第28話 噛み合わない二人

「事の発端は昨日の午後。私は川島博士から秘密裏に呼び出しを受けて、研究棟に出向いた」

 そう切り出すと、ソウマもまた居住まいを正した。その視線に続きを促される。

「博士の隣にはモリノさんもいた。私は博士から研究データの入ったメモリーチップを受け取って、ハママツ自治区のとある店にそれを運ぶ指示を受けた。十日ほど前に外部から博士に連絡を取った人物がいて、研究データを世間に公開してもらうようその人に依頼したと。博士はこの件をモリノさんに相談していたらしい。モリノさんからは緊急連絡用にと、携帯をもらった」

 今思えば、モリノの口添えがあったからこそ、キッカはこの任務を引き受けたのだ。

 その後の経緯も、掻い摘んで説明する。会社を出てすぐに帝国軍兵の追っ手が掛かり、負傷したこと。ハママツ自治区の診療所でも襲われたこと。そこでクオンと出会ったこと。クオンの恋人であり、川島博士の娘でもあるハルカのこと。

「私はクオンさんにメモリーチップを託して、拘束された川島博士を助け出すために会社に戻ろうとした。だけどその途中で、変な奴に襲撃された」

 ずっと黙って話を聞いていたソウマが口を挟む。

「変な奴?」

「そう。時速八十キロの車に撥ねられても無傷で、アスファルトを拳で割った上に、銃弾を皮膚で弾くような奴」

「さっきのバケモノと同じような奴か?」

「違う。そいつは少なくとも、ぱっと見は普通の人間だったし、それに自分の意思で行動してた」

 自分の意思で、キッカのことを殺す前に犯そうとしたのだ。

「……そいつにやられたのか」

 ソウマが静かな口調でそう問うた。彼の勘違いに気付いて、キッカは首を振る。

「いや、未遂だから……大丈夫」

「そうか」

 大丈夫、だなんて。あの時のことを思い出すと、未だに臓腑が凍るのに。だが、それを振り払って話を進める。

「でも、その時に車が壊れてしまった。それでどうにも動けなくなって小学校に潜伏してたところに、ソウマが来た」

「あぁ……」

「それで訊きたいんだけど、ソウマは今回の話を、いつから知ってた? 誰から、どんな風に聞いてた? 昨日、私が会社を出る時に話し掛けてきたでしょう。あれは社内で何かおかしなことがないか、監視してたんじゃないの」

 ソウマは瞬きもせずにキッカを見据えたまま、静かに口を開く。

「……あぁ、そうだよ。俺はお前を監視してたんだ。一週間ぐらい前に、モリノさんから言われて」

「モリノさんから?」

「そうだ。社内で不正な情報漏洩の動きがあるから、タチバナの動きを注意して見てろと」

「……私が犯人だって?」

「その時点では断定はしてなかったが、お前が何らかの形で関わってるらしいと、そう言ってた」

 クオンが川島博士に連絡を取ったのが十日前。その後すぐに博士がモリノに相談を持ち掛けたのだとしたら計算は合う。かなり早い段階から、モリノの中でもう一つの計画が動き始めていたということだ。

「昨日お前が早退した時の様子がちょっと気になって、俺はすぐモリノさんに報告した。夕方にはお前が川島博士の研究データを盗んで逃走したと、特別情報課内での極秘案件として話があった」

「ちょっと待って。私あの時、そんなにおかしかった?」

「おかしかったというか、強いて言うなら普通過ぎたな。いつもはもっとツンケンしてるだろ、俺に対しては。体調悪いせいかとも思ったんだが、一応な」

「あぁ……」

 キッカはこめかみを押さえた。こんなことでソウマに看破されるとは。

「それにしても、私が博士のデータを盗む訳がないでしょ。なぜそれを真に受けた?」

「モリノさんは、お前が博士を逆恨みしてやったと言ってた。だから俺はてっきり、お前と博士の間に何かあったんだと思ったんだよ」

「何かって?」

「だから……痴情のもつれとか」

 冷笑気味に溜め息をつき、きっぱりと言い放つ。

「あり得ない」

 それは川島博士に対しても失礼だろう。モリノがそんなことを吹聴したとは。

 ソウマは何か言いたげな顔だったが、無視した。

「続けて」

「……お前を追うように命令を受けたのは、午前二時頃だった。見つけたらすぐに射殺しろと」

 ちょうど、国道一号線での戦いを終えた時間帯だ。

「その命令を受けたのはソウマだけ?」

「そうだ。まともにぶつかって太刀打ちできるのは俺ぐらいだからな」

 キッカは小さく顎を引き、ソウマを見据える。

「それじゃあ、どうしてすぐに殺さなかったの」

 ソウマは答えない。返事を待たずに続ける。

「ソウマも、何かおかしいと感じてたんじゃないの?」

 しばしの間、じっと見つめ合う。絶え間ない虫の声が沈黙を横切っていく。やがてソウマが視線を落とし、観念したように溜め息をついた。

「そうだよ」

 ソウマはシートに身を預け、脚を組んだ。

「機密情報が持ち出されたってのに、肝腎のデータについては何も言われなかった。だから俺はモリノさんに指示を仰いだ。だが、とにかくお前を見つけ次第すぐに射殺するようにと、上から命令が下っているという話だった。同じ課の仲間を殺す話だってのに、そんなの納得いかないだろ」

「……やっぱり。私を襲ってきた帝国軍兵は、誰一人メモリーチップを探すそぶりもなかったから」

「案外、大して重要性のないデータだったとか? どんな内容だったんだ?」

「中身は見てない。博士から知らない方が良いと言われた。仮に重要じゃなかったとしても、博士が思い詰めるような研究内容だったのは確かなんだ」

 そこでふと、キッカは顔を上げる。

「そう言えば、博士は無事? モリノさんは博士が拘束されたと言ってたけど」

「いや、博士には会ってないな。俺はモリノさんと話をしただけだ。そのモリノさんも俺に命令を出した後、軍から呼び出しがあったとかですぐに出て行ったから、それ以上の詳しい話も聞けなかった。あのバケモノのことだって、何も聞いてない。何か手違いがあったのか……」

「そう……」

 二人ともモリノに情報をコントロールされている。どうやら、狙われているのはデータではなくキッカ自身の命であるらしい。メモリーチップの受け取り人と落ち合ったことをモリノに伝えた後にも、襲撃があったのだ。

 だが、なぜ? データを犠牲にしてでも、川島博士を会社に留め置くためだろうか。造反の意思に対する牽制と脅迫を目的として。

 だとするならば、やはり何としてでも博士を救出せねばなるまい。

 キッカは改めてソウマの方を向き、両手を膝の上に揃えた。

「ソウマ、頼みがある。博士を助け出すのに手を貸してほしい」

 ソウマは軽く鼻を鳴らす。

「こんな状況になってるってのに、随分とお人好しなんだな。お前の任務はメモリーチップをハママツまで運ぶことだけだったんだろ。そのクオンって奴の頼みを聞いてやる義理はないはずだぜ。大体お前、命を狙われてるんだぞ。自分から火の中に飛び込む気か」

 その目には揶揄するような色が浮かんでいる。以前、川島博士のことで操り人形だの枯れ専だのと小馬鹿にされたことを思い出し、癪に障った。しかし今は喧嘩している場合ではない。

「……会社の近くまで乗せていってもらえるだけでいいから」

 なおも食い下がるが、ソウマは斜に構えた姿勢を正さない。

「あのなぁタチバナ、それをして一体俺に何のメリットがある?」

 キッカは口を閉ざした。ソウマの言う通りだ。キッカを助けたことはともかく、それ以降のことについては完全に無関係なのだ。

 少し考えてから、ちらりと提案してみる。

「……言い値で雇う」

「金の問題じゃない」

「じゃあ……どうすればいい?」

 不本意ながら、更に下手に出た。ソウマは呆れたように言う。

「タチバナお前、自分の立場分かってるか? 俺はまだ任務の途中なんだよ」

 挑発的な視線がキッカを捉える。ソウマはやおらポケットから携帯端末を取り出した。キッカから奪ったものだ。

「例えばこの携帯に電源を入れるだけで、お前の居所をモリノさんに知らせることができる。このまま連行してモリノさんの前に突き出したっていい」

 この男、一体何が言いたいのか。

「お前は博士のためなら何でもするのかも知れないが、俺はそうじゃない。お前の自己満足に俺を巻き込むな」

 ソウマが一層、底意地悪く笑う。

「よく俺にそんなことが頼めたもんだ。つくづく考えの甘い奴だよ、お前は」

 その瞬間、わだかまっていた苛立ちが一気に膨れ上がった。キッカの顔からすうっと表情が消える。重く深い息が、音もなく吐き出される。

 自己満足。その言葉が、胸の深いところに抉り込んでいた。

 違う。そう否定したかった。けれども、滑り出てきたのは別の台詞だった。

「……だったら、今すぐここで私を殺せばいい」

 低く抑えた声。膝の上で拳を握り締める。

 ソウマを睨み据える瞳が、強い感情に揺らぐ。唇が震えていた。

「モリノさんに連絡したいのなら、好きにすればいいよ。どのみちあんたが来なければ、私は死んでたんだから」

 何度目かの張り詰めた沈黙が、薄暗い車内を満たす。ソウマの協力は得られないかも知れない。しかしもうこれ以上、この男に懇願する気にはなれなかった。

 ソウマが携帯端末に目を落とし、電源ボタンに指を這わせる。しかし次の瞬間、ホルスターから拳銃を抜き、グリップ部分を打ち付けて画面を叩き割った。

「……会社の近くまでだからな」

 壊れた携帯端末を座席に放りながら、組んだ脚を戻す。キッカはそんなソウマの様子を怪訝な表情で注視する。

「勘違いするなよ。モリノさんの意図が分からない以上、下手に連絡を取るのは俺にとっても危険だと思っただけだ。それに——」

 ソウマは顔を背け、溜め息を吐き出すように言う。

「いつどこで、またさっきみたいなバケモノが現れるか分からないからな。俺が放り出したせいで死なれたんじゃ、寝覚めが悪いんだよ」

「そう……」

 行き場をなくした怒りが、胸の中で揺蕩たゆたっている。釈然としない、何か悔しいような、複雑な心境だった。

 時刻は午前五時前。夜明けまでにはまだ時間があった。

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