ch.8 エピローグ
第46話 チーム・ミズコシの暗躍
彼女はその薄暗い部屋にじっと身を潜めていた。
壁の一面に整然と並んだ大量のモニターが、建物内の監視カメラの映像を映し出している。管理システムが完全オートメーション化されたこの施設が夜間には全くの無人になることを、彼女たちは下調べで掴んでいた。
合図を待ちながら、傍らに置いた空のクーラーボックスにそっと手を添え、肩から掛けたナイロンベルトをぎゅっと握り締めた。
イヤーモニターに通信が入る。
『おはようエンジェル』
「切っていいですか」
即座に切り返す。
『何だよ、つれねぇな。こちらはミズコシ。ビルの統制系統は掌握した。いつでも準備オッケーだぜ、キッカちゃん』
「了解。ソウマは?」
『こちらポイントB、ソウマだ。外部の警報装置は全て解除した。退路も確保済み。今のところ異状なし。但し、三分前に定期巡回の警備ロボットが来た。調べた通り三十分ペースなら、いいタイミングなんじゃないか』
『よし、分かってると思うが、ここの管理システムはダウンしてから十分後に自動的に再起動する。十分以内に脱出できなきゃ、ビルにカンヅメだぜ』
キッカは頭の中で素早く撤退までのシミュレーションをし、一人小さく頷いた。
「十分あれば充分です。午前五時二十分、作戦開始でお願いします」
『おうよ、了解』
『それじゃタチバナ、五時半までにポイントBで。ヘマするなよ』
「……了解」
相変わらずのソウマの皮肉に、キッカは軽く眉根を寄せる。いつも一言余計なのだ。
手許の時計は午前五時十九分三十秒を示していた。デジタル表示が無遠慮に秒数を進めていく。キッカは静かに目を閉じ、一つ息をついて、また瞼を上げる。
五時二十分になると同時に、バチンと音を立てて室内の保安灯が掻き消えた。監視モニターも電源が落ち、辺りはたちまち暗闇に沈む。張り詰めた静寂が耳を
キッカは暗視ゴーグルのスイッチを入れ、クーラーボックスとその肩紐に手を添えながら立ち上がり、扉を開けて廊下へと飛び出した。
それまで潜んでいた管理室は一階。目標地点までは三フロア上だ。キッカは風のような速さで階段を駆け上がり、あっという間に四階へと昇り詰めた。
暗視ゴーグル越しに廊下を覗いていると、自分が異次元空間の中にでもいるかのように錯覚する。無機質な廊下に響く、履き慣れたエンジニアブーツのくぐもった足音だけが、それが確かな現実であることを証明している。
『よーしキッカちゃん、その先の角を曲がったところにある突き当たりの部屋だぜ』
施設の統制系統を乗っ取ったミズコシが、暗視機能の付いた監視カメラでキッカの姿を追いながらナビゲートする。案内通り、角を折れたところに一枚の扉が現れた。
扉の横にはパスコードを入力するためのパネルがあるが、電子制御のロックは既にミズコシによって解除されている。ノブを回して入った部屋には、壁際に沿って大型の実験用冷蔵庫が立ち並んでいた。
その一つ一つを開けて中を確認し、目的のものを発見する。培養液に浸かったそれを、瓶ごとクーラーボックスの中に納める。そして部屋を出ようとノブに触れ、違和感に気付く。
「……ミズコシさん、ドアが開かない」
先ほどは鍵の掛かっていなかった扉が、どういう訳か施錠されていた。
『なんかさっきから、システムにアクセスしてる奴がいやがんだよな。……と、ちょっと待った』
一瞬の無音。
『おいおい、巡回ロボットがそっち向かってるぜ。くっそ、こいつだけ別回線なのかよ。こっちのシステムにちょっかい掛けてその扉ロックしたのもこいつの仕業だな。異常を感知してオートで作動するようになってるみてぇだ。厳重なこって』
「どうすればいいですか」
『ちょっと待ってろよ。ロックはもう一度解除する。……いや、間に合わねぇかも。ソウマ!』
『今向かってる!』
キッカは扉から離れ、さざめく心臓を落ち着けようと深呼吸をした。相変わらず神経は張り詰めていたが、不安は感じない。何しろ、強力なバックアップが二人もいるのだ。
ややあって部屋の外から三発の銃声が聞こえてくる。それとほぼ同時に、ミズコシから通信が入る。
『開いたぜ!』
扉を開けて廊下に出ると、タクティカルライトと拳銃を手にしたソウマが立っていた。足許には、内蔵型の機関銃を伸ばした定期巡回ロボットがバチバチと火花を散らして転がっている。二人は無言のまま視線を合わせると、静かな足取りで出口へ向かった。
『残り二分だぜ。間に合うか?』
「大丈夫、約束は守ります」
ミズコシの問いに答え、ソウマと共に足を速める。階段を二段飛ばしで駆け下り、あっという間に一階へ辿り着くと、裏口に回った。
『残り十五秒』
「余裕だ」
ソウマが不敵に笑って扉を開けた。
二人の脱出後、程なくして建物からバチン、と低く鈍い音が響いた。管理システムがミズコシの手を離れ、再び自動制御に切り替わったのだ。つい先ほどくぐった扉も、ガシャンと大袈裟な音を立てる。建物全体が堅く施錠されたようだった。
この施設の管理システムはその複雑さ故、自動復旧に時間を要する。それをカバーするための外部委託のセキュリティシステムは、予めソウマの手によって警報装置を解除されていた。これで追っ手が掛かることもないだろう。
二人は建物から離れ、闇に紛れていった。ゴーグルを外し、ソウマの持つタクティカルライトの光を頼りに雑木林を進んでいく。空に浮かぶ細い三日月は木々に阻まれて姿も見えない。
『川島病院』での一件から十日。キッカもソウマも、戦いで負った傷は『アニュスデイ』の効果によりすっかり癒えている。おかげでこの潜入作戦も滞りなく遂行することができた。
先ほど二人が盗みに入ったナショナル・エイド社の施設は、緩やかな小高い丘の上に建っていた。その麓に、一台の四トントラックが停まっている。
荷台の扉を開くと、既にヘッドセットを外して首に掛け、リラックスした様子のミズコシが出迎えた。中にはぎっしりと機材やモニターが積まれている。
「おう、おかえりー」
ミズコシからの労いに、キッカは軽く微笑む。
「お疲れさまです」
奥の方から顔を覗かせたのは川島博士だ。
「お疲れさま。例のものの保管場所はすぐに分かったかな?」
「はい、大丈夫でした。滞りなく」
そう言って、肩から掛けたクーラーボックスを手渡す。蓋を開けて中身を見た川島博士は、大きく頷いた。
■
ミズコシが例の映像をインターネット上に公開したのは、ちょうど一同が川島病院でモリノと対峙していた時のことだった。
ミズコシはまず帝国軍政府の各省庁やナショナル・エイド社のホームページをハッキングし、それぞれのトップページに動画が表示されるように書き換えた。それがすぐさま削除されてしまうと、今度は複数のSNS上に投稿した。すると動画は瞬く間に拡散され、再生回数を伸ばした。
『ナショナル・エイド社による人体実験』
動画にはシンプルにそう銘打たれていただけであったが、それが却って様々な憶測を呼んだ。
人間が怪物に変貌を遂げる様子は衝撃的で、世間に波紋を拡げた。その日の夕方には、動画の真偽を巡ってトップニュースとして報じられたのである。
その翌日、急遽ナショナル・エイド社によって記者会見が開かれた。
険しい顔をしたCEOが、かの動画は同社に恨みを持つ元社員によるでっち上げであり、事実無根であると説明した。それに留まらず、キッカとソウマの実名を挙げ、
一同は更にその翌日、動画に関する川島博士の証言のインターネット中継を決行した。
警察とナショナル・エイド社が大々的に指名手配をかけた渦中の事件の、『誘拐された』張本人による中継動画だ。相手の動きを逆手に取る作戦だった。
ナショナル・エイド社と帝国軍政府の闇の繋がり、恐ろしい人体実験の事実——そんな内容が川島博士本人の口から中継カメラの前で語られたのである。
これに対する世間の反響は大きかった。放送以降、各自治区域を中心に、ナショナル・エイド社製品の不買運動が始まった。それは自治区域のみに留まらず、現在は一部統治区域にまで波及している。
また、六年前から沈静化していた反政府過激派の動きがここへきて俄かに活発になり、中継から三日後、同社マクハリ支店のビルが爆破されるというテロが起こった。不穏な空気は緊張感を増す一方で、いつ内戦が再開してもおかしくない状況である。
■
「間違いない。これさえあれば、きっと……」
クーラーボックスの中身を確認した川島博士が、ほっと息をついた。
「いやもう、完璧すぎる計画で我ながら惚れ惚れしちまうなぁ」
「ミズコシさんの腕は本当に凄い。こんなにスムーズにあの建物に侵入できるとは思わなかった」
素直に称賛の言葉を向けるキッカに、ミズコシはニッと歯を見せた。
「おうよ、惚れ直しただろ? お礼はホッペにチューでいいぜ」
「なっ……ふざけんなミズコシ」
即座にソウマが食ってかかる。しかし二の句を継ぐのに、なぜか一瞬の間が開く。
「……あんたこの前、俺からいくらふんだくったんだよ」
「セキュリティシステムのことを言い出したのはソウマじゃねぇか。その分の自己負担だ」
「じゃあタチバナの暗視ゴーグルはどうすんだよ。結構高かっただろ」
「俺は美人からは金を取らねぇ主義なんだ」
「はぁ? 何だよそれ。大体だな、俺はこの計画にボランティアで手を貸してやってるだけなんだぞ」
「おう、知ってるよ。いつもキッカちゃんに金魚のウンコみたくくっついてるんだもんな」
「ウンコじゃねぇし。タチバナは関係ねぇし」
「ウンコだわー。ヘタレのウンコだわー」
この二人はいつもこんな感じである。キッカは腕組みをして乾いた声で言う。
「もう、ウンコの話はそれくらいにしてください」
二人が同時にこちらを見た。キッカは眉根を寄せる。
「……何」
「いや……」
「何でもないですすんません」
ミズコシがソウマを肘でつつく。ソウマが顔を
確かにこれだけの機材を準備するのには相当な資金が必要だったが、実際のところはその大半を川島博士が出資していた。ソウマが負担した分も、言えば出してくれるだろう。
川島博士が、ぱん、と手を打った。
「よし、ここからは時間との勝負だ。すぐに出発しよう」
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