ドラムの里のトラップ一家

 ドワーフは魔族の中でも特に平和を愛する種族である。

 だから、好戦的な魔王の統治から逃れるために隠れ住んだのが、里の始まりだと言われている。

 岩山の中腹、切り立った崖に張り付くような細い道を這うように進んで半日、ポツリポツリと棚田が見えはじめたら、そこがドワーフたちの住む『ドラムの里』だ。


 岩場に空いた小さな洞窟を住居としているために家屋はなく、遠目にはここに住んでいる者がいることさえ気づかないだろう。

 ところがこの村、音楽家たちの間ではちょっと名の知れた場所なのだ。


 理由は、ドワーフという種族が、繊細な工芸品を得意とすることにある。

 この村からは腕のいい楽器職人が何人も輩出されており、里の場所は知られていなくとも、里の名は広くに知れ渡っているのだ。


 特にドラムは、いまだ他で作られたものの追随を許さぬほどの名品が作られ、魔族のみならず人間の音楽家までもがそれを求めに訪れるのだという。


 しかし、マーリアのような音楽にゆかりのない人間には、この里の存在はおとぎ話であると信じられている。


 だからこの里につくまでは、マーリアはその存在を信じていなかった。

 だが、遠くに人間の街を一望する棚田の前に立てば、その存在を認めないわけにはいかない。

 棚田では小柄なドワーフの老婆が、緑揺れる麦穂の間で畑仕事をしている最中だったのだ。


「あれ、楽器の買い付けの方かね」


 老婆は、自分の背丈ほどもある麦をかき分けてマストゥたちに近づいた。


「ふうん、楽器商ではなさそうだね」


 値踏みするような老婆の視線におびえて、マーリアは身をすくめる。

 ドワーフは確かに戦乱を嫌う平和な種族ではある。

 しかし、銭勘定に関しては抜け目ない――つまり、意地汚いのだ。


「あんたら、ちゃんと銭は持ってるんだろうね?」


 老婆がいぶかしむのも無理はない。

 旅の途中であるマストゥたちの服装はよれよれでホコリにまみれているのだし、キッシーに至っては貧乏くさい無精ひげがあご周りにチクチクと生え散らかしているのだから。


 マストゥは老婆を安心させるためにポケットから銀貨を一枚取り出した。


「これはガイド料だ。とっといてくれ」


 途端に老婆が相好を崩し、ニカニカと笑いだす。


「おや、ありがたいねえ。で、何を聞きたいんだい?」


「この里にいるという、伝説のドラム職人について、さ」


「ああ、トラップさんのことかい。そうかい、だったら無駄足だね、あの人はもう、ドラムは作らないよ」


「作らないって、どういうことだ?」


「言い方が悪かったね、ドラムなんか作っている余裕がないのさ。あそこンちは数年前におかみさんを亡くしてね、男手ひとつで七人の子の面倒を見ているもんだから、てんてこまいなんだよ」


「それでも、以前作ったドラムが倉庫かなんかにあるかもしれないだろ、頼むから、その人の家に連れて行ってくれないか?」


「そうだねえ、ガイド料も奮発してもらっちゃったことだし……いいよ、ついておいで」


 老婆は先に立ってひょこひょこと歩き出した。

 その背中は小さくて、いかにも弱そうだ。


 それを見て、マーリアは思った。


(これが人間を食う魔族? ありえないわ)


 老婆の背丈はマーリアの腰までしかない。

 手足は枯れ木で作ったみたいに細くて皮がたるんでいるし、強そうなところなど一つもない。


 それでも魔族だということを考えれば、何かしらの恐ろしい魔法を使えるのかもしれない。


 マーリアは慎重に言葉を選んで老婆に話しかける。


「ねえ、おばあさん、私たちは人間なのに、あなたたちの里に案内しちゃっていいの?」


 老婆は歩きながらも、ふと振り返ってマーリアを見た。

 その表情には困惑の色が浮かんでいた。


「変なことを聞くねえ、案内しちゃいけないのかい?」


「ああ、いえ、そういうことじゃなくて、魔族と人間は戦争しているでしょう? だから、あなたたち魔族から見たら、私たちは敵なんじゃないかな~、と思ったのよ」


「え、あんたたち、敵なのかい?」


「いえ、そういうことじゃなくってね……」


 進まない会話を助けるように、マストゥが横から口をはさんだ。


「マーリア、ここはちょっと特別な場所なんだ。ドワーフにとっては魔族か人間かよりも、楽器を買いに来た人間か、そうでないかのほうが重要なんだ」


「ふうん、変わっているのね」


「そうかもな」


 言いながらもマストゥは、ヴィシャスをさりげなくマーリアのそばに押しやる。


「ほら、ここじゃ人間か魔族か、そんなことは関係ないんだってば」


 察しのいいマーリアは、その言葉の意味に気づいた。

 つまりマストゥは、ヴィシャスとマーリアを仲直りさせようとしているのだ。


 だからといって「はいそうですか」で済ませるつもりはない。

 乙女心は複雑なのだ。


「ねえ、ヴィシャスちゃん」


「は、はぃいい!」


「私のこと、だましていたのよね?」


「そ、それは、はい。だって、私が魔族だって知ったら、たぶん、話がこじれると思ったし……」


「理由は、それだけ?」


「そ、それだけです」


「空気読み過ぎよね、辛くない? そういうの」


「別に……」


「ま、いいわ」


 マーリアは、許すとも許さないとも言わなかった。

 正直、ヴィシャスのことは好ましく思っているが、だからといって、今しがたまで親の敵と憎んできた『魔族』と友人になれるかというと……。


 もう一度言おう、乙女心は複雑なのだ。


 後は特に会話もなく、一同は『伝説のドラム職人』が住むという洞窟へとついたのであった。

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