2 アラン・ゲイナー

 エルトン・ファティマの頭は冴え渡った。己の脳内で完璧に繋がった全ての点と点に興奮していた。

 王宮という言葉が出たことで、空恐ろしさを覚えたのは違いない。唯一無二、不可侵の存在とも言える、最古の王室。そして、王室を守るために存在する王宮という建物と組織。言うなれば、神の領域。

 大学の権力闘争などとはレベルが違う。

 下手をしたら、命を狙われかねないようなことに気づいてしまったことに、エルトンの心臓は高鳴った。

 研究室を飛び出したサーシャの代わりに、ナーガが呆れた様子で仮眠室にやってきて、


「何してるんですか、こんな時に。アラン・ゲイナー教授からお電話ですよ」


 と、ため息混じりに言ったことで、リオルはハッとしていたが、エルトンは自分があらぬ疑いをかけられてしまったなどとは思いも寄らぬらしく、


「ああ、今行く」


 と、そのままの勢いで研究室に戻って行った。

 資料だらけの事務机に戻り席に着いてから電話に出る。受話器を握る手は汗でベトベトだ。


『マグヌ・ルベ・モル彗星の話、こっちでも調べたことがある。今から時間は?』


 丁度いいタイミングだ。


「時間は大ありさ。僕も君に用事があった。悪いけど、来て貰うことは出来るか」


『なんだ。データを送って電話で話す、ではダメなのか』


「君はオフレコという言葉を知らないらしい。できる限り、誰にも聞かれたくない話だが、君は特別だから話しておきたい、そう言えば来てくれるかな」


 電話口のアラン・ゲイナーはしばらく無言でいたが、観念したように、


『仕方ない。そちらへ行こう』


 と電話を切った。

 エルトンはにんまりと笑い、それから慌てて自身のメモに走り書きを始めた。何を見でもなく、頭の中にあるありとあらゆる情報を詰め込まんばかりの勢いで、座った表紙に机から資料がなだれて床に落ちたのも構わず、ただひたすらにペンを走らせた。

 仮眠室から這い出したリオルと、疑問符だらけのナーガは、エルトンの奇妙な行動に首を傾げるしかなかった。



 *



 程なくしてアラン・ゲイナーが研究室を訪れる。

 天文学部の教授をしている彼は、エルトンとは同期で、古い付き合いだ。石碑を見に行った後、エルトンはアランに彗星のことで色々と相談していたのだった。

 リオルとナーガには、今日は色々ありすぎたから早く帰るようにと退出を促した。二人が研究室から出て行くと、思惑通り、エルトンはアランと二人きりになる。

 念のためと、研究室の入り口に内鍵を閉めると、ようやくエルトンは腰を据えて、アランの話を聞くことにした。


「マグヌ・ルベ・モル彗星の尾にどんな成分が含まれているか、データが残っていた。今から20年近く前だから、精度はあまり期待できないが、面白いことが分かっている」


 当時の論文を、アランは引っ張り出していた。

 彗星の軌道や到達予想とともに、推定ではあるが彗星を組成する成分についても言及してあった。

 印刷した資料をミーティングテーブルの上に広げたアランは、のぞき込むように見入るエルトンに該当箇所を指し示しながら淡々と説明した。


「どうやらマグヌ・ルベ・モル彗星には、電磁波に似た波長のエネルギーを出す未知の物質が含まれている。彗星から注がれる欠片は細かく、殆ど大気圏突入で燃え尽きてしまうから、隕石として目に見える状態では残り得ない。しかし、彗星が接近した前後には、この星の磁場には乱れが生じ、各地で異常現象が起きていたことも記録されている。例えば、地震が起きた、地下の配管が破れた、通信障害が発生した、動物の異常行動が見られた、とか、まぁそんな感じだ。ただ、科学的には彗星の接近との因果関係は証明されていないとして締めくくられている。コレをどう見るかは受け取り方次第だとは思うが、なかなか興味深いことではあると思うよ。君の研究分野とも少し重なることがありそうだとは思うがどうだろう」


 エルトンは文字を目でなぞりながら、ふむふむと何度も頷いた。


「昔、科学なんて言葉が存在しなかった時代には、彗星によって様々な異変がもたらされたことに対し、祟りだの呪いだのと騒ぎ立てたのだとしても、何もおかしくはないと、そういうことかな。動物が異常行動、ということは、人間にだって何かしら異常が出てもおかしくない。それが、生まれたばかりの赤ん坊が呪われることと、どう関係するのかはやはりよく分からないが……、不思議な力がこの星の外から齎されているという推測を裏付けるものの一つにはなりそうだ」


 と、そこまでエルトンが言ったところで、アランはバンと両手を資料の上にのっけて、わざと視界を塞いだ。

 ハッとして顔を上げるエルトンに、アランはいぶかしげな目を向ける。


「――さて、本題を切り出して貰おう。わざわざ私を呼び出して、人払いして鍵まで掛けて、何をしようとしている。君の研究室の学生が逮捕された件と、何か関係はあるのかな」


 学生たちの前では決して見せないであろういたずらっぽい顔で、アランはエルトンに迫った。

 そしてエルトンも、やはりアランにしか見せない不敵な顔で、彼に答える。


「どうにかして王宮へ潜り込めないか、相談したかった。確か君には、少しそういう伝手があるのだと、いつぞやに聞いた覚えがある」


「王宮? 急になんだ。それに伝手なんか、あるわけがない」


「いとこが衛兵だと自慢していただろう」


「下っ端だぞ。何の権限もない」


「まぁ、そう言わずに」


 なかなか本題に触れないエルトンに、アランは徐々に苛立ち始めたのか、チッとわかりやすく舌を鳴らした。


「理事会で尋問にかけられたと聞いた。エルトン、君は頑なに知らないと突っぱねていたそうだが、本当は全部知っているな。白状しろ。逮捕された魔女や、ルシア・ウッドマンについて、洗いざらいだ」


 そこまで言われると普通は渋い顔をしそうなものだが、エルトンは何故か上機嫌だった。口角を上げ、待っていましたとばかりにアランの肩に手を回し、囁くような声で事実を語り始めた。


「“流星の夜に生まれた子どもは、悪魔になる”、という話を聞いたことはあるか? アズール各地に広まる伝承だ。僕も最初は半信半疑だった。流星、すなわちマグヌ・ルベ・モル彗星が降った夜に生まれた子どもの中に、ウチの学生、ルシアも含まれていた。彼女にはまだ何の変化も起きてはいなかったが、いずれそうなるのだと、魔女は言った。もし、ルシアに変化が起こったら、彼女を殺すしかないとも。冗談みたいな話だ。ところが、実際に彼女を狙って事件が次々に起きている。そしてとうとう、ルシアの家は襲撃され、彼女は逮捕された。不当な逮捕だ。彼女は大通りの爆破事件なんかには関与していないのだから」


「ん……? ちょっと待って。伝承? 伝承如きで王宮が動くか?」


「アランがそう思うのは当然だ。だが、事実だ。僕はこの目で魔女を見た。悪魔もだ。彼らは実在する。そして、どうやら王宮が、その力を欲しているらしいことも見えてきた。魔女の話では、“モルサーラ”と名乗る男が、星の流れた日に生まれた“流星の子ども”を集めているらしいんだ。集めて何をしようと企んでいるのかは分からないが、どうも王宮と何らかの関係がありそうだというところまでは掴めた。あとは実際に侵入してみなければ分からない。推理通りならば、ルシアは王宮に捉えられているはずなんだ」


「とんでもない話だな。で、何故王宮? 王は平和主義だし、建国祭も近い。わざわざ悪魔なんて」


「そう、僕もそう考えた。しかし、コレを見てくれ」


 エルトンは胸元から手帳を取り出し、観測年のメモを見せた。


「この国は、マグヌ・ルベ・モル彗星の飛来によって栄えた。そして、王都は常に魔法で守られていたと聞く。魔法、魔力、魔物、悪魔……。僕たちが科学の発展とともに忘れていったものを、王宮が未だ、必要な要素だとして取り込んでいるのだとしたら、どうだろう」


 チラリと、エルトンはアランの表情を確認した。

 口元を歪めながら、アランはエルトンの大量のメモに目を落とし、大量の汗を掻いていた。

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