは広がっていく切れ目から少しずつ漏れてゆき、廊下の床まで到達してそのままじわじわと床を這い始めた。


「瘴気……」


 読みが当たったと、アシュリーはまた頬を緩める。

 チェーンソーを走らせた跡が扉の内側にグルッと大きな円を作ると、最後にドンドンと拳でドア板が外された。

 途端に、染み出していた黒い瘴気は勢いを付けて廊下へと噴き出していく。襲いかかる瘴気を警官達は各々腕で頭を覆って防ぎ、その勢いが弱まるのを待った。

 そんな中、アシュリーはやはり瘴気に臆することなく、ドアの内側に開けられた穴を通って部屋の中へと侵入していったのだった。

 遮光カーテンで、未だ昼間なのに部屋の中は真っ暗だった。アシュリーは手探りでスイッチを探し当て、明かりを付けた。そして部屋の中を見渡し、またニコリと笑う。


「ハンソン、モリス、ちょっとこっち来て」


 腰をかがめて、穴の中から廊下の二人を呼び込むアシュリー。

 なにかあったのだろうかと、首を傾げながらドアの穴を潜った二人は、文字通り絶句した。

 天井から床まで、べっとりと付いた古い血液の跡。床には妙な魔法陣。古代文字で何やら書き込みがあった。

 それはとてもあの柔らかな印象の家の外観からは想像も付かぬおぞましいもの。


「ぎ、儀式の跡……?」


 ハンソンもモリスも震え上がった。

 チェーンソーを持ってきた複数の警官達も、同じように部屋を覗き込み、皆声を詰まらせた。


「血液の固まり具合から考えて、かなり昔のもののようね。これが一体誰のものなのか、調べる必要があるわ。それにこの魔法陣……。≪魔女ネヴィナの寿命と引き換えに、流星の子どもの悪しき力を封じよ≫……、つまり、この部屋でネヴィナという魔女が“流星の子ども”の魔力を封じたと。――読みは間違ってなかった。間違いなく、この家は魔女のねぐら。そして、ルシアちゃんは“流星の子ども”だったってことね……!」


 笑いが止まらなかった。

 アシュリーにとって、これほど面白いことはなかった。


「最高の展開ね……! マーラ、悪いけどこの時代最強の“流星の子ども”はきちんとモルサーラ様に献上させて貰うわよ……!」


 床に描かれた魔法陣を見ながら、アシュリーはいつまでも嬉しそうにケタケタと笑っていた。

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