第24話 解錠される秘密
「ミズコシ、大丈夫か?」
クオンは、食い入るようにモニターを注視しながら高速でタイピングを続けるミズコシに声を掛けた。時刻は午前二時五十分だ。
「……おうよ」
「データ、開きそうか?」
「もうちょいだと思うんだがなぁ……なんかこれ、すっげぇガード
作業開始から約二時間半。ミズコシは解いても解いても現れる暗号数列と格闘していた。会話をしながらも、その手が止まることはない。
クオンはその隣で、データを公表するための様々な媒体をピックアップしていた。
「あーもう……またかよ!」
もう何度目かも分からない新たな数列と対峙して、ミズコシは勢い良く椅子にもたれ掛かった。皮脂で汚れた眼鏡を外し、スウェットの裾でレンズを拭く。しかしそのスウェットはお世辞にも綺麗とは言えず、レンズの汚れが拡がっただけだった。
「しかしやっぱ、なーんか引っ掛かんだよな」
眼鏡を掛け直し、煙草に火を点けながらぼやくようにそう言った。クオンは首を傾げる。
「何が?」
「いや……普通、人に渡すデータにこんな厳重な暗号掛けるか? ましてやこいつを公開しろって話なんだろ」
「それだけ重要なデータってことじゃなくてか? これが想定外に奪われた場合でも、簡単には見られないように」
「まぁもちろん、その可能性はあんだろうけどよ。見たところウィルスとかの類はなさそうだから、その辺は楽観視してんだけどな。何にせよ、この暗号解かねぇとなんも始まんねぇんだわ」
「あの会社のシステムに侵入する腕があるなら、このくらいの暗号は大丈夫だと思われたのかも知れない」
うーん、とミズコシが唸る。
「ま、さすがに飽きてきたし、
そう言って深く煙草を吸い込むと、煙を一息に吐き出し、まだ長いそれを灰皿に押し付けた。
「そういやクオン、今日明日は仕事休みか?」
「あぁ、念のため明後日もシフトを入れてない」
仕事というのは、セキュリティサービスの警備員のバイトのことだ。以前から正社員にならないかと声を掛けられているのだが、シフトに自由が効くのでバイトの身分を続けている。独り身で食べていくだけなら、それで充分だった。
「そりゃ良かった。この作業も思ったより長丁場になりそうだしよ」
正直、ファイルを開けるためだけにこんなに手こずるとは思ってもみなかった。
「手間かけて悪いな、ミズコシ。俺ちょっと何か飲み物でも取ってくるよ」
「あ、冷蔵庫ん中ほぼ空だぜ」
「それじゃ、そこのコンビニで何か買ってこようか」
「ついでに煙草とエナジーゼリー頼むわ」
「おう」
クオンは席を立ち、部屋を出た。
外の空気は冷たく新鮮で、それだけで生き返ったような気分だった。ミズコシはよくもあんな煙草の煙の充満する黴臭い部屋にずっと籠っていられるものだ。
肺の奥深くまで息を吸い込むと、頭の中の火照りが少し落ち着いた。一方で、心臓はそわそわとさざめき続けている。
なぜだか嫌な予感がする。
キッカはそろそろナショナル・エイド社に到着しただろうか。彼女の作戦に一応は納得してハママツに留まったものの、やはり一緒に行くべきではなかっただろうか。心の裏側に隠れていた後悔が、徐々に顔を見せ始めていた。
何せ今ここにいても、大してできることがないのだ。クオンはプログラミングに関しては門外漢であり、あのデータの解読作業も結局のところミズコシ頼みだ。キッカに同行していれば、あの会社への侵入のサポートくらいはできたはずだ。
キッカの凛とした佇まいを思い出す。両手足を戦闘用生体義肢に替えた女性。
最初に
しかし昨晩出会ったキッカは、『人間兵器』というイメージからは程遠い人物だった。会話の受け応えがスマートで、負傷して義肢となった自分に対して遠慮するような態度を取っていた。表情の変化はそれほど大きくないものの、カレーライスを実に美味そうに食べ、ユナに対しては自然な微笑みを見せた。血の通った、極めてまともな感覚と思考回路の持ち主だと思った。
やはり川島医師は、昔と変わっていないのではないか。キッカのような人を信頼して、重要なデータを預けたのであれば。これまで漠然とした不安の中にあった、彼を信じたいという気持ちが、確かな希望に支えられるのを感じた。
だからこそ、意に沿わない研究をさせられているのであれば、何としてでも川島医師を救出せねばならない。引いては、それがハルカを目覚めさせる大きな足掛かりにもなるのだ。
いずれにせよ一度キッカに連絡を入れ、データの公開が遅れていることを伝えるべきだろう。携帯端末は置いてきてしまったので、ミズコシの家に戻ってから電話を掛けようと決めた。
マンション近くのコンビニエンスストアでジンジャーエールと煙草とエナジーゼリーを買って戻ると、部屋の主はベッドの上で
ジンジャーエールを一口飲んでから、デスクに置きっ放しだった携帯端末を手に取る。時刻は三時十五分。画面にキッカの番号を表示させる。
発信ボタンを押そうとした、まさにその瞬間。背後で突然、ミズコシが跳ね上がるように身を起こした。
「どうした?」
クオンが声を掛けても、ミズコシははっとしたような表情で虚空を見つめたままだった。
「ミズコシ?」
ミズコシはそれに答えることなくベッドから立ち上がると、外していた眼鏡を掛け、つかつかとモニターの前に歩み寄り、乱暴に腰を下ろした。そして何事かをぶつぶつと呟きながら、怒涛の勢いでキーボードを叩き始めた。
いつもの集中タイムである。一旦こうなってしまったら、作業が終わるまで何を話し掛けても無駄だ。こうした光景は今まで何度か目にしていた。変わった男なのだ。
凄まじいスピードの打ち込みだった。先ほどと同じような数式が目紛しく現れては消え、消えては現れる。
「さぁ来い!」
ミズコシが声を上げた瞬間から、モニターに映し出された無数の式が左端から順番に消えていった。そして最後には画面の中央に小さなテキストボックスが表示されるだけとなった。
「天才か! 俺は天才か! あー、すっきりしたぜ」
「えっ、ミズコシ、解けたのか?」
クオンは自画自賛するミズコシに対して前のめり気味に問い掛けた。
「あぁ、あの暗号数列な、一定の順番でループしてたんだわ。一巡したところで別のキーを入力しない限り永遠にぐるぐる回り続ける仕組みになってやがったんだよ」
どうやってそのキーを解いたか、ミズコシは唾を飛ばして早口で捲し立て始めた。しかし専門用語が多すぎて、何を言っているのかさっぱり理解できない。クオンは慌てて遮った。
「ま、待てミズコシ、つまり、解けたんだな?」
「おうよ、もちろん。で、これが最後のパスだ」
ミズコシは鷹揚に頷いて、画面のテキストボックスを指した。
「『八桁の数字を入力せよ』だとよ。大抵誰かの生年月日だと思うんだがよ。何か聞いてるか?」
「あぁ……先生のメールに、ハルカの誕生日をパスワードにしたと書いてあった」
クオンにとっては愛しい恋人の、川島医師にとっては大事な娘の。
忘れることのないその日付を、クオンは入力する。エンターキーを押すと同時に、動画ソフトが起動する。
「おっ!」
起動中の表示が消え、モニター全体が動画のスクリーンに切り替わる。二人が固唾を飲んで見守る中、ついに再生が始まった。
しかし幾ばくもしないうちに、二人の表情は見る見る凍り付いていく。
「なぁ、これって……」
「おいおい……何の冗談だよ、これは……」
そこに映し出されたのは、想像だにできないものだった。
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