第5話 真夜中の襲撃者たち

 ガラスの割れる音で目が覚めたのは、その日の夜中だった。疲れ切って熟睡していたはずだが、ケイイチはその小さな音で反射的にベッドから跳ね起きたのだ。

 確かに、自衛隊に所属していた頃は、どんな些細な物音でも覚醒するように訓練を受けていた。しかしここでスタッフとして働くようになってからは、そんなこともなくなっていたのだが——

 心臓が早鐘を打っている。何かとてつもなく嫌な予感がした。

 ケイイチは隣で眠っているハルカを揺り起した。最初こそ少し寝呆けていたハルカは、ケイイチの只ならぬ様子を感じ取り、すぐに頭がはっきりしたようだった。

 二人は素早く服を身に付けると、ゆっくりと部屋の扉を開け、辺りの状況をうかがった。

「何か聞こえる」

 ケイイチは薄暗い廊下に目を凝らしながら耳を澄ませた。微かではあるが、そろそろと何かがうごめくような気配が空気を震わせている。それが階下を這い回る人間の足音だと、直感的に理解する。そこに、プシュン、プシュンという断続的な音が混ざる。

 胸が一層ざわめく。背中を冷や汗が伝っていった。

「何の音?」

 ハルカの呟きに、ケイイチは短く答える。

「銃声だよ……サイレンサ付きの」

「銃?」

 その声に緊張が走る。

 なぜ、今ここで銃声が聞こえるのか。ケイイチは表情を強張らせながら、抑えた声で言う。

「様子を見てくるから、ハルカはここで待っててくれ」

「えっ……嫌よ。ケイイチさんに何かあったらどうするの?」

 ハルカはケイイチの腕にしがみ付く。

「俺なら大丈夫だよ」

「私が大丈夫じゃないかも」

 上目遣いにそう言われ、ケイイチは一瞬迷った。

 確かに、部屋を離れた隙にハルカに危険が及ばないとも限らない。ハルカの不安な気持ちを差し引いたとしても、一緒に行動した方が互いの安全を確認できて都合が良いだろうと判断した。

「分かった。一緒に行こう」

 しかし二人が廊下に踏み出そうとした矢先、例の足音が階段を昇ってくるのが聞こえた。それも一人ではない。複数名いるようだ。なるべく音を立てない歩き方をしている。少なくとも一般人ではないだろう。

 慌てて扉を閉め、とりあえず二人はクローゼットの中に身を隠した。

 ケイイチはハルカの身体を抱き締めながら、廊下の物音に耳をそばだてていた。

 どうやら侵入者は一室一室の扉を開け、発砲しているようだ。眠っている入院患者や病院スタッフに向けて撃っているのだろうか。このままでは、この部屋に彼らが侵入してくるのも時間の問題だ。

「ハルカ、ちょっと肚を括ってくれよ」

 腕の中で、ハルカがこくこくと頷いた。


 その男は、二階東端の部屋の扉を押し開けた。そして素早く銃を構え、内部を確認する。

 ベッドの上、机の下。見たところ、人影らしきものはない。ベッドのシーツが乱れており、先ほどまで誰かがいたような気配はあるのだが。

 男は入り口の扉の死角になっていた壁面の、クローゼットの戸に目を留めた。静かな足取りでそこへと近づき、銃口を向けながら取っ手を手前に引いた。

 しかしそこにはいくつかのジャケットやコートが掛っているだけだった。

 念のため、暗視ゴーグルに内蔵されたサーモグラフィの機能をオンにし、改めて部屋じゅうを見回す。生物の熱反応はない。やはりここはもぬけの殻らしい。

 この部屋は、構造からして病院スタッフのものだ。病室の巡回でもしているのかもしれない。

 廊下にいる他の仲間に、次へ行くよう合図を送る。彼自身も別の部屋へ向かうべく廊下へ出る。しかし最後にもう一度部屋の中をちらりと見やった際、ふと気付いた。

 窓が、僅かに開いているのだ。

 再度その部屋に踏み込んで、窓を大きく開け放ち、外を確認する。

 ここは二階だ。真下を見ても、人影はない。だが、その窓のすぐ横には梯子があった。外壁に取り付けられたそれは、地上から屋上へ向かって伸びている。配管点検用の梯子である。

 一階か、三階か。この部屋の住人は、この梯子でどちらかへ逃げたのだろう。

 一階は既に制圧済みだ。見張りに二人残していたが、階下からは何の物音も聞こえない。この部屋の主は、自分たちが下から階段を昇ってくる足音に気付いて、上へ行ったのかも知れない。

 男は部屋を出ると、二人の部下を連れて三階へと向かった。


 ケイイチとハルカは、外の梯子を使って真下の部屋へと降りていた。幸い窓は開いており、中には誰もいなかった。ケイイチはほっと胸を撫で下ろした。

 しかし次の瞬間には、違和感に気付く。

「ねぇ、ちょっと……」

 ハルカの呟きに、ケイイチは頷く。

「あぁ……変だな」

 その部屋は、今日の午前中にアヤメが息を引き取った一◯五号室である。だから、冷たい外気を部屋へ取り込むために、窓を少し開けたままにしてあったのだ。しかし——

「アヤメちゃんは……?」

 少女の遺体は、消えていた。

 部屋の光源は窓からの月明かりだけだったが、確かにアヤメの姿は影も形も見当たらない。遺体処置をした後も、このベッドに寝かせたままにしていたはずなのに。

「お父さんが義肢の拒絶反応の原因を調べるために、移動させたのかしら」

 ケイイチは首を振る。

「いや、まだベッドに窪みがある。あの子はついさっきまでここにいたはずだ」

 だとしたら、遺体は侵入者が持ち去ったのだ。

 微かに漂ってくる火薬と血の混ざった臭いに、ケイイチは顔をしかめた。一体、何が起こっているというのか。どくん、どくんと心臓が強く脈を打っている。まるで警鐘を鳴らすかのように。

 統率の取れたやり口、サイレンサ付きの銃。相手はよく訓練されたプロの集団であることに間違いなさそうだ。

 しかしこの病院がこのような襲撃に遭う理由が、ケイイチには全く分からなかった。アヤメの遺体だけが目的ならば、他にもっと穏やかなやり方があるだろう。

「とにかく、先生を探そう。いつも夜は院長室に籠ってたはずだよな」

 院長室はこのフロアの西端である。今二人がいる病室とは、逆の端に位置する。つまり、一階を端から端まで移動しなければいけないということだ。

 病室の中から耳を澄ませたが、廊下は静かだった。犯人グループは上の階に行ったのだろう。しかし見張りを残している可能性も否めない。

 ケイイチは音を立てぬように用心深くドアノブを引いた。扉の陰からそっと顔を出し、部屋の外の様子を伺う。

 薄暗い常夜灯に照らされた廊下は一直線で、その真ん中よりもやや手前の辺りに人影があった。犯人の一人だろう。

 背中を向けて立っていたその人物が、ゆっくりとこちらを振り返る。ケイイチは慌てて顔を引っ込め、素早く、しかし静かに扉を閉めた。

 まずい。気付かれたかも知れない。

 ハルカに、パーテーションの陰に隠れるように合図した。

 いよいよ正念場か。ケイイチはごくりと唾を呑み込んだ。


 一階を見張っていた男は、視界の端に何かが動くのを捉えていた。廊下の突き当たりの部屋——あの少女の遺体があった部屋の辺りだ。

 既にこのフロアは、入院患者もスタッフも全員始末している。自分と、玄関を見張っている仲間の、二人しかいないはずだ。気のせいかと思ったが、万が一仕留め損ねがあってはいけない。

 男はゴーグルのサーモグラフィをオンにして、そろりと東端の部屋に近づいていった。

 ゲリラ戦用に開発された高性能のサーモグラフィは、その部屋の中に熱反応を感知していた。壁越しでは反応はかなり薄くなるが、明らかに生きた人間のものだ。やはり、誰かがいるのだ。

 男は勢いよく扉を押し開け、銃を構えながら部屋じゅうに視線を巡らせた。

 パーテーションの物陰に、人型の熱反応がある。

 彼はそこへ銃口を向け、一歩二歩と足を進めた。引き金に掛けた人差し指を緊張させつつ、パーテーションの裏側を覗き込もうとじりじり迫っていく。

 しかし、次の瞬間。

 突然、後頭部に強烈な衝撃が走った。思わず喉から呻き声が漏れる。視界がぐらりと反転する。気付けば男は、床に這いつくばるように倒れ伏していた。

 神経を揺さぶる振動が、頭蓋の中でこだましている。何が起こったのか理解できないまま、男は身を捩ろうとした。しかしヘルメットから剥き出しの頸部を硬いもので立て続けに殴打され、身体の自由を奪われる。

 絶え間なく加えられる打撃。その度に激しい痛みが脳髄にほとばしる。ゴッ、ゴッ、という鈍い音が何度となく響く。ついにはその音すらも、僅かに残った意識の切れ端もろとも消失した。


 事切れた侵入者を見下ろして立っていたのは、ケイイチだった。彼は部屋に備品として置いてあった松葉杖を手に、扉の内側に潜んでいたのだ。

 迷彩服に、同じ柄のヘルメット。この装備には見覚えがあった。ケイイチは男が持っていた銃を手に取る。ベレッタM92——やはり、帝国陸軍で採用されている型の拳銃だ。この男が着用しているゴーグルもまた、帝国軍兵が暗所で作戦を行うときに使用するサーモグラフィ内蔵型のものだった。

 なぜ、帝国軍がこんなことを?

 ケイイチは混乱したが、今はゆっくりそのことを考えている暇はなさそうだ。

「ハルカ」

 パーテーションの陰に向かって声を掛けた。おずおずと姿を見せたハルカは、薄暗闇でもそうと分かるほど蒼褪め、がたがたと震えていた。

「俺の傍を離れるなよ」

 ケイイチは銃を手に、廊下へと踏み出した。

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