第18話 新たなる作戦

「元自衛隊、という話だけど」

 キッカが促す。

「あぁ、そうだ。まずそこから話を始めるのがいいんだろうな」

 クオンは約十一年前の、反帝国軍ゲリラに対するトヨハシ自治区攻撃の話を静かに語り始めた。彼の所属部隊が最前線に配置されたこと。多くの仲間を失ったこと。

 民間人にも多数の死傷者を出したその戦闘のニュースは、キッカの記憶にも残っている。まだ施設で暮らしていて、妹も生きていた頃の話だ。

「あれは作戦と言えるような代物じゃなかった。とにかく破壊しまくる。ゲリラ軍をいぶり出すためのローラー作戦だ。敵味方問わず、日ごとに死者の数が膨れ上がった。前線にいる奴らの精神状態にもすぐに限界が来た。そんなある日、俺は運悪く地雷を踏んだ。そして右腕と両脚を失った」

 そう言って、左手で右腕を軽くさすった。

「目覚めたら、俺はトヨハシ自治区内の『川島病院』という場所にいた。眠っている間に、右腕と両脚には生体義肢が付けられていた。そこで川島先生と出会ったんだ。あぁ、ちなみに生体義肢というのは——」

「知ってます。私も、そうだから」

 クオンは軽く目を見開いた。

「えっ、そうなのか?」

「えぇ。でも私の場合は、事故や内戦のせいではなく——」

 胸の奥で何かがざわめく。それが一瞬、告白を途切れさせる。

「……仕事のために、必要で」

「仕事?」

 クオンの真っ直ぐな視線に居辛さを感じた。彼は自ら望んで義肢になった訳ではないのだ。キッカとは違って。

 第一その『仕事』というのも、決して人に誇れるような内容ではなかった。これまで自分が関わってきた任務の特異性については認識していたつもりだ。その上で、それが自分の勤めだと割り切って過ごしていたのだ。

 だが、胸の奥に生じた小さなしこりのようなものは、驚くほど冷たかった。

「……少し、危険な仕事が多くて。私の義肢は戦闘用に強化された特殊なものなんです」

 言葉を濁した説明だったが、クオンは「あぁ」と納得する。

「そういうことか。さっき見てて、女性にしては攻撃の威力が高いような気がしたんだ。もちろん格闘術の素養もあるとは思うけど」

 思ったよりあっさりした反応で、内心ほっとする。

「すみません、それで?」

 それ以上追求される前に先を促すと、クオンは話を再開した。一つずつ記憶を確かめるように、ゆっくりと。

 川島博士が、かつて内戦で息子を亡くしていたこと。その経験から、医師としての責務を果たすため、負傷して手足を失った者を敵味方問わず収容して救っていたこと。看護師として働いていた博士の娘、ハルカのこと。一家の母親がナショナル・エイド社に在籍していたこと。

 川島博士の妻が社内にいたというのは、キッカも初耳だった。

「ハルカと俺は、恋人同士だった。俺は『川島病院』で三年間、看護師としてハルカと一緒に働いた。思えばあの頃が一番平和だったかも知れない」

 恋人の話題になって、ふとユナのことを思い出す。ちらりとマスターを見やれば、彼は黙々とグラスを磨いている。恐らくクオンの事情を知っていたのだろう。

「でも、その平和は唐突に終わった」

 クオンは眉根を寄せながら、運命の夜のことを話し始めた。夜中に帝国軍と思しき部隊が病院に侵入し、患者やスタッフを次々と殺していったこと。奴らの狙いは川島博士であったこと。そして、クオンはハルカと共に冷凍睡眠装置で眠りに就いたこと。

「ちょうどその一年後、俺はコールドスリープから目覚めた。川島先生は装置の解除に来ると言っていたが、結局それは適わなかったらしい。だからタイマーがセットされていた一年後に目が覚めたんだ」

 計算すると、それが今から七年前ということになる。

「それから間もなくして、帝国軍によって大規模な反乱組織の指導者が殺され、内戦は収束した。その後しばらくはトヨハシ自治区界隈にも帝国軍がうろついていてね。俺は身を隠しながら一人であちこち移動した。『川島病院』の生き残りだとバレたら、命はないと思ったんだ」

 違和感に気付き、キッカは首を傾げる。

「……一人で?」

「そう」

 クオンは表情も変えずに言った。

「ハルカは、目覚めなかったんだ」

 キッカは思わず息を呑んだ。店内に流れる名も知らぬ曲が、沈黙を埋めていく。

「理由はよく分からない。冷却装置自体は問題なかったし、タイマーも正常に作動してたはずだ。でも、ハルカは目覚めなかった。装置の覚醒機能の障害かと思って機械を調べたが、見たところ何の異常もなかった。機械のせいじゃないとしたら、ハルカ自身の問題なのかもしれない。とにかく俺一人では、どうにもできなかった」

 クオンはそこで一息ついて、小さく首を横に振った。しばらく黙り込んだ後、再び口を開く。

「俺は川島先生を探した。ハルカを目覚めさせられるのは、きっと先生だけだ。そもそも、病院があんな理不尽な襲撃に遭った理由を知りたかった」

「川島博士がうちの会社にいることは、どうやって?」

「初めから、ある程度のアタリは付けてたんだ。先生を狙ったのは帝国軍だったし、奥さんがナショナル・エイド社の社員だったからな。情報を求めて動き回ってた時に、この店の噂をたまたま耳にした。それで俺はトヨハシを出て、ハママツにやってきた」

 マスターが一瞬だけ視線を上げ、口の端に笑みを作った。

「マスターに紹介してもらったハッカーを通じて、俺はナショナル・エイド社の情報を探った。もちろん簡単じゃなかったよ。ほとんど軍機密みたいなものだもんな。だがある時、あの会社のネットワークに侵入することに成功した。そして極秘のデータベースの中に、生体義肢に関する研究データを見つけたんだ。そこにあったのは、戦闘用に特殊強化した義肢のデータだった」

 驚いて、顔を上げる。先ほどキッカが戦闘用義肢の話をした時のクオンの反応を思い出す。

「……知ってたんですね」

「あぁ。実際に目にしたのは今日が初めてだけどな。そのデータが記録されていたのは、病院が襲撃に遭った次の年だった。それで俺は、軍やあの会社が何のために川島先生を連れていったのかを、ようやく理解した」

 キッカは少し視線を落とした。クオンが両手を広げて見せる。

「別に君のことを責めてる訳じゃない。その情報のおかげで、先生があの会社にいるという確信が持てたんだ。それに新しい義肢の技術のことに関しては、思い当たる節がない訳ではなかったから……」

 一瞬、表情が曇る。

「ともかく、俺は先生にメッセージを送った。どうしても会って話したいことがある、と」

「……ハルカさんのことは?」

「伝えてない。会社側の監視を掻い潜って先生個人の端末にアクセスするのが、まず一苦労だった……らしいからな。協力してくれたハッカーに、いつ会社側にバレるか分からないから、ハルカのことはメッセージに書くなと言われたんだ」

「なるほど」

「そうしたら逆に、研究データを世間に公開するよう頼まれた。データをオンラインに乗せると会社のセキュリティに引っ掛かるから、メモリーチップに保存して届けるようにする、と」

「私がこの任務を受けた時、博士は随分と追い詰められた様子でした。このままだと必ず恐ろしいことが起こると。それが具体的にどういうことなのか、教えては頂けませんでしたが」

「それは生体義肢の研究に関わることなんだろうか」

「恐らく。信念に反した研究をさせられているような口ぶりでした」

 一呼吸置いて、再び口を開く。

「……今、博士は拘束されているようです」

「え?」

「私が任務を受ける前から、計画が漏れてたみたいで」

 クオンは顎に手を当て、眉根を寄せる。何かをじっと考え込んでいるようだった。

「博士を助け出すなら、早い方がいいですね」

 キッカがそう言うと、クオンは驚いたような表情をする。

「私に頼みたいことって、それでしょう?」

「あぁ、しかし……そんな状況じゃ、君も相当危険じゃないか」

「このまま逃げ回ってても、どうせ危ないのは変わりません。あいつら完全に私を殺しに来てたから」

「……先生を助け出せそうか?」

「私の他にもう一人、同じ課の先輩がこの件を知ってます。どうにか手引きしてもらえれば、あるいは」

 キッカは携帯端末を取り出す。さすがにまだモリノからの連絡はない。まさかこちらから掛ける訳にもいかないだろう。

「……少なくとも、会社が川島博士に危害を加えるようなことはないと思います。クドウさんの話を聞く限り、そうまでして博士を手に入れたのなら、何としてでも留め置いて研究を続けさせようとするはず。時間が経てば経つほど、きっと博士の救出は難しくなる」

 クオンは改めてキッカに向き直った。真摯な視線がキッカに注がれる。

「頼めるか?」

 キッカは真っ直ぐにクオンを見つめ返す。

「はい」

 ごく簡潔な、だが意志を込めた返答。クオンの瞳が揺れた気がした。

「ありがとう。あまり大した礼はできないかもしれないが……」

「いえ、私も川島博士を助けたいから」

 キッカは美しく微笑んだ。それは紛れもない本心だった。

 胸の奥の熱が、今再びキッカを突き動かそうとしている。先ほど生まれた冷たいしこりは、その熱によってすっかり覆い隠されていた。

「俺も行くよ。タチバナさんは怪我もしてるし、一人より二人の方がいいだろ?」

 キッカがかぶりを振る。

「クドウさんはそのメモリーチップを早く安全な場所に移して、データを公開してください。それによって、会社に混乱を与えられるかも知れない。そうすれば博士を救出しやすくなるはず。私は先輩に協力を仰いで、社内の情報をもらいます。できるだけ早くここを出発して、すぐに侵入できるように会社の近くで待機してます」

「しかし……」

「それは博士があなたに託したものです。どうか、その意思を受け取ってください。連携して博士を助け出しましょう」

「そうか……分かった、データの方は任せてくれ。それから――」

 クオンは渋々頷いてから、少し表情を緩めた。

「俺のことは、クオンと呼んでもらえるかな。『久遠クドウ 慧一ケイイチ』は、ハルカと一緒に眠ってるから」

 寂しげに笑うクオンは、どこか遠い場所を見つめていた。

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