嫉妬は恋の始まり!? てかこれ、嫉妬なの?

 もっとも、彼女自身が自分の気持ちに無自覚であり、戸惑ってもいる。

 酔いでちょぉ~っっとだけ気が緩んだが、本来のヴィシャスは自制が効くタイプなのだ。


 それでも、エドゥが何かひとことを言うたびに、ヴィシャスの胸はざわめく。


「マーリアってさあ、うちのお兄ちゃんに告白したことあったじゃん?」


「……告白……」


「てか、マーリアの元ダンナっての、俺は会ったことあるんだけどさ、なんか、お兄ちゃんにちょっと似たタイプなんだよな」


「マストゥに似た……元ダンナ……」


 そんなわけで、宿につく頃には、ヴィシャスは精神的にすっかり疲れ切っていた。


 馬車ではさすがに雑魚寝だが、だからこそ宿に泊まるときはヴィシャスだけ一人部屋で。

 そのように手配してくれるマストゥには感謝しているが……。


 客室のドアの前で、ヴィシャスはマストゥを引き留めた。


「もう少しだけ、飲みなおさないか、私の部屋で……」


 少し真剣な声に彼は驚いた様子である。


「え、それって、この部屋で、二人きりでってこと?」


「そ、そういうことになるな」


「それはちょっとやばいんじゃないかな、俺もいちおう男なわけだし?」


「関係ないだろう、私は魔族で、アンタは人間なんだし」


「それこそ関係ないだろう、アンタは女で、俺は男だ」


 マストゥがずいっと体を進める。


「まままま、ちょ、ま」


 追い詰められるような形になって、ヴィシャスは壁に背中をついた。

 マストゥは容赦なく、両腕を彼女の顔の横に突っ張って壁ドンを決める。


 そして、わざとらしい悪人面。


「むしろ、人間の女みたいに結婚だの束縛だの考えなくて済む分、遊びで抱くには、ちょうどいいかもな」


 彼の唇まで数センチ、呼吸のぬくもりを感じる距離だ。

 ヴィシャスは息を止めて、マストゥを見上げる。


「あ、あの……」


「なーんてな」


 おどけた口調で、マストゥがパッと離れた。


「ようするに、もっと警戒心を持てってことだな。特にアンタ、そうやってツノ隠してたら人間と変わらない外見してるんだし、危なくて仕方ねえ」


「え、あの……」


「ま、俺は紳士だし? 大事なバンドのメンバーに手を出してゴタゴタするのも嫌だし、アンタを抱いたりはしねえけどな」


 年下の子供にするような優しい手つきで、マストゥはヴィシャスの頭を撫でた。


「だから、相談があるなら、ここで済ませちまえ」


「は?」


「あれ? 違うのか? あいつらに聞かせたくない話があったんじゃないのか?」


「おまえ……そういうとこだぞ、ほんと」


 ヴィシャスは少しむくれた顔で、マストゥの手を振り払った。


「べつに、相談なんて大げさなもんじゃない。ただの個人的興味だ」


「へえ、何?」


「その……さっき、エドゥが話しているのを聞いただけ……もちろん直接じゃなくて、ページとの会話が聞こえただけなんだけど、気になる名前があって……」


「なんで饒舌になってるの? いいから、なに?」


「……マーリアって、だれ?」


 マストゥは彼女の質問に意図をくみ損ねた。


「なんでそんなこと聞くんだよ」


「だから、個人的興味だって言ったじゃないか、もういい! 忘れろ!」


「なんで怒るんだよ」


「怒ってない!」


「怒ってるじゃん」


 ヴィシャスは軽く呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせる。


「たぶん、酔いのせいだ。だから、忘れてくれ」


 彼女はマストゥを少し強く押し返して、部屋のドアを急いで開けた。


「今夜はもう、寝る!」


「なあ、何でそんなに怒ってるんだよ?」


「怒ってないっ!」


 バタンと勢いよく部屋のドアを開けた後で、ヴィシャスは自分の胸に手を当てた。


「なんだ、これ……」


 心臓は早鐘のように鳴っている。

 胸元を押し縮められているような息苦しさもある。


 何より、頭の中が……。


「うわあああああ! なに、これ!」


 思い出されるのは先ほどの壁ドン。

 甘く鼻先をくすぐる彼の呼吸の残り香。


「なんだこれ……苦しいような気がする」


 しかし不快な苦しさではない。

 むしろ体の奥がほっこりと温かくなるような優しい苦痛だ。


「飲みすぎだ。絶対に飲みすぎ。そうに決まってる」


 ヴィシャスは靴を脱ぐのももどかしく、ベッドに倒れこんだ。

 眠ろうとして目を閉じるが……。


「マーリア……か」


 頭に何度も繰り返されるその名を振り払おうと、ヴィシャスは自分のこめかみを押さえた。

 そのまま、ぎゅうっと体を縮めてつぶやく。


「関係ない、私には関係ない人物だ」


 顔さえ知らぬ、おそらく一生会うこともない女の名前など、忘れてしまえばいいと……。


 しかし、ヴィシャスの願いはむなしく。

 彼女が『マーリア』という女の顔を知ったのは、翌朝のことだった。

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