第7章 覚醒する“子どもたち”

1 見せかけの

 突き上げるような振動と爆発音が王宮に響いた。

 執務室でタブレットを手にアズール・ネットニュース速報を確認していたグルーディエ15世は、呆れたように短くため息を吐いた。


「野蛮な」


 目を細め、画面を睨み付ける。

 ニュース記事に添付された映像ファイルには、不思議な力で様々な物を浮かせたり、妙な光を放ったりする魔女が写し出されていた。原因不明で爆発する車や建物、不自然な暗さの街、人間ではない何か。


「情報規制に疎すぎる。旧時代の生き物には結局、現代社会の問題点が分かっていない。――もっと賢く動き回ることは出来んのか、野蛮人どもめ」


 王は吐き捨てるようにして、執務机にタブレットを放り投げた。

 その目線の先に、ひとりの女がいる。

 髪の毛を丁寧にまとめ上げた黒いスーツの彼女は、王に深々と頭を下げた。


「大変申し訳なく。おっしゃる通り、彼らには危機感が足りません。陛下の危惧はごもっともです」


「そういう問題ではない。アシュリー、君は科学のなんたるかを知らない。今の振動は、アズールの各所で観測されただろう。音は魔法でかき消していると言ったが、振動は難しい。この敷地内で収まる程度ならいざ知らず、何だこの大地の震えは。地震の多いイオール大陸なら誤魔化しもきくだろうが、グルー大陸ではそうも行かない。もっと慎重に動けないのかと言っている」


 明らかに、王は機嫌を損ねていた。

 整った前髪をクシャクシャと掻きむしり、アシュリーをギッと睨み付けている。


「王宮が魔法で守られているからとやりたい放題なのは、確かにいただけませんね。しかし陛下。我々は最善を尽くしています。忌々しい裏切り者の魔女から大切な“子ども”は切り離しました。覚醒まで少々ゴタゴタが続くのは分かっていたこと」


「分かっていれば何をやっても良いと、そういう風に聞こえるぞ、アシュリー。いいか、現代は情報で溢れている。様々な情報が、規制されずにガンガン飛び交っている。どこかで止めようと思っても、それは不可能に近い。過去には魔法で誤魔化していたことが、現代ではほぼ通用しないと何度言ったらわかる。アズール・ネットニュースのような、国営でない民間企業の発信する情報、一般人による動画投稿、書き込み。情報は一瞬で世界中に伝わる。後手後手で規制するのは不可能だ。このまま我々の“計画”が外に漏れでもしたら、余計な火種を作りかねない。平和と共生を掲げる私の立場、王室の存在意義、崩れ去るのは一瞬だ。例え2000年の歴史があったとしてもだ!」


 王の機嫌は最悪だ。

 しかしそれは、昨日今日に始まったことではないのを、アシュリーは知っている。


「王国の権威を守るために続けている“子ども集め”もそろそろ終盤です。今朝捕らえた“子ども”が、この時代に残された最後の一人。そして、最高の一人。もう少しでお目通し出来ますので、辛抱いただけませんか」


「……私に、我慢しろと」


「ほんの、しばしの間だけです」


「嘘だな。今回はいつもと違う。サーラは地下か」


「恐らく、最後の仕上げを」


 仕上げと聞いて、王は押し黙った。

 口元を隠し、しばらくじっと考え、「仕方ない」と漏らす。


「『覚醒途中の“子ども”は大人しくなるまで少し時間がかかる』と、サーラが前に言っていた。これが最後ならば、致し方なかろう」


 王はそう言って、長く長く、息を吐いた。



 *



 王家と魔法使いたちとの関係は、遙か昔に遡る。

 世界がもっと魔法で溢れていた頃、王国を脅かす魔性の者に立ち向かう術として、国は魔法使いや魔女を積極的に受け入れた。本来闇に紛れて生きる彼らを非公式に抱えることで、人知れず様々な問題を解決してきたのだ。

 やがて科学が発展すると、徐々に魔法は廃れる。

 世の中の困りごとを解決してきた様々な魔法も、闇の世界で暴れまわっていた魔物たちも、人々の前から消え去っていった。

 それでも王国が魔法使いや魔女を抱え込み続けるのには当然理由がある。

 一般市民の知らぬところで、まだ闇の世界の脅威は続いているからだ。



 *



 ――地下牢を飛び出した。

 煙が立ちこめ、焦げた臭いが背後から迫る。

 着の身着のまま、ルシアは暗い廊下を駆けた。

 身体の異変は続いている。窮屈になった服が、走る度にビリビリと破けた。

 幼児体型はある種のコンプレックスだったのに、いつの間にかすっかりと大人の身体だ。

 熱を帯び、激しい倦怠感が襲う。封印が解けきらないように左手を胸に当て続けなければ、“しるし”の付近から溢れ出す力を抑えられなかった。

 逃げ出したときに、咄嗟に放った魔法。マーラの言う通り。眠っていた力が左手から放たれた瞬間に、真っ暗だった地下牢が目映い光に包まれた。沢山の叫び声、生温い感触、血の臭い。それらを振り切って、ルシアは必死に逃げた。

 階段を見つけ、手摺りを伝い駆け上がる。

 徐々に辺りは明るさを増した。柔らかな日差しが差し込む一階へと辿り着いたのだ。

 ホッと一息。

 しかし、地下牢からずっとサーラの気配が纏わり付いているような気がする。何者なのか、姿形をひょいひょいと変える不思議な少年。恐らく彼はルシアよりずっと長く生きている。そして、あの小さな身体の奥には途轍もない力を。

 窓の外には背の高い木々が並んでいた。

 王宮の北側には森が広がっている、恐らくその付近に違いないとルシアは推測した。

 最古の王国の美しい城として、グルーディエ王宮は有名だった。城壁で囲まれた王宮の敷地には、様々な施設が点在している。緩やかな丘陵と森は、王宮の荘厳さを演出していた。季節ごとに様々な色と表情を見せ、王宮の白を映えさせる。人間の手では作り出せない自然のコントラストが多くの人々を魅了し続けた。

 その陰で、こんな恐ろしいことが起きていたなんて。

 ルシアはふと足を止め、窓から木々を見上げた。


 一体この王国の、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。

 目に見えているものの何割、この世界にあるものの何割が、本当の姿を晒しているのか。


 作られた平穏、見せかけだけの平和。

 自分という小さな存在が、いつの間にか大きなうねりの中に呑まれてしまったこと、大切なものが次々に崩れていくこと。

 胸が痛む。

 それは決して、ルシア自身の力のせいだけではない。

 世界の嘘に気付いてしまったからだ。

 全てはまやかしで、全ては嘘。表面だけしか見ていなかった自分。世界中に散らばる不思議を知りたくて勉強を続けていたつもりだったのに、結局はそこに浮き出たものばかりを見ていた自分。


 もう戻ることのない日常を、ふと思う。


 優しかったリオル。本物の彼は今どうしているだろう。ニュースを見て、愕然としているのだろうか。

 エルトン・ファティマ教授もまた、妙なことに巻き込まれてはいないだろうか。研究室の学生が事件を起こしたなんて、経歴に傷が付いてしまうに違いない。親身に相談に乗ってくれた頼れる大人だったのに、申し訳ないことになってしまった。

 研究室の仲間には、もう会えないだろう。楽しかった日々は、もう思い出でしかない。

 ユローの人々の優しさ。一人になってしまったルシアを気遣い、声をかけたり、家を訪ねてくれたり。

 大好きな街並み。古さと新しさが混在する美しさ。

 祖母のネヴィナがその生涯を優しく閉じ、それでもその温もりに抱かれながら過ごしてきた緩やかな時間。

 それらはもう、二度と。


「感傷に浸ってるの?」


 ぞわっと、全身が震え上がった。

 サーラだ。

 ルシアの後を追ってきたのだろうか。地下に繋がる階段から、彼はゆっくりと姿を現した

 爆発に巻き込まれたという感じは全くない。傷ひとつなく、汚れひとつ増やさずに、彼は綺麗なままでルシアの目の前に再びやって来たのだ。


「左手が光ってた。魔法陣が見えた。そういうことをするのは誰? 君は未だ、力を自由に操れないはず。まして魔法だなんて」


 にじり寄るサーラに、ルシアは無意識に後退っていた。


「待てよ? いつの時代だったかな。そういう“子ども”がいたと聞いた。左手の甲に刻まれた魔法陣で自分の力を調節して、僕らの“計画”には決して協力しようとしない愚かな“子ども”が一人いたと。名前は……、分からないが、なんとなく覚えてる。そいつ、かなり強かったのに、どうしても嫌だと言ったんだ。結局逃げられた。楽しみにしてたんだよ。どれだけ強いんだろうって。どれだけおぞましい姿を晒してくれるんだろうって」


 窓から差し込む僅かな光に照らされたサーラの笑顔は、決して美しくはなかった。


「ねぇ、ルシア。早く解放されなよ。見たいんだよ。君の本当の姿を」


 無垢な悪魔の顔だった。

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