母の名残

「そうか、覚えてないか~、君が生まれたころに会ったことがあるんだけどな~」


 一同、脳内に「そんな赤ん坊のころの記憶があってたまるか~い!」というツッコミが芽生えた。

 しかしドォは、どこかぼんやりとした表情で答える。


「ごめんなさい、覚えてないわ」


 どこかココロココニアラズといった風情である。

 これはしっかり者の彼女にしては珍しいことである。


 マーリアはこれを心配したか、膝をついて指先でドォの型をつつく。


「ねえ、ねえ、大丈夫?」


「え? ええ、大丈夫よ」


 そういいながらもドォは、ホールの中をきょろきょろと見回して落ち着きない。

 まるで『ここにあるはずの何か』を探しているみたいだ。


 これを見た中年ドワーフがニヤリと笑った。


「お嬢ちゃんはもしかして、あのドラムを探しているのかな?」


 ドォが飛び上がって叫ぶ。


「し、知ってるの? お母さんのドラムを!」


 ドラムと聞いたヴィシャスが、身を乗り出した。


「あんたのお母さんのドラム? あんたのお母さんはドラマーだったのか?」


「え、あの……その……」


 何か答えにくい理由でもあるのだろうか、ドォは言葉をよどませて身を揺するばかりだ。


 そんな彼女に代わって中年ドワーフが、ニコニコと愛想よく笑いながら答えた。


「その子の母親は、若いころはこの小屋で演ってたんだよ。ま、あんたみたいに有名じゃない、ただのアマチュアだけどね」


 彼はきょろりと目線をあげてヴィシャスを見上げる。


「ねえ、セクシャル・ソードのドラマーさん?」


「私を知っているのか?」


「そりゃあ、天下のセクシャルソードを知らないわけがないでしょ、こっちだってこういう商売なんだから」


「こういう?」


「おっと、失礼失礼、あたしゃ、ここのオーナーでね」


 中年ドワーフは小さな名刺をポケットから取り出しながら、つづけた。


「さっき歌の練習をしてたのは、ここの開店十周年記念ライブの前座として、コミックバンド的な出し物を企画していてね……いやあ、でもでも、天下のセクシャル・ソードさんがご出演なさってくれるといったら、もう、そんな企画は取り下げますよ」


 まるでセクシャル・ソードの出演が決定しているような口ぶりだ。

 ところがヴィシャスは……彼女はこれでも音楽業界を経験したことのある女だ、こんなことは日常茶飯事だったのか、少しも慌てることはなかった。


「出演料の提示も、正式な出演依頼も受けていない。私は出ないぞ」


「いやいや、もちろんもちろん、公式な出演ってわけじゃなくて、ちょ~っとお遊び気分で出てくれればいいんですよ」


「それはロハで演れってことか? 断る」


「え~、なんで~、出演料の問題? 天下のセクシャル・ソードが、ケチだねえ」


「それだけじゃない。私はもはやセクシャル・ソードではなくこの、えっと……『いまだ名もなきバンド』のメンバーだ、ここに不義理を働くつもりはない」


「わかったわかった、つまり金ね」


「いや、金だけの問題じゃなくてだな……いま、舞台で練習している彼ら、あの子たちだって演奏のチャンスをつぶされることになるだろう。未来ある若いミュージシャンたちの未来を奪うのはかわいそうじゃないか?」


「そんなの、プロの世界ではよくあることじゃないですか、構わないから、出てくださいよ~」


「嫌だと言ったら、嫌だ」


 後は『出ろ、出ない』の押し問答だ。

 ついに中年ドワーフの方が根負けした。


「あ~、いいですいいです、わかりましたよ、天下のセクシャル・ソードさまはウチみたいな小さなライブハウスじゃお歌いにはならないと!」


「そういうことじゃなくて!」


「あ~あ~、あ~、もういいですって!」


 中年ドワーフは足をダシダシ踏み鳴らし、ドォの方へ向き直る。

 そして、とびっきりの猫なで声を出した。


「どっちかっていうとおじさんは、お嬢ちゃんに出演してほしいな。どうだい、ウチで演ってみないかい?」


 ドォがほんの一瞬、顔を輝かせる。

 しかし、それも本当に一瞬のこと。


 彼女は表情も声も暗く、肩を落としてつぶやいた。


「ダメ。だって私、パパから音楽を禁止されてるもの」


 中年ドワーフはそれでも簡単には引き下がらない。


「親父さんなら、あたしが説得してあげるからさあ、ね、おやんなさいよ」


「でも……」


「そうそう、そういえば、お母さんのドラムを見に来たんだろ、まずはそれを見てから、ね、話はそれからにしよう」


 中年ドワーフが顎をしゃくる。


「おい」


 ここのスタッフだろうか、数人のドワーフがぱっと舞台の奥へ駆け込んで行った。

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