第6章 グルーディエ王国の闇
1 耐える
何かが身体の中で砕けていくのを、ルシアは感じていた。
心臓が激しく痛み、思わず両手で胸を押さえた。ジャラッと手錠の鎖の音が耳に残る。
狭い車内、両脇には警官。逃れることも苦しみを訴えることも出来ない。
どうしてこうなってしまったのか、考えても考えても分からない。今まで平穏無事に過ごしてきた日々は何だったのか、自問自答する。
あの日、古い紙幣に目を奪われたのがいけなかったのだろうか。10,000ガル紙幣なんて珍しいと、奇妙な二人組に声をかけたのが全ての始まり。
――いや、違う。
本当はもっともっと前から。ネヴィナがルシアの呪いを封印し、祖母として一緒に暮らし始めたあの日から。
違う。
生まれた日。
流星の降り注ぐあの日に生を受けたときから、いずれこうなると。
自分にはどうすることも出来ないこと、変えようのないこと。
誰かの優しさで包まれていたからこそ成り立っていたこと。
そういうことができなくなってしまえば、全て終わってしまうこと。
マーラやミロのことを恨もうとは思わない。
彼らは彼らで事情があり、ルシアのことを知って手を差し伸べた。
ルシアにはなんとなくその後の展開が予想出来た。重要参考人だなんて最初だけ。家が捜索され、あの部屋の秘密が明るみに出れば、殺人の容疑がかかる。きっと誰が被害者かなんてDNA検査されれば直ぐに分かってしまう。そうしたらもう、二度と日差しの下で生きることは出来なくなる。
そして――……、アシュリーによって恐らくネヴィナの封印が解かれてしまった。未だこうして意識を保っていられるのは、マーラが研究室で封印魔法を施してくれたからだろう。
そのマーラも、テロリストの容疑をかけられた。
あり得ない。アシュリーがマーラを陥れたのは確実だ。
ネヴィナの残した薬草や魔法陣が動かぬ証拠になってしまったことに、更なる憤りを感じる。
最悪だった。
どこまでも最悪。
何がどうしたらこうなってしまうのか、順立てて考えても全く分からない上、自分の力ではどうにも出来ないなんて。
――『封印魔法を施したから、恐らくしばらくは大丈夫。ネヴィナの魔法と重なってる間は、心配ないと思うわ』
ルシアの中でマーラの言葉が膨れていく。
――『あなたは今後、狙われるわ』
――『残念なことに、命を狙われるわけじゃない。あなたの中に封印された魔性を解き放とうとしてくるの』
――『死神星の呪いは強力よ。簡単に解けやしない。押さえつけることが出来なくなってしまえば、簡単に悪魔や魔物に姿を変えてしまう。そしていずれ、人間には戻れなくなる』
何度も忠告を受けた。
だけれど、どうにも出来なかった。
――『約束よ、ルシア! 力を押さえ込んで! 決して、流されちゃダメよ!』
そう、流されてはいけない。
まだマーラのかけた額の封印がある。全てが解き放たれたわけではないはずだ。
大きく肩で息をし、震えを抑えるように背中を丸めるルシアを、両隣の警官は怪訝そうに見つめている。自分の侵した罪が明るみに出ることを恐れているのかと、そういう風にも見えていただろう。
ルシアは自分の身体が少し熱を帯びているのに気が付いた。
そして、身体のどこかしこでミシミシと何かが膨らんでいく微かな音にも気付いていた。
ダメ、絶対にダメ。
ルシアはまた目をギュッと閉じた。
呼吸を整え、胸に手を当て続ける。
――『力が溢れ出しそうになったら、左手を胸に当ててギュッと押さえ込んで。そして力が身体の中に引っ込んでいくのをイメージする』
何が力なのか、何が魔法なのかも分からぬまま、マーラの言葉だけを反芻させる。
大丈夫、私は私、と。
しかしルシアは知らなかった。
もう既に、変化は始まっていたのだということを。
*
王都警察本部は、中心部から少し外れた西側にあった。旧グルーディエ王国軍の兵舎をモチーフにしたビルは圧巻で、その権力の大きさを物語っていた。かつては衛士、憲兵隊などと言われていた組織も、近代化と共に姿を変え、軍と共にグルーディエ王国、ひいてはグルー大陸全土を見守る存在となっていた。
ルシアたちを乗せた複数の警察車両が列をなして本部へ到着すると、三人は到着した順にそれぞれ写真を撮られ、名前を聞かれるなどした。
「ファミリーネーム? 魔女に家族がいるとでも? 身分証明書? 何それ。おかしなことを言うわね」
調書には“マーラ(自称)”と書かれている。
「敵対する魔女が襲ってきたのに応戦しただけよ。向こうが裁かれず、私だけ捕まるなんておかしな話ね。偶々私が二日とも絡んでいただけ。アシュリーを出しなさい。初日のアレは彼女に違いないんだから。私がこの時代に飛んで来たことを察知して直ぐに襲ったのよ。でなければラマは? ニゲルの魔女ラマだって、本当はこの界隈で良く動いてるんでしょう? あの狂った魔女がやりたい放題やったから面倒なことが起きたんじゃない。いい加減にして。私は何もしていない。そしてミロも、ルシアだって。特にルシアは私たちに宿を貸してくれただけの優しい子よ。変な嫌疑をかけて、本来の目的を果たそうとするのは卑怯だわ」
怒りの収まらぬマーラが次々にまくし立てるが、取り調べ担当のハンソン刑事は淡々として頷くばかり。どこまで事情を知っているのか、時折チラチラとマーラの表情を覗っていた。
「破壊行動は罪だ。そして、その準備をした証拠、殺人が行われた過去がある証拠が出てきた。これに関しては?」
睨み付けるハンソンに、マーラは一瞬ドキリとした。
二階の開かずの間のことは、話したところで理解してもらえるなんて思えなかった。
マーラは一転、口を閉ざした。
ルシアを守らなければならなかった。彼女の秘密を、こんな所で明るみに出すわけにはいかないのだ。
*
ミロはマーラの協力者として、彼女と行動を共にし、その手助けをしていたとされた。彼女の行ったことは罪であり、裁きを受けなければならない、そして彼女に協力したミロも共犯であることを告げられる。
「なるほど、言いたいことはなんとなく分かる」
ふてくされながらも、ミロは取り調べ担当のモリス刑事にうんうんと頷いた。
外見は未成年のミロだが、マーラとは何百年も一緒に過ごしていると意味不明な供述をする彼の調書には、“年齢不詳”と文字が添えられていた。
「だけどそれは人間社会でのことだろ。人間を辞めてから随分経つのに、どうして人間のルールに従わなければならないのかって、そこが分からない。そんなことより、もっと悪い奴がいるんだから、そっちを捕まえるべきだろ? お前の仲間のアシュリーって魔女、あいつの方がよっぽどあくどいぜ? モルサーラの信者は捕まえないクセに、マーラを捕まえるなんて、お前らよっぽど頭悪いな」
モリスは一瞬ピクリと反応しミロを睨み付けたが、ウウッと咳払いし、平静を装っていた。
その様子をミロはじっくりと観察していた。
*
ルシアは、魔女を
異変に最初に気付いたのは、一人の警官だった。
後部座席にルシアを挟んで二人の警官が乗り込んだのだが、警察本部に到着後、そのうちの一人が車から降りるよう声をかけたときに、違和感を覚えたのだ。
手錠をはめ、民家から連れ込まれたときには童顔の小柄な女性だったはずなのに、何かが違う。しかし、移動中はピッタリと警官二人に挟まれ、身動きすら取れなかったはずだ。
記憶違いだったかも知れない。
首を傾げながらも、渋々車両から降りる彼女に、更なる違和感。
連行したときには自分の肩より少し小さかったはずの彼女の背が、明らかに伸びている。背は丸めているが、しっかり身体を起こせば殆ど自分と変わらぬほどに。
それだけではない。
こぢんまりしていた印象が、一気に崩れた。大人の女性だ。
「ルシア・ウッドマン……?」
思わず警官は声をかけた。
「はい……」
彼女は返事をしてチラリと顔を上げた。
ズレた眼鏡、力の抜けた顔は、ルシア・ウッドマンに似ていたが、何かが違う。
汗をぐっしょりと掻き、髪の毛が頬や額に貼り付いているのも印象を変えた原因かもしれなかった。ふっくらとして丸っこかった彼女の童顔が、逮捕の衝撃でやつれたように見えたのではと言われればそのように思えなくもなかったが、それにしても骨格が変化するようなことはないはずだ。
「入れ替わった?」
警官は思わず声を上げた。
と、もう一人の警官が言葉に気が付き、どうしたのだと眉をひそめる。
「違う。ルシア・ウッドマンじゃない。お前は誰だ」
言われてもう一人が女の顔を見る。
そして驚愕する。
「だ、誰だ。いつ入れ替わった!」
――入れ替わっていたわけではない。
しかし、ルシアはルシアではなくなっていた。
背丈が頭ひとつ分ほど伸び、胸は膨らみ、筋肉質に。ゆるゆるだった部屋着が身体を締め付けている。丸かった彼女の顔さえ、余分な脂肪が落ちほっそりとしている。
そして何よりも目の色が。
深い青色だったはずの彼女の瞳は、真っ赤に燃える炎の色に変わっていたのだ。
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