第10章 闇夜の魔女と滅び行く最後の王国
1 合流
大量のトゲと、大量の節。
他にどう形容すれば良いのか分からない。
表面はゴツゴツとした突起のある鱗で覆われながらも、関節と職種の数が異様に多い、蟲のような獣のような化け物。
黒い霧に姿を変えて上空を漂うミロが見たのは、王の変わり果てた姿だった。
化け物は王宮内部にいた魔法使いや、地下から逃げ出した魔女たちを手当たり次第口に放り込んでいた。中には半分魔物の姿をした“流星の子ども”と思しき者もいて、それらをも、長い触手で絡め取るようにして巨大な口の中に放り込んでいる。
パクリと飲み込めば、その度に身体は更に膨れ上がった。その度に耳を劈くような声を出し、振動が周囲の木々をなぎ倒したり、吹き飛ばしたりした。
おぞましいにも程がある。
いにしえから続く由緒正しき王国の、最後の王としては、あまりにもおぞましい。
これが、耐えかねるほどの孤独と重圧から解放された結果なのだとしたら。そう思うと、ミロには苦しく、切なくさえ思えてくる。
元々たいした上背もない、小さな一人の人間だったはずの王が、今は宮殿の建物の半分近くにまで膨れ上がっている。
宮殿の敷地上空には数え切れないほど沢山のヘリコプターがいて、それがどういう乗り物なのかミロには分からなかったが、ただじっと観察しているように滞空しているものが少し遠いところに幾つか、武器を積み込んでいて前方から化け物を追撃するものが宮殿の真上に幾つかあった。
ミサイルが撃ち込まれる度に触手のように伸びた腕や脚が損傷を受けるが、傷口からまた触手が伸び、追撃したヘリをぐるぐる巻きにしてへし折ってしまう。これを何度も繰り返し、王の身体からは大量の触手が四方八方に伸びるまでになってしまっていた。
その触手の隙間を縫って、ミロは黒い霧のまま執務室のあった場所へと急いだ。
魔法で拘束され、直立不動のマーラが見えると、ミロは一層素早く動いた。
が、直前で弾き返される。結界。
「おおっと、お前の可愛い使い魔がお迎えに来たようだ」
ダミルがケタケタと笑う声が聞こえる。
「ミロ!」
マーラの呼ぶ声も耳に入る。
ダミルが自身を守るために張っていたものに違いない。
ミロはマーラの元へすぐに向かいたいのをぐっと我慢して、執務室の直ぐ下にある瓦礫の上で姿を具現化させた。
そこからは、巨大化した化け物の身体がよく見えた。
溶岩を固めたような黒くゴツゴツした鱗の下には、燃え上がるような赤い色をした皮膚が見える。ドクドクと波打ち、存在感を示す血管。節々の隙間からは、身体に貯まった熱が少しずつ放射されている。
「人間であることを止めちまったのか、王様ぁ!」
大きく盛り上がった身体に向けて、挑発めいた言葉をかける。
ミロに気づいたのか、化け物はぐるんと向きを変え、大きく開いた口をミロの方に向けた。
「やぁ、ご機嫌よう。俺の遠い遠い子孫、時の王グルーディエ15世、だったか。人間の味は美味かろう」
化け物に、目はない。
赤くパックリとした口からはよだれが大量に垂れ、、大きな舌をベロンベロンさせている。
「もっと喰いたいだろう。どうせ喰うなら、死神星の欠片を持った“流星の子ども”がいい。美味いし、欠片も一緒に取り込めるし、良いことずくめだ」
言いながらミロは背中にバッと
ビュンと音を立てて、長い舌がミロに向かって飛んでくる。
ぶつかる、その直前にまた、ミロは黒い霧に姿を変えた。
化け物の舌は、黒い霧を通り抜けてダミルの張った結界を突き破った。バリンという音と共に、ダミルのうめき声。
突き破ったのは結界ばかりではなかった。
ダミルの身体を、化け物の長い舌が真っ二つに切り裂いていた。それを器用に絡め取り、舌は口の中に高速で帰って行く。
「こんな……ッ!」
ダミルの、最期の言葉。
満足そうに口をもごもごさせる化け物。
「作戦勝ちだ!」
破れた結界から執務室の中に侵入し、マーラの元で実体化したミロは、嬉しそうに声を上げた。
「ありがとう、ミロ」
術者が死に、拘束魔法の解けたマーラはそう礼を言ってミロを労った。
「大丈夫か、マーラ。随分痛い思いをさせてしまった。俺がもっと注意深く動いていれば」
青く鬱血したマーラの腕がマントの中からチラリと見え、ミロは彼女をぎゅっと抱いた。
「そんなことより、ミロこそ、暗闇の中でもないのに沢山力を使って。苦しくない?」
「まぁ、どうにかは。ところでマーラは、この化け物、どうすべきだと思う? 放って置いても自爆するらしいとサーラのヤツが言ってたけど」
「サーラ?」
「ああ。モルサーラ。死神級の力は消えたから、ただのサーラだそうだ」
そうなの、とマーラは呟いた。
「自爆させるくらいなら、どうにかしてしまいたいところね。アシュリーのところへ連れて行って。少し、考えがある」
二人は再び黒い霧に姿を変えた。
ダミルを飲み込んだ黒い化け物は、またおぞましい叫び声を上げた。
*
王宮の外は大変な騒ぎになっていた。
いつ攻撃が街に及ぶか分からないのに、騒ぎを面白がってか人がどんどん押し寄せている。おのおのに携帯端末やカメラを宮殿の中に向け、写真を撮ったり動画を撮ったりしているようだ。
映画かドラマの撮影現場と勘違いしているのか、心配そうな顔をしている人間より、興味本位で集まっている人間の方が遙かに多いようにエルトンには思えた。
その人の波をどんどん掻き分けて、エルトンとアランは王宮へと急ぐ。
普段は門扉で警備にあたっている衛兵がやむなく、王宮前の渋滞解消のため交通整理にあたっているようで、それこそ門扉そのものの警備は大変手薄だった。
衛兵の後ろをスルリと抜けて、何食わぬ顔で門扉の横の警備棟に侵入し、そのまま裏口から王宮の敷地に入っていく。
門扉から王宮の建物まで、それなりに距離はあるのだが、肥大した化け物は二人の目にはやたらと大きく見えた。
「王宮は化け物を隠していたのか」
アランの言葉に、頷かざるを得ない。
とんでもないことになった。
車内でも色々ととりとめない話をしていたが、まさか“王国の力”が化け物のことだったとは。
こんなものを記念式典で披露しようとしていたのか。
「今化け物が現れたのは、本意ではないんだろうが、これはこれでヤバいな」
整備された庭を必死に駆け抜けながら、エルトンはチラチラと王宮の化け物と上空のヘリとの戦いを見ていた。
攻撃すればするほど、ヘリは触手にひねり潰されていく。化け物の身体は何らかのエネルギーを補給しながらどんどん膨れ上がっている。
「王宮のバルコニー付近に、陛下の執務室があるはずだ。あの様子じゃ、陛下もどうなったか分かったもんじゃない」
剪定された木々の間を走り抜け、王宮を見渡せる前庭に出た。芝が生い茂る庭は、一般公開時や公式行事で他国からの来賓をもてなすパーティーも開かれる、王国民にとってなじみ深い場所だった。
日は徐々に傾き始めていた。
朝からの騒ぎで、まともに飯を食ったような覚えもない。
それでもエルトンとアランは、この恐ろしい事態を見極めなければと、それだけの思いで王宮までたどり着いたのだった。
美しかった庭のあちこちに、王宮から飛び散った瓦礫が散乱していた。
白亜の壁もボロボロで、王国の歴史を物語る伝統建築が見るも無惨な状態だ。
呆然と芝生の上で立ち尽くし、王宮を見上げるエルトンたち。
「これは……、想像以上の事態だ」
ため息をつくエルトンのそばに、ゆっくりと近づく人影があった。
「エルトン・ファティマ教授……? どうしてここに」
見覚えのない、茶髪の女性。背が高くスラッとしているが、何故かしら丈の合わない窮屈な服装をしている。誰だろう。首を傾げるエルトンに最初は疑問を抱いていた女性だったが、何かを思い出し、慌てて言い直した。
「ファティマ教授、私です、ルシア・ウッドマン。ちょっと訳があって姿が変わってしまったんですけど、分かり……ますか?」
「ルシア? 君が?」
エルトンは目を見開いた。
言われてみれば、神の色も目の色も一緒だ。違うのは体型。確かもう少し背が低く、身体の凹凸も少なかったはずだ。服のセンスはルシアそのもの。一体何がどうすればこんなことに。
「封印が解けてしまって、急速に成長したみたいで。どうにか人間の姿には戻れましたが、もう大学には戻れないかなと。もう会えないと思っていた教授と再会できて、本当に良かった」
目を潤ませるルシア。
マーラの話を思い出し、重ねる。
生まれた日だなんて、最も人間がコントロール出来ないことが原因で、とんでもないことに巻き込まれていたルシア。彼女になんと話しかけるべきか、エルトンは迷っていた。
「で、ルシア。君はどうしてここに?」
アランが横から声をかける。
ルシアは涙を腕で拭って、その問いに答えた。
「アラン・ゲイナー教授もご一緒なんですね。仲が良いとは聞いていましたけど。えっと……、警察に捕まって連行される途中に身体が変化しだして。多分、家の二階にあった封印が解かれたからだと思うんです。気を失って、気が付いたら王宮に。変な魔法にかけられて、とにかくメチャクチャだったんです。魔女のアシュリーに助けて貰って、どうにか王宮からは脱出したんです」
振り返りながら、ルシアは少し離れたところに立つアシュリーとサーラを指さした。
「なるほど。なんとなく事情は掴めた。やっぱり、ここが諸悪の根源で間違いなさそうだ、エルトン」
「あ、ああ」
複雑な顔で頷くエルトン。
「で、ルシア。アレは何だ」
アランは王宮の化け物を指さした。
もぞもぞ動き、時に空気を震わせるほどの叫び声を上げる黒い化け物。ミサイルも効かず、ヘリコプターすらへし折る恐ろしい力を持つそれの正体を、二人は知りたがった。
「アレは……、グルーディエ15世。国王陛下です」
ルシアの言葉が、王宮の庭に響き渡った。
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