弔いの雨の降る④

 墓参りから帰宅したミズコシは、いつものスウェットに着替えて仮眠を取った。昨日と同じ午後三時にキッカとソウマがやってきて、作業の続きに掛かる。今日は掻き集めたデータや資料の検分である。

 特効薬の開発記録、治験データ、学会でのプレゼン資料、認可を受けるための申請資料、医療者へ配布された説明資料などなど、順を追って中身を確認していく。しかし量が膨大すぎるため、一つ一つ細かく見ようとすると時間がいくらあっても足りない気がした。

 午後六時を回った頃、空腹を訴えたキッカがコンビニに出掛けた。それを契機に、ミズコシとソウマもどちらともなく休憩モードに入っていた。

「なぁ、ミズコシってさ」

「んあ?」

 欠伸を噛み殺したような声で切り出したソウマに、気の抜けた返事をした。

「前から思ってたんだが、それだけの腕があるなら、直接的にサイバーテロを起こしてあの会社を撹乱することだってできるんじゃないか?」

「んー、どうだろうなぁ」

 実際は小規模ながら起こしたことがあるのだが、敢えて黙っておいた。突っ込んだことを訊かれても面倒臭い。

「こうやって回りくどい方法でちまちまやるよりも、そっちの方が手っ取り早い気がするんだが」

「そりゃそうなんだけどよ。サイバーテロを起こしたところで、精々ちょっとの間経営をストップさせるくらいが関の山だろうがよ。そんで大騒ぎになれば、向こうだって犯人探しに本腰入れてくる。身バレしちゃ元も子もねぇ。だったらこっそりお邪魔して、あいつらを揺さぶるのに必要なデータを頂くってのが、遠回りだろうと確実なやり方なんだよ」

「なるほどな」

 実際、彼女と一緒に帝国系の企業をシステムダウンさせた時は、踏み台に使ったコンピュータの持ち主が逮捕された。運良く、捜査の手がミズコシたちの元に伸びることはなかったが、あの時ほど生きた心地のしなかったことはない。それ以来、直接的なサイバーテロは行なっていなかった。

 外は未だに雨が降り続いていた。既に日が暮れてから随分時間が経ち、暖房を入れていても壁から冷気が滲み出てくる。

「遅いな、あいつ」

 ソウマがぽつりと言った。モニターに表示された時刻は六時半過ぎ。キッカが出て行ってから、かれこれ三十分近く経つ。

「別に、一緒に行きゃあ良かったのによ。こんな暗い中、カノジョを一人で行かすなよ」

「——え?」

「付き合ってんだろ、お前ら」

「……いや……」

「は? 付き合ってねぇの?」

「……いや……?」

 ソウマが視線を泳がせながら首を傾げる。なぜ否定語が疑問形なのか。

「でも、何もねぇって訳でもねぇんだろ?」

「……まぁ、それは」

 僅かに口許が緩む。しかし目は逸らされたままだ。何とも歯切れが悪い。

 ミズコシは片眉を上げ、下衆な薄ら笑顔で問う。

「で、どうだった? あの子」

 ソウマがぴくりと身じろぎをする。

「な……何がだよ」

 表情が硬直している。もしやと思ってカマを掛けたら、ビンゴだったようだ。

「おいおい、マジかよ……ちょっと整理しようぜソウマくんよ。要するに、ヤッたけど、付き合ってるかどうかは分からねぇと」

「……うるせぇな、何でもいいだろ」

「それってつまり、ただのセ——」

「違う」

「でなきゃ、あれか。はっきりしたことは何も言わずに、成り行きでヤッてそのままってパターンか」

 ソウマは黙り込む。図星らしい。昨日ミズコシがソウマをからかった時に、キッカがソウマに送っていた視線の意味を何となく理解する。そりゃあ、あんな顔で睨むはずだ。

 だんだん、目の前で憮然としている男に対して腹が立ってきた。

「くっそ、ムカつくなお前……」

 こちとら随分長いことご無沙汰だってのに。思わず溜め息が零れる。

「あーあ、いいなぁ……キッカちゃんて、いろいろ凄そうだよな。なんつーか、お願いしたら何でもやってくれそうっつーか、何でもさせてくれそうっつーか」

 もやもやと妄想を膨らませる。しかしそれはすぐに怒気を孕んだ声によって遮られた。

「おい、想像するな」

 目がマジだ。

「いいだろうがよ、想像するくらい」

「良くねぇよ、今すぐやめろ。あんたは企画モノでも見てればいいだろ」

「……なんでお前がそれを知ってんだよ」

 ミズコシは眉根を寄せる。ソウマの顔に勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。

「履歴に残ってたぜ。お盛んだな」

「だって、溜め込んだら身体にわりぃだろうがよ」

「それはそうだが……俺にはあの類のものの良さが全く理解できない」

「おい、そりゃ聞き捨てなんねぇな。あの現実離れした設定からエロに持ってく強引さがいいんだろうが。自分のテンションをそっちに寄せてくっつーか、自分を追い込んで壁を一つ越えるっつーか」

「……実用性としてどうなんだよ、それは。やっぱり全然分からん」

「それはお前がいい企画モノに出会ってねぇからだ。よし、俺が今からとっておきの名作を見せてやる。二度とそんな言葉は言わせねぇぜ」

「……ほう」

 ミズコシがパソコンを操作し始めると、ソウマが腕組みしながらモニターを覗き込んでくる。秘密のお宝動画フォルダを開き、その中の一つを選んで再生ボタンにカーソルを合わせた。

 しかし、次の瞬間。

 ピーンポーン。間延びしたインターホンの音が横切っていく。一番左のモニターが玄関の監視カメラの映像に切り替わる。そこには、レジ袋を片手に佇むキッカの姿が映し出されていた。

 男二人は無言で顔を見合わせる。ミズコシはそっとフォルダを閉じ、席を立った。

「……これはまたの機会ってことで」

「……おう」

 玄関に向かい、ゆっくりドアを開ける。そこには、俯き加減のキッカが立っていた。

「おかえり、キッカちゃん」

「はい、遅くなってすみません」

 小さな声が返ってくる。その表情はどことなく浮かない。

「寒かっただろ。早く入んな」

 ミズコシがそう言うと、キッカはほんの小さく口角を上げた。至近距離をすり抜けていった彼女から、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。手触りの良さそうな長い黒髪と、コートの襟から覗く白いうなじ。……くそ、ソウマの野郎。

「遅かったな。またラーメン屋の列にでも並んでるのかと思ったよ」

「仕事の途中で勝手にそんなことする訳ないでしょ」

「じゃあ買い食いでもしてたか」

「ソウマは私を何だと思ってるの。コンビニの軒下で肉まん食べただけだから」

「食ってるじゃねぇか」

「あれくらい、食べたうちに入らない」

 顔を合わせるなり、ちょっとした言い合いを始める二人。勝手にやってろ、と心の中で毒付く。

 キッカはレジ袋をローテーブルに置いた。中からは弁当が五個。

「適当に買ってきました。好きなものを選んでください」

 残った三個がキッカの分ということだろう。

 三人でテーブルを囲み、食事を始める。いつものように信じ難いスピードで弁当を腹に納めていくキッカは、しかしどこか上の空のようにも見える。

「キッカちゃん、何かあったか?」

「え?」

「いや、飯食ってんのに元気ねぇからさ。コンビニから帰ってくんのもちょっと遅かったしよ。ソウマなんかめちゃくちゃ心配してたんだぜ」

 顔を上げたキッカが、ちらりとソウマを見やってから、また軽く俯く。

「……すみません」

 ソウマが視線を送ってくる。その目が「余計なことをするな」と言っていた。だがソウマも、キッカを覗き込むようにして声を掛ける。

「……まさか、また変な奴にでも襲われたか?」

「いや、全然、そういうのじゃないんだ」

 キッカは首を小さく横に振り、少し黙り込んだ後、再び口を開いた。

「実はちょっと、気になってることがあって」

 そう言って立ち上がり、モニターの前に座った。しばらく無言のままキーボードを叩く。何かを調べているようだ。ややあって、ぽつりと言葉が零れる。

「やっぱり……」

 ゆっくりと、椅子を回転させて振り返る。

「十六年前の新承認薬を調べたんですが……この年に認可を受けた新薬で、ナショナル・エイド社製のものは、例の抗ガン剤だけでした」

 強張った視線が、ミズコシとソウマの順に向けられる。

「私の両親が死んだのも十六年前です。ゲリラに巻き込まれたと見せかけて、殺されたんです。二人とも保健省勤めでした」

 キッカは息をつくと、はっきりした口調で言った。

「モリノさんが、最後に言ってたんです。両親は、あの会社の新薬の承認に関わる不正の証拠を掴んで、その口封じのために消されたんだと」

 ミズコシはじっとキッカを見据えた。揺れる黒曜の瞳が、軽く伏せられる。

「……すみません、もっと早く言うべきでしたね」

「いんや、キッカちゃんの気持ちは分かるぜ」

 自分の親が死んだ理由——殺されなければならなかった理由に気付いて、平静を保つ方が難しい。恐らく、それでキッカは少し夜風に当たっていたのだろう。

「だがこれではっきりした訳だ。やっぱりあの会社は、例の薬に致命的な欠陥があることを知ってたってことがよ。それも最初っからな。分かっていながら、強引に承認を得たんだ」

「はい」

「不正の証拠っつーと、何だろうな?」

「父は新薬の承認を担当する課にいたんです。あの会社から提出された資料に不審な点があったのかも知れません」

「んじゃ、その辺りのデータをもっかい見てみっか」

 食事の途中だったが、ミズコシは腰を上げた。ソウマは慌てて弁当を最後まで掻き込む。それぞれがモニターの前に座り、地道な作業が再開された。

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