第2話 戦場の無認可病院
かつて、この国は四つの島全てが自国の土地だったという。『三つ目』の核が新宿に落ちたのは、もう二十年も前のことだ。
その兵器は、海の向こうの大陸を広く支配する帝国の所有物だった。報道においては、帝国空軍の軍用機が移送中だった核弾頭が、制御装置の不具合により誤って落下してしまったのだと説明がなされた。
この事故によって旧政府は指導者を失い、瓦礫と化した街には死者が溢れ、国家としての機能は完全に停止した。以来、国の政治機構は全て帝国軍に移管され、主要都市部は帝国軍政府の管理統治下に置かれている。
『件の核爆発は事故などではなく、帝国の陰謀である』
そんな噂が、事故当時から世間では実しやかに流れていた。
つまり、かの帝国はこの国を手中に収めるために、故意に核弾頭を落下させたのだと。それこそが帝国の常套手段なのだと。
核爆発から約十年後。
国家解放を掲げる反乱軍が、帝国軍の管理する統治区域の主要施設に対し、ゲリラ攻撃を仕掛けた。それには政府機関の建物も含まれており、政治や経済は大きく揺らいだ。
帝国軍は事態の収拾のため、ゲリラの首謀とされる者のアジトがあったトヨハシ自治区(旧愛知県)を攻撃した。その時の被害は一般市民にも及び、軍政府に対する反感は一気に高まった。
それを機に各地で反乱軍が蜂起し、以来十年、現在まで続く内戦へと発展したのである。
旧国時代からの自衛隊は帝国軍の傘下に入り、内戦においては反乱軍を鎮圧する任務を与えられた。
ケイイチの所属部隊は、最も戦闘の激しい地区に配置された。帝国軍は自衛隊を優先的に危険地区に置いているようだった。
何日も続く攻防に、街はすっかり破壊された。ケイイチの部隊が反乱軍の残党を探して街を捜索していた時、運悪く敵側の奇襲攻撃に遭ってしまった。
他の者がどうなったか分からない。ケイイチは足許に仕掛けられた地雷を踏み、負傷して死にかけているところを運良く誰かに助けられ、病院に収容されたのだった。
■
ケイイチが自分に手術を施した医師と顔を合わせたのは、それから数日後のことだった。実はそれまでにも何度か様子を見にきていたのだが、眠っている時間が長かったため、彼にとってはそれが初対面だったのだ。
「初めまして、クドウさん。川島と申します」
落ち着いた声で自己紹介した白衣姿の中年男性は、あの看護師の女性と同じネームプレートを付けていた。
「調子はどうですか?」
川島医師は、定型句のようなその疑問詞をケイイチに投げ掛けた。銀縁眼鏡の奥から、実直そうな瞳が覗いている。
「僕の手足、どうなってるんですか?」
ケイイチは医師の質問に、質問を返した。自分の手足がなくなってしまったという事実は、そう簡単に受け入れられるものではない。見知らぬ右腕と両脚には未だ何の感覚もなかった。
川島医師は右手で顎を触り、少し間を取った。
「……ここに運び込まれてきた時、あなたの手足はほとんど原型を留めていませんでした。しかも感染症を起こしていた。あのまま放っておいたら命はなかったでしょう。本来ならあなた自身に意思確認すべきだったと思いますが、一刻も早く切断という選択をするしかありませんでした。申し訳ありません」
頭を下げる川島医師に、ケイイチは首を振る。
「そのことについては、いいんです。命を救ってもらったことにはむしろ感謝してるくらいだ。僕が訊きたいのは、今付いてるこの手足は一体何なのかってことなんです。それから、ここはどこなんだ。仲間は? 敵は? 僕を自衛隊員と知りながら助けてくれたところを見ると、先生は敵ではないようですけど……」
川島医師は小さく二、三度頷き、ゆっくりと説明を始めた。
「まずは一つ目の質問からお答えしましょう。一般的に義肢——『義足』や『義手』と呼ばれるものは、シリコンやゴムでできているものが多い。切断部位に装着して、失った手足の代わりとするものです。しかしその義肢は、あなた自身の身体から直接『生えて』います。人間の細胞から人工的に骨や筋肉などを形成して作った義肢、それが『生体義肢』です」
そういった研究がなされているということをニュースか何かで見た記憶はあるが、まだ実用化段階の話ではなかったはずだ。
「切断部位と生体義肢との継ぎ目に、遺伝子情報を媒介しながら傷口の回復を促す特殊な細胞を組み込んでいます。これにより、今後その義肢はあなたの元の手足に限りなく近い形に変化していきます。神経が脳と繋がっており、訓練すれば自分の意思で動かすことができるようになるでしょう。触感や温度も分かるようになるはずです」
ケイイチは思わず『右腕』を見た。どこか女性的ですらある、未だ借り物のようなそれは、やはりほんの少ししか動かすことができなかった。
「手術の際、血液の循環を止めるために、あなたを一時的にコールドスリープさせました。目覚めてしばらく身体がうまく動かなかったでしょう。あれはコールドスリープの影響です」
確かにあの時、異常なほど身体が重かった。だけど本当に自分が冷凍されていたのか、説明されてもあまり実感はなかった。
川島医師は続ける。
「それから二つ目の質問ですが……ここはトヨハシ自治区の外れにある『川島病院』です。表向きには大学の研究施設のように装っているので、ここが病院だということを知っているのは私と私の娘、病院スタッフ、そしてここで手術を受けた患者さんのみです」
「……つまり、無認可の病院ということですか?」
その質問に対し、川島医師は咳払いをした。
「有り体に言えば、そういうことです」
ケイイチは怪訝な顔をした。そしてしばらく思案してから、口を開いた。
「先生、失った身体から直接生える義肢のことを、僕は今まで一度も聞いたことがありません。自衛隊の中でも戦闘で手足を失った者がいましたが、皆シリコン製の義肢を使っていた。僕は医療のことには詳しくないが、それはまだ認可の下りていない技術なんじゃないですか? だから無認可の施設で、不特定多数に手術をしている……」
ケイイチの言わんとすることを察したように、川島医師は慌てて口を挟む。
「私は患者さんを実験対象と思ったことは一度もありません。確かに、生体義肢を接続する細胞を発見したのは私ですが……」
川島医師は、ケイイチの目を正面に見据えた。
「認可を受けるということは、この技術を軍政府の下でしか活用できなくなるということを意味します。だから私は、一人でも多くの命を救うため、認可を受けずにここで病院を開いているのです」
川島病院には、十名ほどの患者が入院していた。
その多くはトヨハシ自治区に暮らしていた一般市民だったが、ケイイチのような自衛隊員や、なんと帝国軍兵もいた。皆この内乱で負傷して手足の一部を失い、川島医師によって生体義肢を移植された者ばかりだった。
かつては敵同士だった者も、ここではただの入院患者。川島医師に命を救われた者として、元々の所属に関係なくそれぞれが一人の人間として生活していた。外は今も酷い内戦が続いていたが、この病院の中だけはユートピアのように平穏だった。
初めの頃、ケイイチの脳は生体義肢を、形を持った痺れとして認識していた。失った手足の幻肢痛に取って代わる感覚。だが療法士の指導でリハビリを受けるうち、徐々にそれが自分の身体に繋がるものだという実感に変わっていった。
生体義肢を操るのには、ちょっとしたコツが必要だった。手足を動かすために神経を集中させる。かつては何も考えずに行なっていたことだったが、筋肉や骨の動きを常に意識しなければならなかった。自分のイメージする動きと実際の動きがなかなかリンクせず、ストレスと焦りが募ることもあった。
ケイイチの病室には、毎日決まった時間に川島看護師が訪れて、身の回りの世話や義肢のマッサージなどを行なっていた。
優しい微笑みに、天使のように澄んだ声。ベッドの上からほとんど動かない生活の中で、彼女の巡回はささやかな楽しみでもあった。リハビリがなかなか進まないことへのフラストレーションも、それによって少し軽くなった。
しかし時おり彼女が、そっと伺うような、気遣うような視線を自分に向けていることに、ケイイチは気付いた。
もしかして彼女は、自分に対して負い目のようなものを感じているのではないか。なぜなら、ケイイチの身体の状態について最初に説明をしてくれたのは彼女だったからだ。
手足を切断して義肢を移植したなどというショッキングなことを、患者がうまく受け入れられるように伝えるためには、相当に注意深く話をする必要があるはずだ。だからこそ彼女は「詳しい話は先生から」と言っていたのだ。そこをどうしてもと望んだのは、ケイイチだった。
変に気を遣わせるようなことをさせてしまったかも知れない。ケイイチは少し申し訳なく思った。
「カワシマさん」
ある日マッサージを受けている時、ケイイチは思い切って声を掛けてみた。川島看護師ははっとしたように顔を上げ、小さな声で「はい」と返事をした。
「カワシマさんは、あの先生の娘さんなんだよな?」
「えぇ、そうですけど……」
「お父さんの手伝いとはいえ、大変だな。こんな戦場に近い危険な場所で」
「いえ、そんなことないですよ」
「強いんだな」
その言葉に、川島看護師ははにかんだようにそっと微笑んだ。
「父の力になりたいから」
ケイイチは首を傾げた。
「君のお父さんは、なぜこんなところで治療を続けてるんだ? 義肢の技術を活かすのに、もっと安全な場所が他にあるはずなのに」
川島看護師は少し俯き、しばらく何かを考えていたようだが、やがてしっかりした口調で話し始めた。
「……三年前、私の兄が、内戦に巻き込まれて死んだんです。クドウさんのように爆発で手足を吹き飛ばされて、たくさん血を流して。まだその当時は生体義肢の技術が完成していなくて……父はできる限りの手を尽くしたけど、結局助からなかったの。あの時、今のような手術ができていたら、兄は生きていたかもしれません。だから父は代わりに、ここで一人でも多くの人を救おうとしているんだと思います」
川島看護師はじっとケイイチの目を見つめた。
「あなたはちょっと兄に似てるんです。だから私、あなたが目覚めてくれて、本当に嬉しかったの」
真剣な眼差しに、ケイイチは一瞬どきりとした。その瞳の中には、凛とした芯の強さがあった。彼女は強い信念を持って自分に接してくれているのだ。
「……生死の境を彷徨ってる時に、君の声が聞こえたんだ。そのおかげで戻ってこられた。君は俺の命の恩人だよ」
その言葉を聞いた途端、川島看護師はぼっと頬を赤くして首を振り、両手で顔を覆った。
「やだっ……そんな、大袈裟なこと……! 私は本当に何も……クドウさん自身の生命力が強かったんですよ、きっと!」
ケイイチは思わず吹き出した。少し慌てたような様子が、妙におかしかったのだ。
可愛い、と思った。自分に気を遣ってほしくなくて話し掛けたつもりだったが、意外な一面を見てしまった。
一人でくつくつと笑い続けるケイイチに、彼女は戸惑ったような表情をしていたが、やがてつられて笑い出した。
ひとしきり二人で笑った後、彼女は鈴のような声で言った。
「……ハルカです」
「え?」
「私の名前」
天使の声の零れる唇が、優しい自然な笑みを形作っていた。
「よろしくね、ケイイチさん」
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