マーリア襲来
翌朝、ヴィシャスは、鼻孔の奥深くまで流れ込むパンの匂いで目を覚ました。
宿場の朝は早い。
これは朝早くに宿を立つ行商人たちのために、朝食の準備が早いからなのだが。
もっとも、ヴィシャスたちは急ぐ旅路でなし。
それに、昨夜たらふく飲んだ酒が抜けきっていないのだから、眠い。
「まあ、いいか。一食くらい抜いても」
いましばし二度寝を楽しもうと、ヴィシャスは布団に深く潜った。
寝床は暖かく、心地よい。
パンを焼く暖かい匂いは柔らかく漂う。
「平和だ……」
ヴィシャスは長く戦場暮らしであった。
だから、この平和な朝寝が極上の幸せであるかのようにもおもえた。
その幸せを破るように、廊下で大きな声が上がる。
「ま、マーリア! どうしてここに?」
非常事態に強いのは戦士の哀しい性。
ヴィシャスは布団をはねのけて、あっという間にベッドから飛び降りた。
「マーリアだって?」
それは昨夜聞いたばかりの名。
その彼女が、なぜここに?
少し混乱しながらも、角を隠すための帽子を掴む。
それを頭に押し付けながら、ヴィシャスは廊下に飛び出した。
そこには、驚きの光景があった。
マストゥが胸のたわわな美女に壁ドンされている。
その女性があまりにもたわわな胸をしているから、乳房で壁に押し付けられたようにも見える……。
「胸ドンだ、胸ドン……」
ヴィシャスは思わず自分の胸元を見下ろした。
決して小さいわけではなく、人並みには『ある』。
だが、マストゥを壁際へ押し付けている胸には、とても及ばないサイズ。
「くっ、負けた!」
片膝をつくヴィシャスに向かって、マストゥが弱々しく助けを求めた。
「ヴィシャス、おい、ヴィシャス、これをなんとかしてくれぇ」
「なんとかって……何をどうすれば?」
ヴィシャスはうろたえるばかり。
ついにはとんでもないことを口走る。
「ま、マストゥから離れろ、このデカ乳女!」
「誰がデカ乳女ですって?」
その女はゆらりと揺れてヴィシャスに向き直った。
マストゥはようやく乳の束縛から逃れ、床に腰を落とす。
ヴィシャスはデカ乳女……つまり、マーリアをじっくりと見た。
修道服がエロコスプレに見えるほど不埒な巨乳も見事だが……。
「すごい、美人……」
儚げなホワイトブロンドの髪に、生命力を感じさせる翡翠色の瞳が美しい。
顔立ちはすっきりと整っていて理知的な美人である。
その分、気の強そうな印象を受けるが。
その美しい顔を不快そうに歪めて、マーリアは叫んだ。
「マストゥ……あなたって人は!」
「な、なんだよ」
「こんな可愛らしい女性を連れ込んで、みんなで代わる代わるアンナコトやコンナコトを……これだからバンドマンってやつは!」
「アンナコトやコンナコトってドンナコトだよ?」
「そんな……そんな不埒なこと……言えません!」
「あー、あー、ソンナコトしてると思っちゃったんだ〜」
「してるんでしょ!」
「してねえよ」
マストゥはヴィシャスの隣に並び、その肩を抱いた。
「コイツは、ウチのバンドのメンバーだ。大事な仲間なんだ。そんな奴に、ソンナコトするわけないだろ」
マーリアはそれでも不審顔だ。
「バンドのメンバーですって? 女の子なのに?」
この言葉には、マストゥのみならず、ヴィシャスまでがムッとした。
「女だからって、バンドをやっちゃいけないって決まりはないだろう」
マーリアは、これにきっぱりと言い返す。
「いいえ、女がバンドなんかやっちゃダメ。慎みがないわ」
「つ、慎み?」
「そう、慎みよ」
少し芝居がかった声で両手を広げるマーリア。
どうやら、マストゥのシアターを期待しているらしい。
たしかに、ここでミュージカルが始まれば、マーリアの女性観を歌にして語る見事な見せ場になるだろうが……。
マストゥは、ふいとそっぽを向いた。
「しねえよ」
「ええっ、どうして?」
「いつまでもそうやって俺を頼ってないで、自分の言葉ぐらい自分で語りやがれ」
今の今まで自信満々だったマーリアが、激しく動揺する。
「無理!」
「無理なら語るな、黙ってろ」
「やだ! 語りたいもん!」
「だったら、自分の言葉で語れっつーの」
堂々巡りだ。
埒があかないと見たか、マーリアがシナを作る。
「ねえ、お願い」
「ダメなものはだーめ」
「昔はあんなに歌わせてくれたじゃない。私、あなたのシアターで歌わされるの、好きよ」
蠱惑的にくねらされるダイナマイツなボディと、甘えるような声。
こうなると、本来なら禁欲を意味する修道服が、逆に艶めかしく見える。
「頭がぼーっとして、勝手に声が出ちゃう、アレがすごく……好きなの♡」
何気ない言葉も、もはやソウイウイミにしか聞こえない。
マストゥが大慌てで両手を振る。
「いや、ヴィシャスも聞いているんだし、そういう誤解を招くような言葉は……」
「あら、その子が聞いてると、なんの都合が悪いっていうの? だって、アレでいつも私を気持ちよくさせてくれてたのは、事実じゃない?」
「いや、マジでそういう言い方、良くないって、えーと……」
幾らかの逡巡の後、マストゥは最適解を見つけ出した。
「そう、良くないんだ! ヴィシャスと俺は付き合ってるからさ、誤解されたくないんだよ!」
女性二人が、同時に素っ頓狂な声を出す。
「はあ?」
もちろんそれは、ヴィシャスにとっても寝耳に水であり、青天の霹靂かつ驚天動地の驚愕。
彼女はしばし、その場に立ち尽くしていた。
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