5 “しるし”
ルシアは王宮を、一大観光地なのだと言った。グルーディエは大陸に唯一残った王国なのだと。しかし、彼女はこうも言った。お飾り的に王家と王宮が残るだけで、実質民主国家、グルーディエも王政ではない、とも。
一見平和にも見えたこの時代、まさかよりによって王宮が
マーラは複雑な気持ちを抱えたまま、襲い来るラマとサエウムに向けて魔法を放つ。防御力を削ぐ魔法。続けてミロに、攻撃力と防御力を上げる魔法を。
大きな剣を振り上げて、ミロはサエウムに斬りかかった。それをサエウムは大きな斧で受け止める。金属音が響き、二人はそのまま何度も刃を交わした。力だけならほぼ互角だが、サエウムの斧は重い。どうしてもミロの剣は弾かれてしまう。
ミロは剣を握る両手にぐっと力を込めた。剣の形状がみるみる変わってゆく。美しい細身の両手剣から、ゴツゴツとした幅広の剣へ。重量が増した剣は、サエウムの斧とほぼ互角の重さに。ミロの剣が当たる度に、サエウムは表情を険しくするようになる。
補助的な魔法ばかり打つマーラに対し、ラマは積極的に攻撃魔法を放った。マーラに向けて炎の魔法を放ち、マーラはそれをシールド魔法で防御する。
「いつまでも逃げてばかりじゃ勝てないわよ、マーラ」
ケタケタと廊下に響くラマの笑い声。
相変わらず下品だと、マーラは思った。同じように長い年月を生きてきても、決して相容れることの出来ない嫌いな相手だと。
「逃げてるわけじゃない。時間がかかってるの」
右手を前に突き出し、ミロに向けて更に防御魔法を重ねる。
古い時代の魔女特有の蔦文様が身体中に浮き出たマーラは、ラマにとって年寄りでしかないらしい。いつもいつも、やり方が古いとか、未だそんなことをとか、ラマはそういう言い方をしてマーラを罵るのだ。
しかしそれも慣れたもの。幾度となくラマとサエウムはマーラとミロの行く手を阻んできた。そしてその度に、二人をはね除けてきたのだ。
今回もまた、二人はマーラとミロの前に立ちはだかった。
いつもは自由に暴れまわり街も森も壊してゆくのに、王宮の中では結界魔法を張り、好きなように動けないでいるのが若干気に掛かる。牽制されているのだろう、ここまではよいが、ここらから先はと。ラマたちは、誰かの命で動いている。黒幕、恐らくは魔女や魔法使い、“流星の子どもたち”を一元で管理する何者かに。
「うぐっ……!」
マーラの目の前に赤い色が散った。
ミロの左肩に、サエウムの斧が食い込んでいた。
ニタニタと笑いながら、サエウムは次の一打を構えている。
マーラはすかさずミロに回復魔法をかけてやるが、傷は直ぐには塞がらない。それどころか、塞ぎきる前に動くため、周囲に大量の血が流れ落ちている。
「大丈夫ぅ? あなたの使い魔、弱ってるわよ。いっそのこと楽にしてあげなくちゃね」
廊下の向こう側で、ラマは楽しそうに笑っている。
回復魔法を追加でかけながら、マーラはミロの様子を覗った。力は決して弱まっていない。言うなれば、半分爬虫類のような人間離れした姿をしているサエウムに対し、ミロは人間の青年姿、体格差が大きく苦戦している状態だ。
「前に戦ったときよりも、確実に強くなったのよ、サエウムは。それもこれも、モルサーラ様のお陰。力は解放することに意義がある。閉じ込めておいても、何にもならないわ。そう思わない?」
「……そうね。どうにもならないかも」
マーラは苦々しい顔をして、ぽつりと零した。
「解放しても良いわよ、ミロ」
歯を食いしばっていたミロが、背後のマーラにハッとした顔で振り返った。
「どうせこのあとも戦いは続くのだし、力を抑えたまま戦い続けるのは不可能に等しいわ。全部終わったら、キッチリ元に戻して上げる。だから今は、思い切って全部出しちゃいましょう。そうすれば、難なく突破出来るわよ」
「そ、そんなことしたら、俺は」
「大丈夫。あなたがあなたでなくなっても、私はきちんと受け止めるから」
マーラの真剣な目に、ミロは覚悟を決め、こくりと頷いた。
*
暗闇の中、ルシアは冷たい床の上に一人で寝転がっていた。
そこがどこなのか、推測することも難しい。
『ルシア・ウッドマンじゃない。お前は誰だ』と、警官に訊かれた。そこまではなんとなく覚えている。
日常が崩れ去り、封印が解かれたことで、身体の様子がおかしくなってきたこと、マーラの言いつけ通り必死に力を押さえ込もうと、左手を胸に当てて息を整えていたことは、はっきりと思い出せる。吹っ飛びそうな自我を抑えなければ、魔物になってしまう。それだけは嫌だと抵抗し続けたのだ。
途中で意識が途絶え、そのまま夢の中を
優しく育ててくれた祖母ネヴィナがルシアに向かってニッコリと微笑み、甘いお茶やお菓子を沢山出してくれる。ネヴィナは口癖のように言うのだ、『あなたは愛されている。この世界の誰よりも』と。
柔らかな手を辿ると、そこにいたのはネヴィナではなく、マーラだった。
マーラは夢の中でもニッコリと笑っていて、『怖がらないで。大丈夫』と声をかけてくれた。
そして彼女の隣には、いたずらっぽく笑う少年姿のミロが居て、『生まれたことを後悔してる? それって意味ないと思うけど』と耳元で囁くのだ。ハッとして顔を見ると、青年姿のミロが愁いを湛えた表情でルシアを見下ろしている。
『誰も、選びたくてその日を選んで生まれたわけじゃない。生まれた日に星が降った。それだけのこと。星の欠片が魔力を帯びて自分たちの身体に魔性を植え付けたとして、俺たちに何の非があるんだと思う? 力に呑まれて自分を見失わなければ、自分のままでいられるんだとしたら、俺はその方がいいと思う。ルシアも、そう思うだろ?』
――と、そこで目が覚めた。
胸は未だズキズキと痛んでいた。小さく丸めた身体がキシキシと変な音を立てる。
未だ自分で考えることが出来るということは、未だ魔物になってないと判断しても良いのかどうか。
明かりのない部屋の中に、金色に輝く二つの点が見えた。床に転がるルシアの目線とほぼ同じ高さに、その点はある。
上下左右にふらつきながら徐々に近づいてくるそれは、目だった。
猫の目。
暗闇の中、更に黒いシルエットが浮かび上がる。
なぁんと鳴いて、猫はルシアにすり寄ってきた。恐る恐る身体を持ち上げて座った姿勢になると、彼女の膝の上にヒョイと上がって、頬を胸に擦りつけてくる。
あのときの猫だと、ルシアは咄嗟に思った。
リオルと二人、バス停で待っていたとき、黒いスーツ姿のアシュリーと共にいた猫。凝視することは出来なかったが、あのときの猫に雰囲気がとてもよく似ている。まるでルシアをじっと観察するような、普通の猫とは何かが違うような。
「起きた? 気分はどう?」
どこからともなく、聞き覚えのない子どもの声がした。
ルシアは身体を振るわせ、周囲を見渡す。
自分と猫以外、気配は感じない。
「強力な封印魔法だね。屋敷の封印を壊しても、未だ自我を保っていられるなんて」
喋っているのは猫だ。
ルシアはギョッとして立ち上がり、猫はぴょんとルシアの膝から飛び降りた。
と、前を見ると今度は、自分がランタンを持って立っている。子どもっぽいと同じ研究室のサーシャに良く笑われる、ラフすぎる格好。長いシャツに上着をサッと重ねた、短めのパンツ姿。髪の毛は適当にとかしただけで、眼鏡はいつも半分下にずれている。
もう一人のルシアは眼鏡の位置を直してニッコリと笑った。
「何年もの間ずっと探していたのに、全然見つからなかった。それが、偶然発見出来たのは、君のところに居候する変な魔女と子どものお陰。感謝しなくちゃね」
ルシアの背中に悪寒が走る。
誰。
一体誰。
冗談にしては酷すぎる。
もう一人のルシアは、ランタンをゆっくりと床に置き、怯えるルシアの側まで近づいてくる。そうして、ルシアにそっと手を伸ばし、ぐっと肩を引き寄せた。ランタンの光に輪郭が照らされる。間違いなく、自分。
「ホラ見て、胸に“しるし”が浮かんでいる」
彼女はルシアの声でそう言って、胸元に手を当ててきた。
鎖骨の下辺りが、確かに赤黒く光っている。炎のように揺らめく不定型なそれは、ルシアの身体の内部から光を発しているようだ。
「“流星の子ども”が魔性の力に目覚めると、胸に“しるし”が浮かんでくる。この“しるし”が光を失って痣になると、もう人間には戻れない。悪魔や魔物になる。君も、もう少し」
パチンと、目の前の彼女が指を弾くと、壁に掛けられたランプのひとつひとつに火が灯った。視界が急に開ける。
窓のない、殺風景な牢屋のような狭い部屋。格子の付いた扉が視線の先にある。
ガチャガチャと鍵の開く音がして、格子戸が開いた。そこから黒いローブを纏った男たちが何人も現れると、無言で狭い室内をグルッと囲み始めた。
「な、何してるの? 何?」
ゾッとして逃げようとするルシアだが、逃げ場がない。部屋の中央に立ち尽くし、ただただ周囲を見まわすばかり。
不審な男たちはフードを目深に被り、表情は全く見えない。それがまた、不気味だった。
もう一人のルシアは、ふんふんと鼻歌を歌い、かと思うと今度は茶髪の可愛い少年に姿を変える。
「君を、本来の姿にしてあげようと思って」
少年は無邪気に笑った。
「魔法で無理やり封印されていた力を、極限まで目覚めさせたい。そうしたら君も僕たちの仲間になれる。ここには、君と同じ“流星の子ども”が沢山いるんだ。僕もその一人。よろしくね、ルシア。僕のことはサーラと呼んで」
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