第42話 立ち向かう仔羊たち
モリノの言葉を皮切りに、背後に立っていた二人の兵士がキッカとソウマに向かってくる。大柄な体躯からは想像もできないようなスピードだ。
片方の男は瞬時にキッカの間合いに入ると、ジャケットの襟を掴もうと手を伸ばす。キッカは身を回転させるようにしてそれを
互いに摺り足で一定の距離を取りつつ、睨み合いながら隙を窺う。
先に動いたのは男の方だった。バネの効いた踏み切りで勢いを乗せた膝蹴りが、キッカの鳩尾を狙う。キッカは身体を
行き過ぎた男にタックルし、その片足を両手で掬い上げる。相手はバランスを崩しかけるも、どうにか反対の足で踏み止まる。
男がキッカのジャケットの襟首を掴んだ。そしていとも簡単に彼女を引き剥がすと、壁に向かって力任せに放り投げた。
僅かな滞空時間の間にキッカはどうにか体勢を立て直し、壁を蹴ってその反動で高く跳躍する。相手の肩に手を突き、転回跳びの要領で着地した。すぐさま振り返って距離を取り、再び敵と向かい合って構える。
まともにぶつかっては勝算はない。どうにかして相手の動きを止め、眼球か口内へと銃弾を撃ち込まねば倒すことはできないだろう。
黒いゴーグルで覆われた目許、しっかりと結ばれた口——攻撃に転じるためにも、まずは相手の隙を作り出さねばならない。
ソウマと対峙した男は、警棒を手にして向かってきた。昨日未明に小学校へと送り込まれてきた怪物とは違い、普通の人間に見える。ソウマも相手に合わせて、銃をホルスターに収めつつ腰に佩いた伸縮式警棒を抜き、振り出して構えた。
男の打ち振るう武器を、同じ武器で受ける。だが、予想を大きく超える衝撃が瞬時に腕から肩まで駆け抜け、そのまま弾き飛ばされた。
「ってぇ!」
一旦床に転がったが、受け身の反動を利用して即座に立ち上がる。低い姿勢で警棒を構え直したものの、右腕は酷く痺れていた。
「は、なるほどね」
正面から打ち合える相手ではないらしい。『アニュスデイ』によって強化された敵のパワーは、戦闘用生体義肢のそれを遥かに凌いでいた。
すぐさま打ち出される攻撃を、今度はぎりぎり身を引いて躱す。鋭く空を切る音が、ひゅん、と耳を掠めた。
続く二撃目も避けると、相手の警棒がちょうどソウマの背後にあった壁を穿つ。カーボンスチール製の警棒は、衝撃に耐え切れずに根元から呆気なくへし折れた。
壊れた警棒の破片が、ソウマに向かって飛んでくる。手にした警棒で弾き返すと、それは回転しながら男の顔に命中し、ゴーグルを割った。
僅かにできた隙。それを見逃すことなく、ソウマは床を蹴って一瞬のうちに距離を詰め、男の頭部にハイキックを叩き込んだ。何か堅い鋼材でも蹴り付けたかのような感覚。ぴくりとも動じない相手に対し、続けざまに警棒で打ち据えた。
男は打撃をもろに受けたまま、にやりと口許を歪める。ソウマの警棒を掴み、鋭いスナップでそのまま突き戻す。ソウマは咄嗟にグリップから手を離したものの、右肩の方から軽く仰け反るような体勢となった。
顔面に向かって繰り出される敵の右拳。それを左腕でいなしつつ防御するも、激しい衝撃が身体を揺さぶり、殴り飛ばされる結果となった。
どうにか受け身を取って、立ち上がる。多少は勢いを逸らしたはずだったが、拳を受けた左の前腕に鋭い痛みが走っていた。折れたかも知れない。
「マジか……」
強化素材で形成された骨なのに。
割れたゴーグルから覗く相手の目が、ソウマを見据えている。恐らく、目や口を狙わなければ、傷一つ付けられないのだろう。
視界の端では、キッカがもう一人の男と距離を取りつつ応戦していた。接近戦は圧倒的に不利な相手なのだ。
ソウマは軽く舌打ちして、次の攻撃に備えた。
「さぁ、川島博士。あいつらが何分保つか賭けましょうか」
キッカとソウマが苦戦している間、モリノは川島博士に迫っていた。回転式拳銃の銃口が博士に向けられている。実際に撃つつもりがないとしても、下手な動きはできない。
クオンは川島博士を背中に庇うように、二人の間に割って立つ。
「何だ、お前は」
モリノが視線と銃口をクオンに移す。この男は自分を殺すことに何の
「……俺は
「は、お前が例の死に損ないか」
「死に損ないでも、ここまで生き延びたさ。川島先生に生かしてもらった命だ」
クオンの背後から川島博士が声を発する。
「モリノくん……どうして君はそこまで非情になれるんだ」
呟きにも似たその言葉に、モリノの表情が変わった。淡く狂気を宿したような眼差しが博士を捉える。
「川島博士こそ、どうしてそんなに欲がないんですか。それほどまでに素晴らしい頭脳をお持ちなのに。あなたの力で人類は進化を遂げたんだ。『アニュスデイ』の開発は正に神の領域と言っても過言ではありません」
狂気が、冷酷な光を纏う。
「川島博士、あいつらを片付けたら会社までお連れ致します。そこの装置でお休みになっているお嬢さんもご一緒で構いません」
要するに、従わなければハルカの身の安全は保証されないということだ。
しかし川島博士は毅然とモリノを見据えた。
「断る。私は決めたのだ。もう二度とあの会社には戻らない。そうでなければ、私を信じてくれたタチバナくんに顔向けできないからな」
その言葉には一切の迷いもない。
「私は医者だ。私に欲があるとすれば、それは一人でも多くの命を救いたいということだ。もう決して、人殺しのための兵器の開発に手を貸すことはしない」
「そうは言っても、あなたがタチバナに託したデータは使いものにならなかったはずです。『アニュスデイ計画』はもう止まらない。あなたの研究の成果ですよ」
その時、着信を告げる電子音が地下室に響き渡った。クオンの携帯端末である。しかし彼は向けられた銃口を見つめたままじっと動かない。辛抱強くコール音の回数を数えていた。
「……出ろ」
鳴り止まない電話に苛立ちを滲ませた声で、モリノは吐き捨てるように言った。
クオンはジーンズのポケットから携帯端末を取り出した。画面には『ミズコシ』の文字。受話ボタンを押し、端末を耳に充てる。
「ミズコシか」
『クオン、やったぜ! データの復旧が終わった! 今からでもネットに流すか?』
興奮した声。クオンは軽く目を見開く。
「本当か? じゃあすぐに頼む」
『オーケー、任せとけ。代金は後で纏めて請求すんぜ』
「あぁ、分かった」
通話を切り、携帯端末をポケットに仕舞った。そしてモリノに向き直る。
「あのデータだが、復旧できたそうだ。もう間もなくネットに公開されるはずだ」
モリノの眉がぴくりと動く。
「……何だと?」
「うちのハッカーは優秀でね」
クオンは口の片端を上げる。そして腰からコンバットナイフを抜いた。
「『アニュスデイ計画』は潰える。川島先生は連れて行かせない」
すると再び、モリノの顔に狂気を孕んだ笑みが戻る。
「だとしたら尚更、博士には戻って頂かねば」
モリノはクオンに向けた銃の撃鉄を、ゆっくりと起こした。引き金に掛かった人差し指に、力が込められていく。
刹那、クオンはモリノの間合いに飛び込んだ。銃を持つ相手の右手を押さえつつ、手にしたナイフで頸動脈を狙う。逸れた銃口から発射された弾が天井を穿った。切っ先が首筋に触れるまであと紙切れ一枚の距離というところで右手首を掴まれ、二人は両手で組み合った状態となる。
身長は同じぐらいだが、体格はモリノの方が良い。初めのうちは拮抗していた力の押し合いで、徐々に競り負け始める。
じりじりと押し戻される銃口が再びクオンに向こうかという瞬間、モリノの鼻っ柱目掛けて頭突きを喰らわせる。相手が怯んだ隙に右手を蹴り上げて拳銃を跳ね飛ばすと、もう一度ナイフを首へと突き出した。
モリノは鼻から血を垂らしながらも、すんでのところで頭を逸らしてそれを躱す。そしてクオンの右前腕を掴んで動きを封じると、その頬に右の拳を叩き込んだ。
咄嗟に奥歯を食い縛ったものの、まともにパンチを喰らったせいで目の前に星が散った。だがクオンは怯むことなく、モリノが二打目を打つより先に足払いを掛け、押し倒そうと身体をぶつける。
一瞬バランスを崩しかけたモリノだったが、踏み止まってクオンの右腕を握り締めながら捻った。きりきりと関節に痛みが走り、力が抜けていく。
とうとう、クオンの手からナイフが落下した。モリノが目を剥き、口許をにやりと歪めた。
次の瞬間、強烈な打撃を鳩尾に受け、クオンの身体はくの字に折れ曲がった。続けざま胴に蹴りを入れられ、敢えなく床へと転がる。
倒れたクオンに、モリノが迫る。しかし、その時だった。
「——モリノくん!」
川島博士が、手にした回転式拳銃をモリノへ向けていた。クオンが蹴り飛ばしたモリノの銃である。
モリノは動きを止め、鼻血を手の甲で拭ってから川島博士に向き直った。
「おや、川島博士。私を撃ちますか?」
にやりと嫌な笑みを浮かべ、モリノは一歩を踏み出した。
川島博士はモリノを睨み付ける。
「もうこんなことは止めるんだ、モリノくん」
モリノは微塵も臆することなく一歩二歩と近づいていく。
「撃てますか? ——撃てませんよね」
「いや、私は本気だ」
川島博士が震える指で引き金を引いた。しかしそれは、ぴくりとも動かない。接近したモリノが銃身を掴む。
「撃鉄を起こすんですよ、博士。シングルアクションの骨董品なんです。西部劇が好きでして」
銃を取り上げると、振り返りながら親指で撃鉄を起こし、クオンへと向けた。
クオンはちょうど立ち上がり、ホルスターから抜いた自動拳銃を構えたところだった。モリノを見据え、口の中に溜まった血を吐き捨てる。
「あんたはスリーカウントの途中で振り返って相手の背中を撃つタイプだろ」
「さぁ、どうだか。試してみてもいいぜ」
「馬鹿言え」
吐き捨てるように言ったクオンに、モリノはくつくつと笑う。
「まぁ、今やるならこうだな」
そう言って呆然とする川島博士を羽交い締めにし、こめかみに銃口を突き付けた。
「悪いがこのまま退散させてもらうぜ」
「……タチバナさんの言う通り、清々しいぐらいの悪役だな」
モリノが歪んだ笑顔で言う。
「何とでも言えよ、死に損ない。さぁ、銃を捨てて手を上げろ」
「ケイイチくん、私に構うな」
クオンは銃を向けたままの姿勢でじっと静止していた。さすがに川島博士を傷付けるようなことはしないだろうと踏んだのだ。
モリノは表情を消す。
「それとも、こっちの方がいいか」
今度は、ハルカの眠る冷凍睡眠装置へと狙いを変える。これには捕らえられた川島博士も顔色を失った。
「モリノくん……!」
クオンは唸った。ハルカを人質にされてはどうしようもない。ゆっくりと両手を上げ、銃を落とした。
丸腰となったクオンに、三たび銃口が向けられる。モリノが歯を見せて笑った。
「じゃあな、保安官」
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