2 覚醒
「君のお陰で、何人か死んでしまった。手足がもげたり、頭が吹っ飛んだり、散々だ。完全な覚醒もしていないのにそんな力が出せるなんて、凄いじゃないか。期待しちゃうな」
セリフに続くように、生き残ったと思われる魔法使いたちが数人、サーラの背後からおもむろに姿を現した。サーラとは違い、あちこち傷だらけだったり、ローブのところどころが赤黒く汚れていたりしている。
魔法使いたちは一斉にルシアに手のひらを向け、魔法陣の錬成を始めた。
怖い。
足がすくんだルシアの真ん前までサーラが迫る。
興奮しているのか、サーラは息を荒くしてまた姿を変えた。少年から青年へ。ミロの夜の姿と同じくらいの年格好だ。
一体、どれが本当の姿なのだろうかと、ルシアは困惑する。
何者なのだ。コロコロ姿を変える、この人は一体何者で、どうしてそこまでしてルシアを覚醒させようと。
――魔法陣の目映い光がルシアを包んだ。
ルシアの意識はそのまま途切れた。
*
力を解放するとはすなわち、自我を失うかもしれないということ。
本能的に敵味方の区別が付くならばと頭の片隅では考えるが、実際そうなってしまえばどうなるのかなど、誰にも分からない。
だからミロはずっと、自分の中で力を抑え続けていた。
しかしそれはこの現場で単なる言い訳にしかならない。最早ラマの操り人形と化したサエウムと互角に戦うには、それしか。
ミロは床を蹴り、サエウムから距離を取った。剣を床に放り投げ、ミロは胸元で左手の甲を右手で強く擦った。
左手にはルシアと同じ魔法陣が刻まれていた。目には見えない魔法陣。魔力を使おうと思ったときにだけ浮き出るそれは、彼が彼でいるためのお守りのようなものだった。
未だ自分で力をどうすることも出来なかった幼い頃に、マーラが刻んでくれたのだ。
――『大丈夫、あなたはあなたのまま』
力が暴走して、自分が自分でなくなってしまうような感覚に何度も陥っていた頃、ミロを支えていたのが左手の魔法陣だった。マーラと自分を繋ぐ、とてもとても大切なもの。
――『あなたがあなたでなくなっても、私はきちんと受け止めるから』
マーラは嘘をつかない。
これまで、一度も。
左手を半回転させ、手のひらを外側に向ける。左手の甲に右手を当てて、ミロは自分の目の前にかざした。そして全ての力を左手に注ぐ。
サエウムから受けた左肩の傷口から血がどっと噴き出し、床に散った。
ミロはぐっと奥歯を噛んで耐えながら、力を注ぎ続けた。
「無駄無駄無駄無駄ァア!!!!」
サエウムが斧片手にミロに斬りかかろうとする。
しかし衝撃、マーラの放った炎の呪文で、サエウムの行く手は遮られる。
「何をしたって無駄よ!」
今度はラマがマーラに氷の魔法。
「くっ……!」
歯を食いしばるマーラに、ラマはケタケタと笑って返す。
「使い魔を守ろうっていうの? 逆でしょ逆! 守らせてなんぼ、彼らはそのためにいるんだから」
ラマは笑いながら更に氷の礫を放った。
シールドで必死に耐えるマーラ。ラマの魔法は強力で、力を注ぎ続けなければミロもろとも礫の犠牲になりそうだった。
「違うわ、ラマ。私たちはそういう関係じゃないの」
マーラはラマを睨み付けた。
「使い魔なんて、本当は呼びたくない。愛しい人よ。命を懸けて守るべき相手。あなたとサエウムのような、薄っぺらい関係と一緒にしないで頂戴!」
――マーラが叫ぶのが早いか、マーラの背後で爆発的に黒い力が噴き出すのが早いか。
黒い影がヌッと、マーラの横を通り過ぎた。そうしてサエウムの巨大な斧をいとも簡単に弾き飛ばしてしまう。
音などなかった。
ただ黒い大きな固まりが光のような速さで動き、かと思うと次の瞬間には、サエウムが血だらけで床に叩き付けられていた。
ラマの悲鳴。
それさえも一瞬で途切れた。
廊下を囲っていた結界がパリンと音を立てて割れ、元の色を取り戻した。
等間隔に並ぶ照明が、黒い影を浮かび上がらせる。
――『あなたがあなたでなくなっても、私はきちんと受け止めるから』
マーラは自分がミロに言ったセリフを思い出し、ブルッと身を震わせた。
雄牛の角を生やした黒い悪魔は、ギロッとマーラに振り返った。
「ミ……、ミロ、なの?」
身の丈はヒグマよりも大きく、全身は黒い毛に覆われている。ギラギラと金色に光る目を光らせ、大きく裂けた口元には牙。鋭い爪を持ち、背中には蝙蝠羽、先の割れた尾を生やしていた。
マーラが恐る恐る手を伸ばすと、黒い悪魔はゆっくりと身を屈め、マーラの耳元でゆっくりと口を開いた。
『ルシアが危ない』
それは悪魔の口からではなく、マーラの頭に直接響いた。
直後悪魔は、マーラをそっと抱きかかえ、そのまま黒い霧へと姿を変えた。
未だ自我が保てているのでは、とマーラは思った。しかし、口数はいつもよりずっと少ない。
黒い霧は壁伝いに廊下を進み、グルッと角で向きを変えた。更にズンズン進んでいくと、階段側に複数の人影が見えた。
魔法の光に照らされ、ひとりの女が宙に浮いている。
それを眺める複数の男と魔法使いたち。
『ルシアだ』
霧の中でミロは咄嗟にそう言い放った。
『まさか』
とマーラは付け加える。
服装は確かにルシアらしいが、その外見は全く……。
真っ黒い霧は形を取り戻し、黒い悪魔と魔女に戻る。
僅かに日の光が差し込む、薄暗い北側の廊下。その場にいた茶髪の青年は、マーラと黒い悪魔を見るなりニヤリと笑った。
「やぁ」
咄嗟に二人は身構えた。
本能が、青年を危険人物だと訴えている。
「……左手に、魔法陣が見える。そうか。君か。僅かに力を残してはいるが、なるほど、その大部分をやっと解放したわけか」
青年は黒い悪魔の左手に目を細めた。
「ルシアに何をしたの」
マーラが恐る恐る尋ねると、青年は頬を緩めてケタケタと笑い出した。
「何をしたと思う? 言わなくてもわかってるんでしょ、嫌だなぁ。変な封印魔法を何重にも仕掛けて隠し続けていたクセに、変なこと聞くんだね。それとも、改めてはっきりと言わなきゃ分からない? 解放してあげてるんだよ。長年押さえ込まれていた魔性の力を。……待っていたのさ。この時代の“流星の子ども”の中で、一番大きな星の欠片を受け取ったのが彼女だった。無理やり封印魔法で押さえつけていたもんだから、想像していたよりも覚醒まで時間がかかってしまった。だけどホラ、ようやく彼女も観念した。君たちにも見えるだろう。少しずつ彼女が悪魔に変わっていくのが」
まるで水面に浮かぶように、ルシアは全身の力を抜き、宙に浮いていた。
その背中には黒い翼があった。頭頂部には角、耳は尖り、手には鋭い鉤爪が見えた。19歳の割に幼く見えた彼女の身体は、すっかりと大人のそれに変化している。
魔法によって抑えられていた成長が急速に進んだのだと、マーラには直ぐに分かった。
音は聞こえていないのだろう、意識もないのだろう。
そして自分がどうなってしまったのか、理解してもいないのだろう。
ギリリと、マーラは奥歯を鳴らした。
「何をする……、つもりなの?」
マーラの静かな怒りに、青年はまたも頬を緩めた。
「この感じ、覚えてるわ。あなた一度、ミロを奪いに来たわよね。そして、私たちの家を焼いた。その魔力の強さから、沢山の魔女や魔法使いたちがあなたに従った。史上最悪の、最凶の悪魔と謳われた“流星の子ども”。――モルサーラ。やはりこの時代にいたのね。今度は一体、何を企んでいるの……?」
名前を呼ばれると、青年はニヤリと白い歯を見せた。
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