育って! エドゥ!

 さて、みんなから離れて、ヴィシャスは森の中で足を止めた。

 温かい焚火の光もここまでは届かない。


 ヴィシャスが手をほどくと、エドゥが膝をカタカタいわせて震えた。


「こ、ここ、く、暗いね」


「そうか、人間は、暗いと何も見えないんだったな」


 ヴィシャスは左手の人差し指を立て、その先に小さな魔法の炎をともした。


「ほら、これで少しは明るくなっただろう」


「へええ、便利だねえ」


「そんなに驚くほどのことか?」


 このあたりは人間と魔族の差というものだ。


 魔族は自分に体質に合った魔力というものを持ち合わせて生まれてくる。

 幼いころに両親の魔法を見て育ち、自然に魔法というものを習得してゆくのが普通だ。


 対して人間は、もちろん生まれつき魔力を持ち合わせていたりなどしない。

 魔法とは学校で原理を習い、それを理解したものだけが使いこなせる特殊な力なのだ。


 まれに『家伝スキル』なる家系的に受け継がれる能力を持つ者はいる。

 例えばマストゥの『シアター』のように。

 これは本当の本当にまれなことなのだ。


 だから、人間であるエドゥにとっては、魔法が珍しくて仕方ない。

 何しろ魔法が使えるとなれば戦場に駆り出されてしまうのが普通なのだから。

 一般小市民であるエドゥは、これまで魔法というものに縁がなかった。


「すごい、この炎、熱くない……」


「こら、うかつに触るな、熱い炎を出すことだってあるんだからな」


「もしかして、温度調整とかもできるの? すごいね」


「そ、そんなにすごいかな」


「うん、すごい! すごいよ!」


 目をキラキラさせたエドゥに褒められるのは、決して悪い気分ではない。

 ヴィシャスは上機嫌で帽子を脱ぐ。


「ふふふ、じゃあ、この魔法を見たら、腰を抜かしてしまうかも!」


「なになに、何をするの?」


「じゃあん、『角通信』!」


 ヴィシャスの角がぼんやりと淡い月色に光りだした。

 エドゥは大興奮だ。


「すごい、光ってる! 光ってるよ!」


「ふっふ~ん、光るだけじゃないのよ、これが」


「え~っ、なになに、何が始まるの?」


「ここに……『恋愛ソングの神』と呼ばれた人物を呼び出すっ!」


「すげえ、そいつはすげえや!」


「ま、呼び出すっていっても幻覚なんだけどね」


 ヴィシャスが言うが早いか、二人の前に淡い光色をした人影が立った。

 光を透かして見れば、それは小さな体躯と愛くるしい童顔……ナンシーだ。


 彼女は明らかに寝支度と思われる質素な長衣を着ていた。


「ん~もう、角通信をかけてくるときは、時間を考慮してくださいませ」


 なるほど、この幻覚は、姿かたちを写し取っただけのものではないようだ。

 その証拠に、ヴィシャスは普通の会話であるかのようにナンシーに向かって話しかける。


「ごめん、だけど、ちょっと見てほしい奴がいてさ」


「見てほしいって、ん~、そこにいらっしゃる、ちょっとさえない感じのお方?」


 どうやらあちらからは、エドゥの姿も見えているらしい。

 エドゥは軽く頭を下げる。


「あ、どうも」


 ナンシーは幼い顔を不機嫌そうにゆがめた。


「さえない挨拶ですわねえ……で、この方が何?」


 ヴィシャスは胸を張って、はっきりきっぱりと言う。


「こいつを、良い男に育ててやってほしいんだ!」


 ナンシーが絶句した。

 それだけじゃない、当の本人であるエドゥも絶句。


 しかしヴィシャスだけは、自分が思いついた最高の作戦を語る。

 その表情には曇り一つなく、それが最高の作戦だと信じて疑わない風だった。


「こいつは、好きな女がいるんだが、振り向いてもらえないんだ。だけど、ほら、見てくれは悪くないだろ? だから、磨けばいい男になると思ってさ」


 ナンシーがエドゥの顔をよく見ようと目を細める。


「なるほど、確かにかわいらしい系のお顔をしていらっしゃいますわね」


「だろ!」


「でも、弱そうですわ」


「それは、あ~、うん」


「そうですわね、面白い素材かもしれませんわ」


 どうやらナンシーは乗り気になったようだ。

 だが、エドゥは状況が呑み込めず、おびえてヴィシャスの袖を引いた。


「あのう、こちらの方は……」


「以前あったことがあるだろう、ナンシーだ」


「それは知ってるんですけどね、恋愛のエキスパートって……」


「エキスパートだぞ。いままで付き合った男は数知れず、おまけに恋愛ソングを書かせれば右に出る者はいない、彼女が楽曲提供をした歌手はすべてスターダムにのし上がるというジンクス付きの、魔界音楽界裏のドンなんだから」


「ほへえええええ、そんなすごい人だったんですね」


「まさか君は、ナンシーが見た目通りの幼女だと思っていたのか?」


「え、いや……えへへ」


 だらしなく笑うエドゥに向かって、ナンシーがびしっと人差し指を立てた。


「立派な殿方は、他人を見かけで判じないものですわ!」


「え、ええ……はい」


「あと、服装。せっかく可愛らしいお顔をしているのに、もったいないですわ」


「あ、はい」


「それから、戦闘力ですわね……せめて、その意中のお方を守れる程度であってほしいものなのですが……」


「あ、あの、僕……」


 エドゥは下唇をかみしめた。

 彼がそんな顔をするのは、とても珍しいことだった。


「僕……魔法とか難しくてわからなかったし、だからって剣や斧で戦えるほど強くないし、その……本当に、戦いに向いてないんです!」


 この決死の告白を、ナンシーはあっさりと受け止めた。


「そんなことないでしょ」


「でも……」


「立派な殿方は口答えしない。よろしくて、確かに四元素の魔法などを体得しようというのならば、大変なことになることでしょう。でも、あなたのお兄様が使うような音波を基礎にして増幅魔法をかける攻撃なら、原理は難しくなくてよ?」


「でも、僕、お兄ちゃんほど歌、うまくないし……」


「うまいヘタは関係ないわ。音波攻撃に使うのは単純に『音』のみですもの」


 ナンシーは「ふふっ」と笑い声をこぼした。


「心配しなくても、三日で音波攻撃を会得した私が、マンツーマンで教えて差し上げますわよ」


「ほ、ほんとに?」


「ええ、乗り掛かった舟ですもの、せっかくなら最高の男に育てて差し上げますわ」


 そう言った後で、ナンシーは大きなあくびを一つした。


「とはいっても、わたくし、もう、おねむですの。特訓は明日からですわね」


 エドゥが頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします!」


 こうして翌日から、エドゥを『いい男』に育てるための特訓が始まったのだった。

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