4 茫然自失

 為す術もなかった。

 人型をしているということは、未だ力の殆どを出し切っていない状態に違いないのに、モルサーラは圧倒的な威圧感でマーラとミロを萎縮させた。ミロに至っては人の姿すら捨ててしまっていたのにもかかわらず、だ。

 青ざめ、全身の震えが止まらない。

 マーラは初めて恐怖というものを覚えた。

 それまで、モルサーラとはいえど所詮は人間のなれの果てだとどこかで高をくくっていた部分もあっただろうが、それは大変な間違いだったことに気付く。

 違うのだ。

 アレは人間などではない。

 地獄の底から這い出した本物の悪魔の臭いがした。命だとか心だとか、そんなものは彼の中では一切どうでも良く、己の中の正義を貫き通すためなら手段を選ばない冷徹さと残酷さは、恐ろしいまでに抜きんでている。

 モルサーラにとって、ルシアは単なる駒に過ぎないのだろう。ゲームの盤面上で面白おかしく動かすのと同じように、彼女の中に潜んでいた呪いの力を引き出し、覚醒させてしまった。そしてそれに賛同する魔法使いたちが、王宮にはゴロゴロいるということだ。

 ふらり、とマーラの足元が揺らいだ。

 雄牛の魔物になったミロが彼女をそっと支えると、マーラは身を委ねるように力を抜いた。


「流石のネスコーの魔女も、モルサーラ様には驚かれただろう。無理もない。誰もあの方には逆らえないのだから」


 ダミルは半笑いだった。

 その中には、マーラに対するさげすみと、モルサーラに対する畏怖が含まれていた。


「生半可な気持ちではあの方には勝てない。そう、忠告しておこう。ネスコーの魔女と言えば、長きにわたって絶大な魔力で他の追随を許さなかったとして、グルーディエ王室も代々注目してきた伝説の魔女。その力を破壊に向かわせず、敢えて平和に尽くすなど、魔女の中でも異端で通ってきたお前と使い魔の力を持っても、恐らくあの方には敵うまい。いくら魔女とて命は惜しかろう。昔のよしみで見逃してやろう」


 マーラに一瞥をくれると、ダミルは踵を返した。長い廊下を戻っていく彼の背中は、心なしかガチガチに凍りついているようにも見えた。


『マーラ、いいのかよ。あんな風に言われて、悔しくないのか』


 マーラの頭に、ミロの声が響く。

 小さく頭を振るマーラ。


「でもゴメン、少し、休ませて」


 珍しく弱音を吐く。

 ミロはギュッとマーラのか細い身体を抱きしめ、そのままストンと床に尻を付いた。悪魔化し巨大になった身体の中で、マーラは普段よりもずっと小さく、頼りなく見えた。

 普段は気丈なのに。

 大事なものを守るためなら全力を尽くす。それが魔女マーラの生き様なのだ。

 どんなに強い相手にだって、どんなに理不尽な欲求にだって従わない。自分の信念に実直で、サバサバとしていて、優しくて。そういうマーラばかり見てきたが、本当は。

 守って貰ってばかりで、守ったことはないのかもと、ミロは思っていた。こんな姿になっても、未だどこかでマーラを頼っている。

 毛むくじゃらのミロの腕の中、まるで眠ってしまったかのように、マーラはしばらく動かなかった。

 王宮の中は、昼間なのにしんと静まりかえっていた。役人やお付きの者がウロウロしていてもおかしくないはずだが、そんな気配すらうかがえない。廊下に面した窓からは、ほのかに光が差している。北側の廊下は肌寒いが、未だ外は白い。

 王宮は死んでいるのかも知れないと、ミロは思う。

 権力は王宮の外、政治家や経済界が握っているとルシアが教えてくれた。王は飾り物だ。しかも、モルサーラと懇意らしい。

 その昔、恐らく当時と建物は違っているのだろうが、この地でミロは生を受けた。死神星の降る夜に、グルーディエ王国の何代目かの王の王子として。もし、半日ばかり生まれる時間がズレていたら、王族として教育され、いずれ王になっていたかもしれなかった。

 未練はないのかと、何度か聞かれたことがあったように記憶している。しかしその度に、ミロは首を横に振った。もし肯定してしまえば、マーラとの日々を否定することになるからだ。


 愛して止まない生まれたばかりの王子を、果たして見知らぬ魔女に託すだろうか。


 それは永遠の命題だった。

 愛の形は様々だとマーラは教えてくれたが、ならば何故手放したのだろうと、そればかりが頭を巡った。

 王家という当時絶大だった存在に対し、母である王妃は屈したのだろうか。

 息子を亡き者にして、その後別の子を宿し、何ごともなかったかのように王家の血を繋いだのだろうか。

 近代化した街の隅っこで、時代から追いやられたように古くからの景色をそのままに残した王宮の一帯を見てからというもの、ミロの中で古い記憶や感情が何度も蒸し返されてきた。それが王家の血を引く者としてなのか、それともマーラと共に数々の時代を巡ったからなのかは分からない。

 複雑な胸の内を察するかのように、マーラはゆっくりと彼の身体を撫で始めた。その小さな手の動きが、少しずつ、ミロの心を癒やしていく。


「……弱体化した王国を復興させるために“流星の子ども”の力が欲しいなんて、きっと言い訳ね」


 ふいに、マーラが言った。


「モルサーラは王様を利用しているだけ。建国2000年……。220年に一度の死神星。高まったのは、権力に対する欲望だけかしら」


『と、言うと?』


「星は220年に一度現れる。遡っていけば、あなたの生まれた年も分かるって、確かエルトンがそんなことを言ってたでしょう。今が王暦2000年、ルシアが生まれたのが19年前の1981年。そこから220ずつ引いていけば、いつ星が現れたのか推測出来る。1981から220を引いて1761、1541、1321、1101、881、661、441、221、……1。この国の建国と重なる。これって、何かありそうじゃない?」


 数字の苦手なミロは、少し首を傾げながら聞いていたが、マーラの最後の言葉に、ビクッと反応した。


『……星は、10回流れてる』


「そう、10回。この間に、どれくらいの“流星の子どもたち”が生まれたと思う? もし仮に、彼らを集めて魔法でこの時代に連れてきているとしたら、それこそ大変なものよ。この時代の科学とやらがどこまで発達しているのかは分からないけれど、魔法みたいな変な力だったし、“子どもたち”の力も上手く制御出来てしまっているのかも。もしかしたら、単純にこの国を守るだとか他の国を攻撃しようだとか、そういうレベルじゃないのかも」


『まさか』


「あまり、考えたくはないけれど」


 そこまで言って、マーラは預けていた身をそっと剥がした。

 起き上がり、すっかり面影の消えた悪魔の顔にそっと手を伸ばす。マーラの細い指が、ミロの目元をそっと撫でた。


「あなたのままでいてくれてありがとう、ミロ。やっぱり、優しい子ね」


 マーラの目は潤んでいた。


「ルシアも優しい子よ。きっと、完全には呑み込まれていないと思う。大丈夫。急ぎましょう」


 ミロはコクッと頷いて、再びマーラ共々黒い霧に姿を変えた。

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