ハニートラッパー・ヴィシャス! 始動!

「なんで私がこんな格好をしなければならないのだ」


 短いスカートのすそを両手で押さえて、ヴィシャスは不服顔だ。

 場所は馬車が休憩のために止まった泉のほとり。


 ミニのスカートは、ヴィシャスの少ない手持ちの中から、エドゥがチョイスしたもの。

 角を隠す帽子も、もちろんおしゃれ仕様。

 上には短い丈のトップスを合わせて、へそチラ健全お色気モードだ。


「うう、おなかがスース―するじゃあないか」


 恥かしそうに身を縮めるヴィシャスの様子を、エドゥは不思議そうに眺める。


「恥ずかしいならさ、なんでそんな服、持ってたの?」


「それはな、店で買うときは、『すっごい! かわいい~』って思っちゃったからだ」


「あ~、実際に買ってみたら、着る勇気が出なかったってやつだね、あるよね、そういうの」


「あるだろう、そういうの」


「じゃあ、ちょうどよかったじゃない、着るチャンスがあったってことでさ」


 エドゥは、さらに頷いても見せた。


「うんうん、似合っててかわいいと思うよ」


 これはエドゥの本心からの言葉。

 だが、普段からフワフワした性格の彼にフワフワとほめられても、新鮮味が足りない。

 ヴィシャスは軽く礼を言って、それを流した。


「うん、ありがとう? でも、私にこんな格好をさせて、何をしようというんだ?」


「だから、さっき説明したでしょ、ハニートラップだよ」


「つまり色仕掛け……なるほど、魅了というやつだな」


 しばらく頷いた後で、ヴィシャスがカッと目を見開く。

 どうやら事の流れに気づいたようだ。


「ままままままさか、わわわわわわたしが?」


「うん、ほかに誰がいるのさ?」


「ききききみがやればよかろう、この洋服を貸してやるから!」


「あ~、ごめんね、僕、そっちの趣味はないから。それに、ヴィシャスさんのハニートラップだからこそ、お兄ちゃんには効果があるんだよ」


「な、なんでっ?」


「いいからさ、ほら、打ち合わせ通り、行ってきなよ」


 エドゥに肩を押されて、ヴィシャスは少しよろける。


「わわっ!」


 一歩、二歩と危なく地面を踏んで、ついに散歩めで、彼女はずべしゃっと派手に転んだ。

 よりにもよって、木陰に並んで腰かけたマーリアとマストゥの目の前で!


 意外にも、最初に岩から腰を浮かせたのはマーリアのほうだった。


「ちょっと、あなた、大丈夫なの?」


「えっ、えっ?」


 戸惑うヴィシャスを、マーリアが引き立たせる。


「ケガとかしてない?」


 孤児院で多くの子供たちの面倒を見てきたマーリアは、こうしたことに慣れている。

 ヴィシャスの全身を撫で上げるようにして土汚れを払ってやった。

 もちろん、同時にケガのチェックもしているのだから、感心するほどの手際の良さだ。


 しかし、マーリアの手が帽子にかかろうとしたその時、ヴィシャスが大きな声を出した。


「だめ!」


 大きく飛びのくヴィシャスを見て、驚いたマーリアが立ちすくむ。

 しかし、べつに怒っているわけでも、不快に思ったわけでもない様子だ。

 むしろ、マーリアは謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさいね、それには触らないから、ね」


 いまさら手遅れ気味だが、ヴィシャスはうつむいて言い訳を口にする。


「死んだおばあちゃんが、人前では帽子をとるなって言った、みたいな、そういう……」


 マーリアはますます優しい顔をして頷く。


「いいのよ、理由は聞かないから。帽子はとっちゃダメなのね、覚えておくわ」


 逆光に縁どられた、輝くように美しい笑顔。

 その笑顔のまぶしさに、ヴィシャスがつぶやく。


「聖母だ……」


 少し遅れて立ち上がったマストゥが、マーリアの肩に軽く手を置いた。

 それは『妹』に対する偽りない親愛のしぐさなのだが……。


 ヴィシャスは、自分の心の奥がちりりと焼かれるのを感じた。

 大きく、焼かれる痛みを感じたわけではない。

 まるで焼いた針先を押し付けられたような、小さくて熱い痛みだ。


 何しろマストゥは、自分の手柄であるかのように得意げな表情をしている。


「優しい女だろ、マーリアは」


「やだ、マストゥったら……わたしは、そんなに優しくないわよ」


 優しい笑顔の美女と、それを温かいまなざしで見降ろす男が寄り添う。

 その光景は絵画のごとく美しく、どこにも付け入る隙など無いように思えた。


「ううっ、ハニートラップ、失敗かぁ」


 ヴィシャスは肩を落として引き下がろうとした。

 その背中を、マストゥが呼び止めたのである。


「あ、どこに行くんだよ、そんな恰好で……」

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