6 マグヌ・ルベの加護の下
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グルーディエ共和国は、グルー大陸の約8割を占める、伝統と文化の国である。
共和国体制を敷く前は、約2000年、王制が敷かれていた。
王都とかつて呼ばれていた首都は、“ルベ”と名前を新たにしている。
“ルベ”とは赤、≪グルーディエはマグヌ・ルベの加護によって興った国≫ という逸話から命名された。この、“マグヌ・ルベ”とは、“マグヌ・ルベ・モル彗星”のこと。220年周期で飛来する赤い尾を持つ巨大な彗星のことである。
彗星は長く尾を引きながら、グルーディエの大地に豊穣を齎したとされる。
また、グルーディエの地には多くの魔女伝説があるのも忘れてはならない。一部農村では現代でも魔女を恐れ、身体の一部に入れ墨を入れる習慣が残っている。郊外の村々には、魔女と交流をしたという言い伝えや、魔女の作った薬のレシピも伝わっているという。
間違いなく、魔女は存在する。
そう確信させたのが、王歴2000年の王宮襲撃事件だ。王宮を襲った魔物を退治したのは、魔女とその使い魔であった。情報化社会にあって、決して誤魔化すことの出来ない状態で全世界に暴露されたそれは、世界中を驚かせた。
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エルトンは、共和国の新しい観光ガイドマップの片隅にある文章を読み、ふぅとため息をついた。
相変わらず整理整頓を知らない研究室の事務机。大学のパンフレット置き場に無造作に置かれていたそれには、整備されて間もない王宮跡公園の写真が、地図と共に掲載されていた。
なだらかな丘陵、豊かな自然、動物と触れ合えるミニミニ動物園、アスレチックとキャンプ場。憩いの場としては最高だ。
「あの現場を思い出すと、行きたいという気持ちは激しく失せるがね」
エルトンはそう言って、パンフレットを机の上に放り投げた。
勢いづいたパンフレットは、そのまま机の上をスルッと床まで滑り落ちていく。
「あああ、教授。もうちょっとどうにかなりませんか、その机。このままじゃ、資料もなだれ落ちますよ」
そう言って、一人の女性がそっとパンフレットを拾い上げ、机に置き直した。
長く伸びた茶髪を一つに結った、青い目の彼女は、無精ひげを生やしたエルトンを見て、力なく笑った。
「もうちょっと、シャキッとして欲しいですけどね、教授には」
「そう言うなよ、ルシア。……じゃなかった。また間違えた。ルディ。もう何年も経つのに、気が抜けると直ぐに間違える。ダメだなぁ、僕は。全然ダメだ」
「全然構わないですよ。二人の時はルシアでも」
「そうはいかない。君の名前はルディ・ウォール。僕の研究室で助手をしている。この設定を忘れると、面倒なことになる。ルシア・ウッドマンはあの日死んだことになってるんだから」
エルトンは身を乗り出して人差し指を立て、ルディに向けて熱く語った。
そう、あの日、ルシアは死んだのだ。
王都警察から逃亡した彼女は、追っ手から逃れて王宮に潜伏していた。そして誤って、王宮の地下に封印されていた魔物を解いてしまった。そしてそのまま、帰らぬ人となった。 ――そういう、シナリオだ。
警察と政府は、ルシアの身を保護し続ける必要があった。
エルトンの訴え通り、流星は確実にまた飛来する。それまでの間、どうにかして死神星の呪いのメカニズムを解かなければならないからだ。
同様に、ミロとサーラの身も保護しておく必要がある。そのために、彼らには位置情報を確認できる端末を常に持たせているのだが、面倒くさがってなかなか電源を入れてくれないのが大変なところ。あんまり頻繁に呼び出すと機嫌も悪くするものだから、せめてルシアには協力的でいて貰わなければと、政府は彼女に新しい名前と住まい、生活資金を与えたのだ。
かつての研究室仲間もすっかり卒業し、今は偶に顔を見せる程度。事情を知っているリオルにはことの顛末を伝えたが、それ以外の面子には、新しい助手だと紹介している。
あの日からルディは元の姿には戻っていないからだ。
「……って、僕はこんなんだからアレだけど、ルディ自身はだいぶ慣れた? 新しい暮らしには。ユローの生家は恋しくないかい?」
机の隅、資料の山に隠れるようにして置かれていたカップを手に取り、冷えたコーヒーをすするエルトンに、ルディは大丈夫ですよと気丈に答えた。
「偶に、帰ってます。ミロが綺麗に剪定してくれるから、お庭も綺麗なままだし。改装して、随分住みやすくなってました」
「ああ、そうか。マーラとミロが、商売してるんだったか。……一体何の?」
「前に行ったときは、ポプリの詰め合わせを売ってましたね。凄く良い匂いがするんです。自家製って言われてびっくりしたんですけど、ウチの、あの狭い庭に次から次へと色んな植物植えて、全部管理してるんだから凄いですよね。上手に乾燥させると、綺麗な色になって、匂いも強くなるみたいで。あとは、占いもやってるそうです。カード占いみたいなヤツ。よく当たるからって、評判だそうですよ」
マーラという魔女が世間に受け入れられるまでには、そう時間はかからなかった。
元々人々の生活の中に溶け込んでいたこともあり、その柔らかな物腰と丁寧な対応が評価され、自然と街の暮らしに馴染んでいった。
一時は悲惨な事件が起きた現場とされたルシアの生家も、魔法の力ですっかり浄化したとかなんとかで、事件解決の報労金として政府から受け取った金を注ぎ込んでさっさと買い取ってしまった。二階のあの部屋も、無事改装したそうだ。
ルシアのため込んでいた民芸品は、一部処分してしまったと聞いたが、気に入っていた数点はインテリアとして壁に飾られていた。それもまた、嬉しかった。
「おばあちゃんとの日々が戻ってきたみたいで、嬉しくなるんです。直ぐそばに、自分のことを本当に分かってくれる人が居るって大切ですね。マーラがもし、ミロと一緒にどこかへ旅立ってしまったなら、私はどうしていたか」
確かに、信頼できる人がそばに居ると、それだけで人生は充実する。
存在を肯定されるからだ。
生きていても良いと、生き続けても良いと。
「話はズレるけど、この間妙なことに気が付いた。サーラがアシュリーと共にこの時代に来たのが、1990年の初め頃。ルシアがご両親を殺害してしまったのが、その年の夏。これって何か関係があった?」
唐突な質問に、ルディは顔を曇らせた。
が、聞かれるのは慣れている。
「どうでしょう。関係はないと思いたいですけど」
でも、もしかしたら。
「この時代に現れたサーラの、あの大きすぎる孤独と苦しみに、欠片が反応してしまっていたのかも」
ハッキリとは分からない。
だが、“流星の子どもたち”は、互いに共鳴し合う。
そして、“死神星の欠片”は、互いに引き寄せ合うのだ。
「感情は連鎖するって、言うじゃないですか。アレが、物理的に起きてしまうのが、私たち“流星の子ども”なんじゃないかと、最近思い始めています。悲しい連鎖は止めなければならない。だから、次にマグヌ・ルベ・モル彗星が流れる時には、幸せな気持ちを連鎖できるようにしたいですよね」
ルディはそう言って、ニッコリと笑った。
「全く、同感だね。そこのパンフレットにも書いてあった。≪マグヌ・ルベ・モル彗星は、グルーディエの大地に豊穣を齎した≫。僕はその日まで生きていることは出来ないけれど、いつかあの彗星の名前から“モル”の名前が消されることを、切に願うよ」
エルトンもまたニッコリと笑い返し、残りのコーヒーを啜った。
研究室の窓からは、美しく晴れ渡った空が見えた。
<終わり>
闇夜の魔女は過去から出ずる ―死神星の呪いと流星の子どもたち― 天崎 剣 @amasaki_ken
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